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第39話 修司さんが消えた

 背筋がゾクっとした。でも、次の瞬間にはその目は消えていた。

 私もひいおばあちゃんも凍り付いたように動けなくなっていたが、何とか立ち上がり襖を開けに行った。だが、そこにはもう誰もいなかった。


「琥珀じゃないよ、ひいおばあちゃん。琥珀はあんなに冷たい目をしていない」

 そう振り返ってひいおばあちゃんに告げた。そして、なんだか怖くなり、すぐに琥珀を呼んだ。

「琥珀!」

「なんだ?」


 1秒もしないうちに琥珀は居間に現れた。

「琥珀、今、空中から出てこなかったか」

 ひいおばあちゃんが目を丸くして驚いている。

「いや、やっぱりさっき廊下にいたのは琥珀か?」

「何のことだ?わけのわからんもうろく婆だなあ」


「琥珀、酷いこと言わないで。ってそんなことより、今ね」

 修司さんのことをひいおばあちゃんに言っていたら、襖の隙間からとっても冷たい怖い目つきをした誰かが覗いていたという話をした。


「琥珀ではないのか」

「俺じゃない」

「あの獣のような目、もしかしたら修司さん」

「修司か…」

 ひいおばあちゃんは青ざめた。


「修司なら、琥珀が修司についている妖を退治すると聞いて、とんでもないことをしでかすかもしれんぞ」

「とんでもないことって何よ、ひいおばあちゃん!」

 私は怖くなって、切れ気味に大声を出した。


「大丈夫だ、美鈴。それから、もうろく婆、俺を呼び捨てるなと何度言ったらわかるんだ」

「琥珀、今はそれどころじゃないでしょ。琥珀にもしかしたら、修司さんが襲ってくるかもしれないよ?」

「俺に?それはないだろう。俺の念の入ったお守りにさえ怯えているような弱い輩が」


「でも、最近の修司さん、人が変わったように時々変な力を感じる。近寄ってこないからいいけど、なんかこう、異様な気っていうのかな」

「そんなものを美鈴は感じ取れるのか」

 ひいおばあちゃんが、少し驚いていた。


「そうだな。もう人間の気配じゃなくなっているのは確かだな」

「そうなのか!琥珀。すでに修司は妖に乗っ取られてしまったのか」

「いや。乗っ取られるまでにはいかないにしても、心は妖に支配されてしまっている可能性はある」

「前は支配されていなかったの?」

「そうだな。まだ修司の人間の部分が残っていたと思うぞ」


「……じゃあ、今後どうなっちゃうの?体も乗っ取られたら、人間の姿じゃなくなるの?」

「ふむ…。そうだな。霊力が高まればわからんな」

「そうしたら、もう修司さんには戻れなくなるの!?」

「それはいかん。それはいかんぞ、琥珀。なんとしてもそれだけは阻止せねばならん」


「……」

 琥珀はまた呼び捨てにされたからなのか、ひいおばあちゃんを睨んだ。だが、

「わかっている。わかってはいるが、今はまだ力不足だ」

と、目を伏せた。

「龍神がか?琥珀がなのか?琥珀は伴侶を得ないと半人前なのだろう?」

「そうだ」

「伴侶はすぐに得られることはできないのか?」


 ひいおばあちゃん!そんなこと言わないでよ。私が何よりも恐れていることだよ。

 だけど、このまま放っておいたら、修司さんが修司さんでなくなってしまう。妖に乗っ取られちゃう。どうしたらいいの?


「伴侶を得ずとも、力を補うことはできないの?」

 私はおずおずとそう琥珀に聞いてみた。何か他に方法はないの?

「……そうだな。100パーセントは出せないが、少しなら気の力をあげられる可能性はある」

「それはどうすればいいのじゃ?」

 ひいおばあちゃんは身を乗り出した。


「……龍神の嫁となる、美鈴の力がいる。そうだ。今度の七夕の祭りで、また天女の舞を舞うといい。あれには浄化の力がある。妖の力が弱まるかもしれない」

「わかった」

「じゃが、琥珀、この神社自体から修司が身を隠して近寄らなくなってしまったら、意味がないぞ」

 ひいおばあちゃんの言葉に琥珀は黙り込んだ。


「この前の祭りも、修司はどこかに消えてしまった。神楽の舞の力を避け、境内から抜け出していたのだと思うぞ?」

「そうだな。確かにあいつの気配がまったくしなかった」

「どこにもいなかったもんね。お祭りの日は境内に居なかったってことだよね?」

「七夕祭りでも、雲隠れするのじゃないのか?その間に街に行って、そのへんのおなごから、気を吸い取って力を増幅させるかもしれん」


「ふらふらとどっかに行っているのは、気を吸い取っているってことなの?」

「それしか考えられん。ふらふら出た翌日は明らかに顔の血色もいいからな」

「……女の子のエネルギーって、そんなにパワーをあげるものなの?」

「そうだな。ある程度は気を吸うのだから、エネルギーは増幅するだろうが、普通の女はたいしたことがない。美鈴や彩音とやらの霊力を喰えば、相当の力を得るだろうがな」


「……彩音ちゃんも危ないってこと?」

「だから、執拗に近づいていたのだろうな。お守りを持たせてからは、近づけなくなっていたけどな」

「お守りの力も効かなくなるぐらい、あやつが力を得てしまったらどうするのだ?琥珀」

 ひいおばあちゃんの言葉に、また琥珀はじろっと睨んだ。


「そこまであいつが力を得られるとは思えないが、早くに手を打たないとな」

「私が神楽を舞えばいいんだよね」

「神社に修司が来なかったら意味はないじゃろうが」

「…そうか」

 じゃあ、どうしたらいいの?


「とにかく、参拝者に被害が及ばないようにするためにも、七夕祭りでも神楽を舞え。わかったな?美鈴」

 琥珀の言葉に私は深く頷いた。


 琥珀は和室を出て行った。私もそのあとを追いかけようとしたが、

「美鈴」

とひいおばあちゃんに引き留められた。

「なあに?」

「そろそろ、いい加減覚悟を決める時だぞ」


「それ、私が龍神の嫁になるっていうこと?」

「そうだ。もしくは、琥珀が嫁をもらうことをだ。琥珀にはすでに、伴侶が決まっているのかもしれんぞ。龍神の嫁が許可をすれば、すぐにでも伴侶を得ることができるのではないか?」

「………」

 私は何も答えられなかった。


 重い気持ちを持ったまま、私は社務所に戻った。

「あ、美鈴!さっきね、悠人さんが来て、来週の水曜日の午後、一緒に出掛けることが決まったの」

「そ、そうなんだ。良かったね」

「どこに行こうかな!何か今、いい映画しているのかな」

「……」


 羨ましすぎて、涙が出そうになった。里奈は普通に好きな人とデートができる。好きな人と結婚もできる。きっと子どもも生まれる。

 恋をして好きな人と結婚する。私だっていつか、そんな人が現れて、結婚するものだと思っていた。いつかは、結婚をして子どもも生まれて、平凡な生活かもしれないけれど、そんな日が来るのだと疑いもしなかった。


 平凡な結婚生活がどこかで嫌だとも思った。なんにも夢もない、そんな自分が情けなくも思った。何か突然、特別なことでも起きたらいいのに、私に何かすんごい特別な力でもあればいいのに、他の人とは違った何かが…。なんて、そんなことを思い描いたことすらあった。


 だけど、平凡が一番いいんだ。普通に暮らすって幸せなことなんだ。そんなに幸せなことってないんだって、今は思い知らされている

 そして、普通に暮らすことができなくなる自分の運命とか、いろんなものを呪いたくもなった。


 里奈も、悠人お兄さんも妬ましい。他の人もみんな妬ましい。神主になることを嫌がって、妖に憑りつかれてしまった修司さんも憎く思える。妖なんかに憑りつかれなければ、早くに私が龍神の嫁になったり、琥珀が伴侶を迎えたりしないですむのに。


 ああ、違う。いつかは向こうの世界に行かなくてはならない。それも、今年中にだ。そんなに先の話じゃない。修司さんが憑りつかれようが、憑りつかれていなかろうが、そんなこととは関係なく、私は龍神の嫁にならなければいけないんだ。


 苦しい思いが襲ってくる。でも、里奈に悟られないよう我慢した。

「里奈ちゃん、参拝客来ないから、もう帰ってもいいわよ」

 そこにお母さんが来て、里奈はにこやかに社務所を出て行った。


 ほっとした。一人になれた。でも、ここで泣くわけにもいかなかった。

 孤独だ。お母さんにも泣きつくことが出来ない。一番癒してほしい琥珀にも、こんな泣き言を言えない。龍神の嫁になるのに、何を言っていると怒られるだけだ。



 その日から、修司さんが姿を消した。お父さんが英樹おじさんに修司さんがいなくなったことを告げたが、

「どうせあいつのことだ。神主の修業が嫌になって、どっかふらっと行ってしまったのだろう。放っておいてかまわない」

と言われたらしい。


「しょうがないわねえ。もう放っておきましょうよ」

「そうだなあ」

 お母さんとお父さんは、事情を知らないから呆れた様子でいただけだった。だが、私もひいおばあちゃんも、琥珀ですら気を揉んでいた。


「やはり、あの時話を聞かれ、琥珀にやられることを懸念して逃げたのではないか」

 こっそりとひいおばあちゃんの部屋に3人で集まり、そんな話をした。

「いや、逃げたのではない。力を蓄え、きっとやってくる」

「琥珀はどうしてそう思うの?」


「あいつは、力を得たいのだ。だから、彩音やら美鈴を狙っていた。きっと、今よりも強い妖になることが目的のはずだ」

「強い妖になって、いったいどうしたいっていうの?」

「そうだな。例えば、この神社を乗っ取るだとか、山を支配したり人間を支配したり、そんなことまで企む妖もいるかもしれんな」


「え?人間を?」

 こわ~~~。そんなことができるわけ?

「じゃが、龍神がそんなことを許しはしないだろう。それに龍神が力を得れば、どんなに強い妖でも敵わないはずだ。違うか?琥珀」


「……もうろく婆さんでも、そこまではもうろくしていないんだな。その通りだ。龍神はどんな妖にも負けはしない。その力を封じることも容易いことだ」

「龍神が半人前のうちは、それができないんじゃな?」

「……はあ~」

 あ、琥珀がため息をついた。


「そういうことだ」

 なんだか、琥珀、肩を落としていない?それに、今、チラッと私を見たよね。

 結局は、私次第なんだって、琥珀も思っているの?!


「そういうことだそうじゃぞ、美鈴」

 ひいおばあちゃんが念を押すように私に言った。

「やめろ、もうろく婆。美鈴を追い詰めるな」

「ほお。琥珀は随分と優しいんだな、美鈴にだけは優しいようだ。ひゃっひゃっひゃ。それにしても、呼び捨てにするなとよく怒っているが、琥珀ももうろく婆さん呼ばわりをするではないか」


「もうろく婆さんに、もうろく婆と言って何が悪い。ふん!」

 琥珀は本気で怒ったのか、そのまま襖を開けて出て行ってしまった。


「あやつも、龍神の嫁のお前にだけは、頭が上がらないというわけか」

「え?」

「龍神に従えているのだろうから、無理はないか…」

「……」

 ひいおばあちゃんの言葉はどれも、私の心に突き刺さった。


 覚悟を決める。私次第…。

 だけど、どう覚悟決めたらいいのかがわからない。ただ、辛いだけだ。



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