第38話 里奈と悠人お兄さん
「私、変なこと言った?」
「そうだな。本当に時々美鈴は、わけのわからないことを言い出す」
琥珀はそう言うと、またわからないぐらいのため息をつき、暗い足取りで歩いて行ってしまった。
あれ?何か落ち込ませたかな。早くに伴侶が欲しいから?私がそれを認めてあげないから?あ、喜んでほしかったとか?
でも、それは無理な話だ。万が一そんな日が来たとして、私はおめでとうなんて言える気がしない。まったくしない。もしかしたら、結婚なんかしないでとわがままを言って困らせてしまうかもしれない。
ああ、そんな日が永遠に来ないことを祈る。もし、私が認めないと結婚できないなら、一生認めない…って、私、なんて酷いことを思っているんだろう。あ~~~、落ち込む。
その日から琥珀は、毎朝社務所に来て並んでいるお守りに念を入れ直していた。何やら唱え、手をかざすだけなんだけど、不思議とその光景は神々しさすらあった。
そして、そのうちの一つを私にも持っていろと言って渡してきた。肌身離さず持っていようと思い、お守りを首から下げることにした。
不思議とお守りを持っていると安心感があり、いつも琥珀と一緒にいるかのようだった。お守りにはきっと琥珀のエネルギーがこもっているんだろうなあ。
最近はあまり近づいてこなかった修司さんが、さらに私に近づかなくなった。食事の時間も私と一緒になるのを避けているようだし、社務所にも顔を出さなくなった。境内で会っても、遠巻きにこっちを見ているだけで、嫌そうな顔をして去っていった。
すごいな、このお守りの威力。もしや、琥珀が力をつけているんじゃないの?
ん?まさかと思うけど、伴侶を得た…とかじゃないよね?!でも、早いうちに伴侶を得たいって言っていたし。でも、まだ私、何も認めていないし。いや、私が認めなくても関係なく結婚するって決めちゃったのかもしれないよね。
このことを考えると、頭の中がぐちゃぐちゃになるから、なるべく考えないようにしていたのにな…。そうだよ。無になろう。何も考えないようにしなくっちゃ。
蒸し暑い日が続く中、梅雨入りをしたようで、雨が降る日が続くようになり、参拝客も減ってきた。
土日も暇になり、真由もバイトに来なくなったし、里奈もサークルも忙しくなったようで、週に1回しか来なくなった。
そんなある日、里奈がバイトの日に突然、
「ねえ、悠人さんって、お休みの日ないの?」
と聞いてきた。
「お兄さんは休みないよ。まあ、暇な時には午後から街に買い出しに行ったりもしているけど」
「じゃあ、遊びに行ったりしないの?」
「しないなあ...」
「デートは?」
「彼女いないもん」
「彼女が出来たらどうするの?」
「さあ?半日くらいはデートの時間を取れるかもね。特に最近平日暇だし」
「どうしよう。どうやって誘ったらいい?食事とか?映画とか?」
「え?!里奈から誘うの?」
「そんなことをしたら、嫌われちゃう?」
「……里奈、悠人お兄さんのこと好きなの?」
ドキドキしてきた。琥珀が里奈は悠人お兄さんと結婚することになると言っていたけど、まったく進展していないようだったし、お兄さんは里奈を気にしているようだったけど、お兄さんからアプローチをかけられるわけないと思っていたから、実は気になっていたんだよね。
「うん、っていうかさ、気になっちゃって。境内で見かけるだけで目で追っちゃったり、話ができると嬉しいってことは好きってことでしょ?」
「あんな兄でもいいの?大学にもいるでしょ?もっとましな男が」
はっ!いけない。こんなことを言うつもりなかった。ごめん、お兄さん。私は二人をくっつけたいのに。
「あんな兄はないんじゃない?見た目もかっこいいし、何より優しいし誠実でしょ?大学のサークルにいる男どもって外見ばっか気にしてて中身ないし、誠実でも何でもない遊んでばっかりの連中ばっかりで、最近嫌気がさしていたんだよね」
「そうか。里奈はそういう男が嫌いなわけね」
「そういう男が好きなのは真由でしょ。私、ほら、修司さんも嫌いだもん。それに比べたら悠人お兄さんは、ちゃんと一人の人を思っていそうだし、いいよね~~」
「一緒にいて退屈しない?」
「しない、しない。私っておしゃべりだから、うんうんって聞いてくれる人の方がいいし」
「なるほど!それは聞けば聞くほど、悠人お兄さんは里奈のタイプじゃない?」
「でしょ?結婚したら私がお姉さんになっちゃうけど、いいよね?私、神社好きだし、巫女も楽しいし、それに美鈴の家族ってみんなあったかくって優しいし」
「結婚とか考えてるの?」
「そうなってもいいかなあって」
うわ~~~。琥珀の言うとおりになるんだ、やっぱり。
ああ、でも、悠人お兄さんと結婚する頃には、私はもうここにはいないんだよね。もしかすると、今年中にはすでにこの世を去っているかも。
私がいなくなっても、里奈が来てくれるならうちの家族も明るく過ごせていいよね。
私がいなくなっても、きっとみんな寂しくないよね。悠人お兄さんだって、楽しく幸せに過ごせるよね。
じわ~~~~。涙が出そうになって、慌てて、
「ごめん、ここ任せていい?私、悠人お兄さん探して連れてくるよ。そうしたら、どっかに出かけないか誘ってみて」
と里奈に告げ、さっさと社務所を出た。
やばい。涙が出そうだ。必死にこらえ、悠人お兄さんを探した。お社には悠人お兄さんではなく、琥珀がいた。お社の中をじいっと見ている。
「どうした?」
わあ。背中向けたまま聞いてきた。なんで私がいるってわかった?
「悠人お兄さんを探してて」
慌ててそう答えると、琥珀はくるりとこちらを向き、
「用事があるとかで、家の方に帰ったぞ」
と教えてくれた。
「なんかね、琥珀が言っていたように、里奈と悠人お兄さん、うまくいきそうなんだ」
「そうか」
「里奈、明るいし、楽しいし、私がいなくなっても里奈がいたら、家族みんなも明るく過ごせるかなって思っちゃった」
じわ…。あ、また涙が…。
「なのに、なんで泣くんだ?」
「なんでかな。変だよね…」
涙を手で拭った。琥珀は、
「みんなと離れるのが寂しいからか」
と、とってもクールに聞いてきた。
「そ、そうだね、多分」
あまりにもクールに聞いてくるから、私もあっさりと答えるしかなかった。
「そういう気持ちがあるうちは、向こうの世界に行けないからな。まあ、今のうちに寂しい気持ちを味わっておけ」
「どういうこと?いけないって?」
「未練を持ったままでは、行けないのだ。いや、行けることは行けるが、その未練はこの世界に残る。邪念として残り、そのエネルギーが低く暗いと妖となる」
「私の未練が妖になっちゃうの?」
「思いもエネルギーだからな。邪念をこの世界に残していくっていうことになるわけだ。霊も未練があるからこの世界に留まる。それも重く低いエネルギーとなって。それと同じだ」
「妖じゃなくって、幽霊?」
「どちらにしても、低いエネルギー体だな」
「そんなの嫌だよ。みんなにも迷惑だよね?あ、琥珀の力で浄化とかできないの?」
「そうだな。俺も手伝うことはできるかもな」
「手伝うって浄化の?」
「美鈴の未練が残らないように、何か手伝えるかもな。だが、自分で感情や思いに蓋をするな。感じないようにしたら、内側に閉じ込めるだけだ。それよりも感じたほうがいい。自分の内側から外に出すんだ。そのエネルギーは俺が浄化できる」
「寂しいとか、悲しいとかをってこと?」
「そうだ。泣きたいなら泣いてもいいし、怒りたかったら怒ればいい」
「あ、彩音ちゃんにもそう助言していたね」
「ああ。美鈴は、今のままじゃあとてもじゃないが、未練だらけで向こうの世界には行けないな」
「……そうだね」
「覚悟もないしな」
「覚悟ってさあ、例えばお千代さんもしていたの?お千代さんには未練がなかったの?」
「だろうな」
「そんなの、私には理解できないし、無理かもしれない」
「………。それは、龍神の力にかかっているのかもしれないな」
「私が覚悟をしたり、未練を残さないようにするのを、龍神がなんとかするっていうこと?」
琥珀は黙って私をただ見つめた。それから、ふうっと息を吐くと、
「そうだ。龍神の力次第なんだ。すべてな」
と真剣な目でそう私に伝えた。
龍神がどうやって、私の未練を消してくれるの?何か、そんな神通力みたいなものがあるの?魔法みたいに記憶を消しちゃうとか、感情を消しちゃうとか?
いや、琥珀もちゃんと内側から外に出せって言っていたから、どんどん感情を感じさせるってことなの?
それとも、私が龍神の嫁にならないといけないような何かが起きるの?
なんだか、ちょっと怖くなった。琥珀はもちろんそばにいてくれて、私を護ってくれるだろうけど、そもそも龍神自体がどんなものかわからないから、とっても怖い。空にどでかく龍神が現れたり?それとも、何かのエネルギー体なの?そもそも、結婚とかってどうするの?
ああ、考えたくない。何も考えたくない。考えたら怖くなってくるだけだ。
琥珀と別れ、私は家に向かった。悠人お兄さんに、
「里奈が用事があるって」
と社務所に一人だけで行かせた。悠人お兄さんはいったいなんのようだ?と気にしていたが、
「わかんないけど、呼んできてって言われたの」
としらばっくれて、私は背中を押して悠人お兄さんを家から追い出した。
「は~~~」
玄関でしばらく私は一人でいた。すると、
「どうした?美鈴」
と居間からひいおばあちゃんが顔を出した。
「ちょっとね、今、社務所に行けなくって、しばらく居間で休んでいてもいいかな」
と私は家に上がった。そうだ。ついでに修司さんのことでもひいおばあちゃんに相談してみようかな。
「居間に誰かいる?」
「いいや。さっきまで悠人が相談があるとこっそりと来ていたが、美鈴に呼ばれて出て行ったから誰もいない」
「お兄さんが相談?なんの?」
「美鈴のことだ」
「龍神の嫁になるってことを、まだお兄さんが何か調べているの?」
「琥珀と美鈴のことだ」
「お兄さんが何か言った?」
もしかしてこの前私がお兄さんに話したこと?
「まあ、こっちに来い。社務所は誰かおるんだろ?」
「里奈とお兄さんがいる」
「参拝者もどうせ来ないだろうから、ちゃんと話をするか、美鈴」
「う、うん」
居間に行くと、本当に誰もいなかった。
「靖子さんは買い物に行った。朋子さんは多分、社務所の事務室にでもいる」
「そっか」
「あまり、他のものに話を聞かれたくないだろ?美鈴」
「うん」
さすが、ひいおばあちゃん、わかっているんだな。
「琥珀のことだけどなあ、美鈴」
「わかってるよ。琥珀を好きでもどうにもならないってことぐらい私にだって。それに、ハルさんのことも…。ひいおばあちゃんは知っていたんでしょ?ハルさんがここを出て行ってからのこと」
「ハルさんの子どもも、そのまた子どももみんな病弱だったし、それに妖やら悪霊やらに脅かされて生きていたことも、どうにも病気が治らなくて、龍神に助けを求めて山守神社に来たから知っている」
「うん。私も、彩音ちゃんのおばあさんに聞いたの。ひいおばあちゃんの鶴の一声で、笹木家は救われたんでしょ?」
「鶴の一声?」
「龍神はそんなに心が狭い神様じゃないとかって、言ったんでしょ?」
「ああ、その話を聞いたのか。ひゃっひゃっひゃ」
「ひいおばあちゃんはすごいね。でも、龍神はハルさんのことも、笹木家のことも許したってことだよね?」
「まあな。だから、彩音もああやって、神楽を舞えるようになった。それで痣も消えたようだな」
「…私は今、龍神の加護があるから、妖とか悪霊を見ないで済むし、怖い目にもあっていないけど、龍神の加護がなかったら、私も彩音ちゃんと同じ…、ううん、もっと怖い目にあっているかもしれないんだよね?」
「琥珀がそう言ったか?」
「うん。だから、どこかに逃げても、私はきっとハルさんみたいに苦しむことになるんだよね。そして私がもし子どもを産んだら、その子もきっと」
「そうだなあ。何しろ、神門家に生まれるおなごは龍神を産む力を持っているからの。霊力が高く、もし、別の人間との間に子をもうけたとしても、その子もまた霊力の高い子になるというわけなんじゃろうなあ。今まではみんな龍神の嫁になっていたから、そういうこともわからなかったが、ハルさんでそれが証明されたようなものだな」
「あ、そうか。神門家の男の子って、そこまで霊力が高くないのは、神門家に生まれた女の子から生まれたわけじゃないからなのね」
「そうだな。まあ、普通の人よりは霊力が多少あるかもしれんが、そこそこってところだ」
「それなのに、神門家に生まれた女の子は、霊力が高い」
「龍神の嫁になるくらいだからのう」
「………はあ。そんな力いらないのに」
ぼそっとつい本音を言うと、ひいおばあちゃんも「そうだのう」と呟いた。
「あ、そうだった。話っていうのはね、修司さんのこともあるの。琥珀が修司さんは何か悪い妖でも憑りついているんじゃないかっていうの」
「ふ~~む。確かに、最近は特に様子がおかしいから、ひいばあもそれを感じていた」
「いったい、何が憑いているんだろ。琥珀が100パーセントの力を得たら、そんなものすぐにでも浄化させられるとは思うんだけど」
ガタッ。襖がきしむ音がして、襖の方を見ると、隙間から誰かが覗いているのが見えた。とっても怖い獣のような目。
「まさか、琥珀?」
ひいおばあちゃんがそう言ったが、私には彩音ちゃんが言っていた修司さんの獣のような目に思えた。




