第37話 琥珀の伴侶
部屋に戻ると彩音ちゃんが布団をたたんでいるところだった。
「あ、美鈴ちゃん、ごめんね、勝手に寝ちゃって」
「ううん。琥珀が布団を敷いたって言ってた」
「眠そうにしたから、布団を敷いてくれたの。私、知らない間に寝ちゃってた。琥珀さんに悪いことしたかな」
「何が?」
キョトンとすると、
「さっさと寝たりして、悪かったかなと思って」
と彩音ちゃんは首を傾げた。
「別に、疲れていたんだなって言っていたよ」
「琥珀さんは?今、どこに?」
「さあ?部屋にいると思うけど…」
ダメだ。なんだか、私、さっきからつっけんどんになっているかもしれない。
「何か…あった?」
彩音ちゃんが察したのか、心配そうに聞いてきた。
「何もないけど?」
あ、今のもわざとらしかったかな。
「でも、美鈴ちゃん、目が赤いし…」
そうか。泣いたからか…。
「なんでもないの。私も疲れちゃって、眠いだけ」
誤魔化して笑って見せた。
「私に何でも話してって言ってたけど、美鈴ちゃんも私には何も話してくれないよね。私たち、そこまで仲いいわけじゃないしね」
ギク!
「そ、そういうことじゃなくって、本当になんでもないから」
話せるわけがない。琥珀が好きだけど、私は龍神の許嫁なんだとか…。あ、龍神のことは知っているのか。
でも、やっぱり彩音ちゃんに話すのは違うよね。
「琥珀も言ってたけど、私ってけっこうすぐに怒ったり、すぐに泣いたりして、そのあとケロッとしているの。だから、心配しないでもいいよ」
「そう?」
「うん」
元気に笑って見せた。
「そういうのって、羨ましいな」
「そういうの?」
「私、そういうことできなくって。家でも学校でも、誰に対しても本音で話せないし」
「あ!ほら、隣に住んでいる高志さんは?」
「高志君は優しい。だけど、うちの事情をそこまで知らないし」
「おばあ様は?お父さんだって、きっとわかってくれると思うけど」
「わからないよ。私の怖さなんて誰にもわかんない」
うわ。いきなり彩音ちゃんの声が大きくなった。
「あ、ごめんなさい。私、つい…」
彩音ちゃんは、すぐにハッとして、謝ってきた。
「ううん。ごめん。そうだよね。きっと私にもわからないな…。本人しかわからない辛さってあるよね」
「美鈴ちゃん、ごめんね。美鈴ちゃんだって、あるんだよね。私にはわからない大変なこと。それなのに、明るくしていてえらいなあって思ってたの」
「へ?なんのこと?」
「龍神の…」
「彩音ちゃん、知ってたんだね」
「神門家に伝わる言い伝え…みたいなことを、神楽を教えてくれた時にひいおばあさんがちらっと話していたの。山守神社は龍神に護られていて、神門家に生まれた女の子は、龍神の嫁になるんだって。その時、美鈴ちゃんのことを思い浮かべたんだけど、私、まだ13歳だったし、昔話で今はそんなことしていないだろうなって、そう思っていたの」
「ひいおばあちゃん、私には何もそんな話してくれたことないよ。聞いたこともなかったもん」
「そうだったの?私もちらっとしか聞いていないの。ただ、伝説の舞があるらしくって、それは龍神の嫁にしか踊れなくて、天女の舞だとかって…」
「そんな話も初耳だよ」
「うん。私もすっかり忘れてた…。ただ、今日美鈴ちゃんの舞を見て、天女に見えたから、これが天女の舞なんだってわかっちゃって。それで、美鈴ちゃんは龍神の嫁になるのかなって…。そうしたら琥珀さんも言っていたでしょ?美鈴ちゃんは龍神の嫁になる娘だって」
「うん」
そう言えば、しっかりバラしてくれてたよね、琥珀。やっぱり、彩音ちゃんは私を憐れんでいたんだ。
「でも、やっぱり私には昔話としか思えない。琥珀さんはああ言っていたけど、あんなの信じないでもいいと思う」
「彩音ちゃん…」
私にはハルさんのことを、彩音ちゃんに話す気にはなれなかった。龍神の嫁にならないと、私も私の子どももみんな不幸になってしまうこと。彩音ちゃんみたいに、力を持ってしまって苦しむことになるんだよとは…。
「そうだね。うちの家族も実は信じていないの。迷信だよねって言って、本気にしているのなんて、ひいおばあちゃんだけなんだ。だから、彩音ちゃんも心配したりしないで」
そう言うと、彩音ちゃんはほっとした顔を見せた。あ、今の言葉は信じたんだな。
そうだよね。令和のこの時代、いくら龍神ブームとは言え、龍神の嫁になる話なんか信じる人なんていないよね。
夕飯の時間になり、居間に行くとなぜか修司さんがいなかった。
「修司はどこに行った?」
ひいおばあさんの質問にお母さんが答えた。
「また、ふらっと街に行きましたよ。本当にあの人には困ったわ。今日だってお祭りの間どこにいたのやら」
「本当だよなあ。いくら注意しても聞かないし。これはもう、英樹に言うしかないな」
英樹というのは、修司さんのお父さんで、お父さんの弟だ。
「そうよ、お父さん、もう山守神社で手に負えないって言っておいて。修業も何もあったもんじゃないし、あんなで神主になれるわけないって」
「そうだなあ」
お父さんは人がいいから、そんなことを言えるのかな。
でも、今の修司さんは何かが憑いているとしたら、それをとってあげない限り、もとの修司さんには戻れないんだよね。もともとの修司さんは、今思えばもっと明るくて、陽気な人だった。確かにちゃらんぽらんにも見えたし、神主をやる気はなかったように思うけど、敬人お兄さんと楽しそうに笑っている人だった。
あそこまで女の人が好きそうにも見えなかったし。私のことなんか気にすることもなく、うちに来ると敬人お兄さんとばかり話をしていたもの。ここに修業に来た頃は、まだ憑いていなかったのかな。それともあの頃から?だんだんと修司さんが変わっていったようにも思えるんだけど。
そうだった。これ、ひいおばあちゃんに相談しようと思っていたんだ。でも、今日は彩音ちゃんもいるから話せないかな。
夕食後、交代でお風呂に入り、彩音ちゃんと私の部屋に行った。
「ねえ、彩音ちゃん」
「何?」
「その…。琥珀も言っていたけど、そのうち琥珀が一人前になったら、彩音ちゃんの力を封印できると思うんだ。それも、そんなに先のことじゃないって言ってたし」
「うん、そう言ってたね」
「だから、もう少しの辛抱だよ。それまではお守りもあるし、なんとか頑張って」
「……」
私の言葉に彩音ちゃんは、無表情になった。
あ、まずったかな。安心させるつもりが、変な風にとらえられたかな。
「そうだね。琥珀さんのことを信じてみる。琥珀さんが不思議な力を持っていることは確かなんだし」
彩音ちゃんは私から視線を外すとそう答えた。
「う、うん。きっと彩音ちゃんのことを護ってくれると思うよ」
「今は美鈴ちゃんだけを護っているみたいだけどね」
今の、トゲがあったな。
「私は、ほら、龍神の嫁になるからって、そう言ってたじゃない?琥珀もそれを信じているんだよね」
えへっと笑って見せたが、彩音ちゃんは笑わなかった。
「笑えないよ、そんなこと。琥珀さんにもはっきりと言った方がいいと思う。龍神の嫁になんてならないって」
「そ、そうだね。うん」
「そう言わない限り、琥珀さんにもわからないと思う。琥珀さんが何者なのかわからないけど、琥珀さんはそれを信じ切って、美鈴ちゃんを全力で護っているんでしょう?それって、なんだかずるいよね」
「ずるいって?」
「だって、なんだか琥珀さんをだましているみたいじゃない?」
グサ!今の、傷ついた。
「だましていることになるのかな…」
「琥珀さんは、美鈴ちゃんを護るのに必死で、それ以外に力を注げないんでしょ?」
「……」
そうか。私のことを護っているから、彩音ちゃんのことを護れない。それはずるいと言っているのか。
「そうだね…」
龍神の嫁になるのを嫌がって、宙ぶらりんでいるくせに、琥珀に護ってもらいたいっていうのはずるいんだ。私、琥珀の気持ちを利用していることになるのかな。
「ちゃんと、琥珀に言わないとだよね」
「うん、そうだよ、美鈴ちゃん」
でもね、彩音ちゃん、琥珀に龍神の嫁にならないって言うんじゃなくって、龍神の嫁になるってそう言わないとならないの。だって、琥珀は龍神の嫁になるから、私を護っているんだもん。
今のまま、私が宙ぶらりんでいたら、琥珀の思いも、琥珀のしていることも、全部に対して私は裏切っていることになっちゃうんだね。それに、今、気が付いたよ。
翌朝、朝食の時間にも修司さんは現れなかった。そして、彩音ちゃんは朝食後、みんなにお礼を言って家を出た。境内の掃除もあったから、私と琥珀は鳥居まで彩音ちゃんを見送りに行った。
「琥珀さん、本当にありがとうございました」
「ああ、今朝も修司に会わずに済んで良かったな。まあ、お守りもあって、修司もこっちを避けているんだろうがな」
「それで、朝も現れなかったんですね」
「だろうな」
琥珀はクールにそう言った。昨日、彩音ちゃんに優しくなった琥珀、でも、あの時だけで今はとってもクールな琥珀に戻っている。
「琥珀さん、私、一生怖いものに怯えないといけないのかと思っていたんですけど、琥珀さんが護ってくれるってわかって、本当にほっとしています」
「護る?」
「今はまだ力不足だけど、そのうちって」
「ああ、そうだ。多分、今年中には100パーセントの力を得る」
「そんなに早く?」
私がびっくりして琥珀に聞いてしまった。琥珀もそんなに早くにお嫁さんを迎えるの?あ、もしかして、龍神と同じ時期ってことなの?!
「なんだ…、なんでそんなに驚く?」
琥珀が怪訝そうに私を見た。
「びっくりしただけ」
「早い方がいいだろう、彩音とやらのためにも」
「そ、そうだよね。良かったね、彩音ちゃん」
彩音ちゃんも私のことを、不信そうに見ている。そんなに早くに力をつけて、彩音ちゃんを護るの?って思われたかな。彩音ちゃんはまさか、琥珀がお嫁さんをもらって1人前になるなんて知らないものね。
「琥珀さん、じゃあ、また七夕のお祭りの時、巫女の手伝いに来ると思うから、よろしくお願いします」
「来月だな」
「はい。じゃ、美鈴ちゃん、またね」
「うん。気を付けて」
彩音ちゃんは何度も振り返りながら、階段を下りて行った。振り返っては琥珀のことを見ていた。確実に私ではなく、琥珀に視線はいっていた。
「はあ…」
鳥居から境内に戻り、思わずため息が漏れていた。
「なんだ?」
それに気が付いたのか、琥珀が私の顔を覗き込んだ。
「な、なんでもない。ちょっと疲れただけ」
「美鈴は彩音とやらに対して気を使っているな」
「そりゃ、彩音ちゃんはなんていうか、里奈や真由とは違って繊細な感じするじゃない?」
「そうでもない。案外強い。今までいろんな怖い体験をしているのだ。図太くもなるだろうに」
「怖い体験をしているから、弱くなるんじゃないの?」
「そう見えたか?」
「だから、我慢したり、苦しんだり…」
「芯は強いかもしれないぞ」
「そうかな…。彩音ちゃんは純粋で、今にもぽきっと折れそうに見える時もあるけどな」
「純粋という点では、美鈴の方が純粋だろう?」
「私のどこが?!」
「一番本人がわかっていないことが多いものだ」
わかんないよ。こんなにぐちゃぐちゃで、嫉妬ばっかりして、全然純粋じゃないのに。
「美鈴は俺が、100パーセントの力を得るのが嫌なのか?」
突然琥珀は立ち止まると、また私の顔を覗き込んで聞いてきた。琥珀の目は少し、寂しげに見える。
「そういうわけじゃなくって。ただ、そんなに早くに伴侶を迎えるのかってびっくりしただけ」
「…早くに伴侶を迎えるのが、嫌なのか」
「……」
なんて答えたらいいの。お嫁さんなんてずうっと迎えてほしくないとか、言えないよね。
黙って下を向いていると、琥珀は静かに、とっても静かにため息をついた。聞こえるか聞こえないかぐらい小さなため息を。
「琥珀が伴侶…、お嫁さんを迎えるのって、別に私の許可とか必要ないでしょ?」
「は?」
「だから、そんなにがっかりしないでもいいじゃない?」
「許可なくできるわけないだろう」
「そういうものなの?」
「………」
あれ?琥珀の顔が困惑しているように見える。いや、呆れているのかな?




