第35話 彩音ちゃんの涙のわけ
悶々とする私のことは、琥珀も彩音ちゃんも気づいていなかったようで、彩音ちゃんは涙を拭きながら、琥珀に向かって話し出した。
「私、この痣がずっと怖くて、痛いときは耐えることしかできなかったんです。でも、神楽を舞った時、痣が消えてしまったり、この神社に来るといつもは見えている変なものがまったくいないから、とても安心できるし、心地よかったんです」
「この神社は龍神に護られているからな」
「はい。ですよね。とっても奇麗な光を何度か見たこともあるし、精霊みたいな透き通っている人型の光も見たことがあります」
「そうか」
そんなものも見えるの?私はびっくりしていたが、琥珀は驚いた様子はなかった。
「今日も、神楽を舞って、とても心地よくて、安心できて、ほっとしていたのに…」
また彩音ちゃんは涙を流した。
「怖かったのか。修司に憑りついているものが見えたんだろう?」
「はい。時々ああいうのを目にすることはあるんですけど、あそこまで怖い目をしたものは、今まで見たことなかったし、それにすっごく冷たくて…」
「体も冷えていたな。あいつの気にやられたんだな」
「安心できる場所で、神楽も舞ったあとだったのにどうしてって、さっきまで絶望していたんです。もう、どこにも私の安心できる場所はなくなったって」
「そうか。それは悪かった。ここの結界をもっと強化しないとな」
「いいえ、違うんです。琥珀さんが助けてくれたことが嬉しくて、私…、すっごく安心できて…」
また彩音ちゃんは涙をぽろぽろと流し、でもそのまま琥珀を見つめていた。
そうか。彩音ちゃんが泣いたのは安心したからだ。琥珀が助けてくれてほっとして、嬉しくて、ようやく安心できる場所…ううん、安心できる人にめぐり逢えたと喜んでいるんだ。
そんな彩音ちゃんを見ているのが苦しい。これは嫉妬だ。琥珀も優しい目で彩音ちゃんを見ていて、私は嫉妬している。だけど、同時になぜか彩音ちゃんの喜びとか、ほっとした気持ちとかを感じ取れて、良かったと思っている私もいる。
ただ、喜んであげられたらいいのに、彩音ちゃんに優しくする琥珀にもやもやしたり、そんなに優しくしないでって思っている醜い自分もいて、それが辛い。
「今は、俺の気を分けた。だが、神社から出れば、また邪気にやられる可能性はある」
「……それは、いつまで続くんですか?一生?」
すがるような目で彩音ちゃんは琥珀に聞いた。
「そうだな…。人間には陰と陽の感情があるからな。陰のエネルギーは、邪気と引き合う。悪霊や妖を自ら引き寄せてしまう」
「私が引き寄せている?」
彩音ちゃんの顔が一気に曇った。そして、俯いてしまった。
「己のせいではない。みな、人間は陰と陽があるのだ。美鈴にもある。それでバランスが取れている。この世界はすべて陰と陽、両方のエネルギーを持ち、バランスを取っているのだ」
「……バランス」
「そうだ。彩音とやらは、随分と陰のエネルギーを内側に抑え込んでいるんだな」
「え?抑え込んでいる?私が…」
彩音ちゃんは、途中で黙り込み何かを考え込んでいる。
「思い当たるのだな?」
琥珀の質問に、彩音ちゃんは頷いた。
「誰にも言えず、苦しくても自分だけ我慢をして、抑え込んできたのだろう?」
彩音ちゃんはそう言われ、またぽろっと涙を流した。
ああ、そうだよね。きっと誰にも言えず、一人で怖い思いをしたり、本当の想いを告げられず、笑顔でいたんだろうな。ずうっと、悲しみも苦しみも一人で抱えていたのかもしれない。
「そういう内側にある陰のエネルギーに、邪悪なエネルギーが吸い寄せられていたのだ。特にお前は霊力が高い。だから、そういったものが見えてしまうし、その恐れがまた己の中の闇を拡大させていた。そこに悪霊たちは入り込み、体を蝕もうとしていたのだ」
「私の中の闇が原因。だったら、私はどうしたら?」
「一人で抱え込もうとするな。聞いてもらえそうな相手に話せ。美鈴でもいい。美鈴は人の思いや感情とリンクすることが出来る。さっきから、お前の苦しみも、喜びも美鈴には感じ取れているようだからな」
「なんで?なんで琥珀にはわかるの?」
「わからないわけがないだろう。美鈴を通して俺にまで伝わってきているからな」
どういうこと?神使ってそんなことまでわかっちゃうの?それとも、琥珀の何か特別な能力とか?
「美鈴ちゃんなら、わかってくれるんですか?琥珀さんも?」
「俺はそこまで人間の感情や思いをわかるわけではない」
「琥珀さんっていったいなんなんですか?さっきもすごく奇麗な光を放っていました」
「それは美鈴からも見えるだろう?神楽を舞っていて見えていたんじゃないのか?」
「私の光?」
「はい。奇麗な光が辺り一面に広がって、美鈴ちゃんはまるで天女に見えました」
「だから、それ、おおげさだよ」
「おおげさでもなんでもない。あれは天女の舞だと言っただろ?」
「え~~~。そう言われても」
「だけど、琥珀さんは特別なんです。オーラが他の人とは全然違う。その時々で色が変わるし、強さも大きさも比較にならないくらいで」
「………」
琥珀は何も答えなかった。ただ、黙って彩音ちゃんを見ている。その目はさっきの優しい目ではない。いつもと同じ、クールなまなざしだ。
「いいか。闇を一人で抱えるな。いずれ、俺がもっと力を得られたら、お前の霊力も抑えることが出来る。そんなにそれは先の話ではない。それまでは、自分で自分の気をコントロールするしかない」
「自分でコントロールができるものなんですか?」
「ああ。いつまでもくよくよしないで、さっさと嫌なことは忘れることだ。それから、誰かに遠慮したり、我慢したりせず、もっと自由になることだ」
「そんなことはできません」
「なぜだ?もともとみな自由なのだ。誰かの言うとおりに人形みたいになっているのではないのか?それは逆に相手のエネルギーも下げていることになる。相手がお前に執着するからだ。支配しようとするから、相手のエネルギーも低いものになる。お前が自由になれば、同時に相手も自由になるのだ」
「お母様も自由に?」
「そうだ。解放される」
「もし、私が自由にしようとしても、お母様に抑えつけられそうになったら?」
「怒ればいい。私はあなたの人形じゃないとハッキリとな」
「お、怒っていいんですか?」
「わけのわからないことを言うな。なぜ、怒ってはダメなのだ。そうやって今まで、自分の感情を内側に抑え込んでいたのだろう?」
「はい」
「怒って、感情を自分から出してみろ。すっきりする。美鈴を見てみろ。いつでもすっきりした顔をしている」
「私?なんでいきなり私の話?」
びっくりして琥珀にそう聞き返すと、
「怒りたい時に怒って、さっさと忘れて、たくさん食べる。実に健康的だろう?なあ?美鈴」
「たくさん食べるは余計だけど」
それに、すっきりしていないことも、最近多い。どれも、琥珀がらみだけど…。それは琥珀にはわかっていないんだな。
「はい。わかりました。まだ、親に歯向かうのが怖いけど、徐々にそうしてみます」
「歯向かうのではない。自分に素直になれと言っているのだ。嫌なものは嫌。怖いことは怖いと素直になれ」
「………琥珀さんって、不思議」
「何がだ?」
「今の言葉だけでも、私、救われました。そんなこと言ってくれる人誰もいなかった」
「それは良かったな」
琥珀は一言そう言うだけで、またクールなまなざしで彩音ちゃんを見ている。さっきの優しい目や表情はなんだったんだろう。
「はい。ありがとうございました」
彩音ちゃんはそうお礼を言い、ペコリとお辞儀をした。
「もう、体の調子も良くなったのなら、帰れるな」
「え?」
彩音ちゃんは、琥珀の言葉にびっくりしたようだった。でも、
「はい、帰れます」
とすぐにそう答えた。
「嘘だ。彩音ちゃん、また嘘を言う。また、自分の気持ちを誤魔化してない?」
「え?!」
私の言葉に、彩音ちゃんがたじろいだ。
「本当は今すぐ帰りたくないんじゃないの?まだ、ここにいたいって思っているよね?」
「……でも、あんまりここにいたら、迷惑だろうから」
「もう!琥珀がそんな冷たいこと言うからだよ。別に泊っていってもいいんだからね」
そう自分で言ってびっくりした。琥珀と仲良くしてほしくないとか、本当はさっさと帰ってほしいとか思っていたんじゃないの?私の方が誤魔化しているんじゃないの?
「はははは」
「なんで琥珀笑うのよ」
「だから、言っただろう?美鈴はお前の気持ちを読み取る力を持っている」
「あ、もしかして試したの?」
「いいや。そういうわけではないが。まあ、試したと言ったら試したか…。彩音とやらがちゃんと素直になれるかどうかをな」
「あ…」
彩音ちゃんは顔を赤くさせ俯いてしまった。そして、また顔を上げると、
「あの、私はまだ帰りたくないです。できたら、今日泊っていきたい…」
と若干小さめの声でそう言った。
「いいよ。あ、お母さんにはさ、私のお母さんから、泊るってこと連絡してもらったらいいよ。私のお母さん強引だから、彩音ちゃんのお母さんには何も言わせないよ。大丈夫、任せて。じゃあ、もう少しここで休んでいてね。私、今日彩音ちゃんが泊るってことを、お母さんに言ってくるね」
そう言って私はさっさと立ち上がり、部屋を出た。そして、廊下を歩きながら、小さなため息をついた。
確かに、私は彩音ちゃんの思っていることが瞬時にわかるみたいだ。でも、それを優先すると、私の気持ちを誤魔化すことになる。私が素直じゃなくなる。だって、私はここに彩音ちゃんはいることを嫌がっているんだもの。
彩音ちゃんが琥珀のそばにいることも、本当は嫌なのに二人きりにさせてしまった…。ああ!悶々とする。
居間に行くと、
「美鈴ちゃん、彩音ちゃんは大丈夫なの?」
と、おばあちゃんが心配そうに聞いてきた。台所からもお母さんが現れ、
「彩音ちゃん、具合悪いんだって?」
と駆け寄って聞いてきた。
「うん。大丈夫。また琥珀が気を与えて、彩音ちゃんは元気になったよ」
「そう。琥珀君が…。良かったわ~~」
おばあちゃんも、お母さんもほっと胸を撫でおろした。
「でも、今日は彩音ちゃんに泊っていってもらおうと思ってるの」
「そうね。その方がいいわ。これから帰っても遅くなるし、今日は彩音ちゃん、疲れたでしょうしね」
「じゃあ、すぐに彩音ちゃんのお母さんにも連絡入れるわね、今電話しちゃうから」
おばあちゃんもお母さんも泊まることにすぐに賛成し、お母さんは案の定、さっさと彩音ちゃんのおうちに電話を入れた。
そして、
「彩音ちゃんには今日もたくさん手伝ってもらって。だいぶ疲れたようなので、こっちに泊ってもらいます。あ、いいんですよ、遠慮なさらず、こっちはいつも大所帯ですから、全然お気遣いなく。では!」
と強引に電話をさっさと切ってしまった。さすがだ。
その一部始終をちゃんと見届けてから、私はまた2階に上がった。だけど、自分の部屋に入るのに勇気がいった。もし、彩音ちゃんと琥珀が仲良くしていたらどうしよう。襖の前で躊躇していると、グイっと腕を掴まれてしまった。
誰?突然でびっくりした。また、修司さん?とも思ったが明らかにオーラが違うので、確認するまでもなかった。琥珀だ。振り向くと、やっぱり琥珀が私の腕を掴んでいた。
ほっとする。琥珀の手は冷たいのに、オーラがあったかいからなんだろうなあ。
「彩音ちゃんは?」
小声でそう聞くと、琥珀は黙って私の腕を掴んだまま、自分の部屋へと私を連れて行った。




