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第34話 優しい琥珀

 17時になり、社務所を閉め、里奈と真由は帰って行った。彩音ちゃんは少し家で休んでいってねとお母さんから言われ、私と一緒にそのまま家に向かった。


「お疲れ様、彩音ちゃん。今、お茶でも入れるわね」

 居間に行くと、おばあちゃんが彩音ちゃんを優しく迎え入れ、私にも、

「美鈴ちゃんもお茶でいいかしら」

と聞いてくれた。


「うん、同じでいいよ」

「お腹も空いたでしょう?大福とおせんべいがあるから食べて」

 あ、そうか。綺羅ちゃんがいないから、洋菓子じゃないんだな。今日は綺羅ちゃん、誰かのライブとかでこっちの手伝いには来れなかったんだよね。


「美鈴ちゃん、彩音ちゃん、今日の神楽、奇麗だったわよ」

 お茶を持ってきてくれたおばあちゃんが、二人を褒めてくれた。

「ありがとうございます」

 彩音ちゃんはお礼を言ってから、なんだかそわそわしている。


「あの、琥珀さんは…」

「琥珀はまだだ。多分境内の浄化をしているんだろうなあ」

 ひいおばあちゃんが、お茶をすすりながらそう言った。あ、なるほど。彩音ちゃん、琥珀がいないから気になったのか。

 実は私はほっとしている。彩音ちゃん、琥珀に直接聞くって言っていたから、気になっていた。


「やれやれ。疲れた疲れた」

 そう言いながら、居間に修司さんが現れた。彩音ちゃんは一瞬喜んだ表情を見せたが、どうやら修司さんでがっかりした様子が見て取れた。

「修司、何が疲れただ。またどうせ、何の仕事もしなかったんだろう」

「ああ、うるさい!ちゃんと仕事をしていたさ」

 うわ。修司さん、ひいおばあちゃんにうるさいって言った!


「彩音ちゃん、昨日も来ていたのに会えなかったね。なんだか久しぶり」

 修司さんはそう言いながら、彩音ちゃんの隣に座ろうとしたが、

「う?!」

と、その場からいきなり飛びのき、

「あんた、何持ってるんだ?」

と彩音ちゃんを睨みつけた。


「え?何も…」

 そう言いつつ、彩音ちゃんは修司さんの方に顔を向けてから、なぜかギョッと目を丸くした。

「あれか。真由って女も持っていたお守りか」

「……」

 修司さんの顔は引きつっているし、彩音ちゃんはそんな修司さんを見て怖がっているし、何が起きたの?


「くそ」

 修司さんは舌打ちをして、その場から逃げるように和室を出て行った。

 

「彩音、どうした?顔色が悪いぞ。それに、修司はいったいどうしたと言うんだ?」

「ひいおばあちゃん、それについてはあとで話すよ。それより彩音ちゃん、大丈夫?少し私の部屋で休まない?」

 彩音ちゃんは事情をここでは話しづらいだろうと思って、2階の私の部屋へと場所を移動した。ひいおばあちゃんも、おばあちゃんも心配そうに見ていた。


 私の部屋に入ると、彩音ちゃんは突然、

「は~~~~~」

と思いきり息を吐き、へなへなと座り込んでしまった。

「大丈夫?そんなに具合悪かったの?布団敷くから少し寝る?」


「大丈夫。ただ、ちょっと寒気がする」

「わかった。私のパーカーでも羽織って」

 タンスからパーカーを引っ張り出した。もう6月だし、今日はけっこう蒸し暑いのに、彩音ちゃんは本当に顔を青くしてガタガタと震えている。


「大丈夫?」

「うん」

「もしかして、修司さんに気を取られた?でも、お守りが護ってくれたんだよね?修司さんの方が痛そうな顔をしてたよね。前に真由にもお守りを渡しておいたの。真由に近づこうとして電流みたいなのが走ったらしく、近づけなかったみたいなんだ。きっと、さっきもそうだったんだね」


「お守りが護ってくれたの?」

「うん。修司さんって、なんか邪悪というか、変なもんに憑りつかれている可能性があるんだよね」

「やっぱり…。前々から、修司さんには影があって、時々修司さんの後ろに何か張り付いているように見えてたの」

「張り付いている?」


「それが、さっきはいなかったんだけど…。でも、あんた何持ってんだって、そう私に怒鳴ったあとは、修司さんが修司さんじゃなくなってたっていうか」

「え?修司さんじゃなくなってた?私から見たら、確かに怖い顔はしていたけど、修司さんだったよ」

「うん。見た目は修司さんなんだけど、目とか獣みたいだったし、大きな黒い影に覆われてて、黒い影の形も獣みたいに見えたの」


「獣?!」

「怖かった。そのまま襲ってくるかと思った。それに、修司さんから来る空気っていうかオーラっていうか、すごく冷たくて」

「あ、それはわかる。私も感じる…。そうか。彩音ちゃんには前から見えていたんだね」

「何に憑りつかれちゃってるの?それ、なんとかならないの?」

「わかんないけど」


「いた…」

 いきなり彩音ちゃんが顔を引きつらせ、胸を抑えてその場にうずくまってしまった。

「彩音ちゃん?どうしたの?やっぱり修司さんに気を取られた?心臓が痛いの?」

「違う…。痣が…。時々出てくるの。最近はずっと消えていたし、神楽を舞ったあとは痣が出ることもないんだけど、なんで…」


「痣が痛むの?」

 彩音ちゃんは顔をしかめながら黙ってうなずいた。

「どうしよう。いつもはどうしたら治る?お守り持っていてもダメ?」

「いつも…、おさまるまで待つしか…」

 そんなこと言ったって、苦しそうだよ。息遣いも荒くなってる。私は彩音ちゃんの背中をさすることしかできず、

「あ、琥珀だったら治せるかも」

と参拝客の具合が悪いのを治してしまったことを思い出した。


「琥珀、来て!」

 彩音ちゃんの背中に手を当てたまま、私は琥珀を呼んだ。

「…そんな、まだ境内にいるのに、来れるわけが…」

 彩音ちゃんが息苦しそうにしながらも、そう言っている途中で、

「どうした?」

と琥珀が襖を開けた。


「え?」

 彩音ちゃんがびっくりしている。

「琥珀、彩音ちゃんの胸に痣が現れて、痛いんだって。なんとかしてあげて」

 私は泣きそうだった。彩音ちゃんの苦しみがなぜだか伝わってきた。痛みではなくて、心の苦しみだ。


「わかった」

 琥珀は部屋の中に入り、彩音ちゃんの前にしゃがむと、

「体を起こせるか?辛かったら寝転がってもいい」

と、彩音ちゃんに静かな声で聞いた。


「はい、う…」

 うずくまったまま、彩音ちゃんは畳に横たわった。

「辛いかもしれないが、仰向けになって胸をこっちに向けてくれ」

 琥珀がいつもより、ずっと優しい表情で声も優しい。


「……」

 そんな琥珀の顔を見ながら、彩音ちゃんはなんとか仰向けになった。琥珀は彩音ちゃんの胸の辺りに手をかざすと、何やらぶつぶつと唱えだした。すると、彩音ちゃんがまぶしそうに眼をギュッと閉じ、

「う!」

と一回だけ声を上げると、そのあとは、体から力が抜けたのかダランとしてしまった。


「彩音ちゃん?」

 うそ。寝ちゃった?それとも気を失った?

「大丈夫だ。すぐに気が付く。何か上からかけてやれ」

「あ、うん」

 押し入れからタオルケットを出して、彩音ちゃんの上にかけてあげた。


「あ、顔色も良くなってきた。良かった…」

「そうだな。体もあったまったんだろう」

「何だったのかな。悪霊?」

「そうだな。だが、おかしいな。お守りも持っていたし、一応この家も結界に護られている。悪霊などが入る隙などないはずだ」


「修司さんかな」

「修司?」

「さっき、彩音ちゃんの隣に来たんだけど、お守りのおかげで、修司さん、近寄れなかったの。なんかすっごく痛がってた」

「ああ、お守りの効力だな」

「うん。でも、そのあと、彩音ちゃんが修司さんを見たら、獣みたいな目をしてて、修司さんが獣みたいな黒い影に覆われていたんだって。私には見えなかったんだけど、途端に彩音ちゃんが寒がっちゃって」


「獣の黒い影?」

「うん。私の部屋で休んでもらおうと連れてきたら、いきなり胸を抑えて苦しがったから、私、琥珀だったらなんとかしてくれるかと思って呼んだの」

「…修司についている妖の仕業か…。こんな結界の中で、お守りを持っている彩音に発動させたのか」

「発動?」


「何か負のエネルギーでも彩音に送り込んだか、もしくはその黒い影を見ただけでも、影響があったのか。もしくは…」

「うん」

「一番考えられるのは、彩音の中にある負のエネルギーが共振し、痣がまた現れたのかもしれないな」

「彩音ちゃんの中にもあるの?」


「誰にでもある。人間には陰と陽のエネルギーがあって、バランスを取っている。どっちかに傾いたときに体の調子や心の調子を崩す」

「私にもある?」

「あるだろう?心の中に、陰の思考や感情を持っているだろう?」

「う、うん」

 そうだ。私にもある。彩音ちゃんに嫉妬した。これは陰の感情だよね。


「それに、痣が消えても現れるのを繰り返しているのなら、彩音にも悪霊が憑りつき、いつもは姿を消して隠れているのが、陰のエネルギーによってまた表面に現れるのかもしれないな」

「憑りつかれているの?」

「痣が広がり、だんだんと体を蝕んでいく…。低いエネルギーの悪霊や妖によってはそうやって人の体を乗っ取っていくものもいる。そんな話を前にもしただろう?」


「うん。そう言えば。じゃあ、どうやったらその悪霊を退治できるの?修司さんにも憑りついているよね。どうやったら、すっかり消せるの?何か祈祷するとか?」

「ああ、昔の日本には悪霊退治をする陰陽師とかがいたんだがな。そんな力を持っているものは今いないからな」


「じゃあ、どうしたらいいの?このままじゃ、彩音ちゃんは何度も何度も苦しむことになるよ。前は神楽を舞ったら痣が消えたって。でも、さっき神楽を舞ったばかりなのに」

「そうだな。それも美鈴の神楽はこの場を浄化させる天女の舞だったのにもかからわず、その横で舞っていたこの者の悪霊は浄化されなかったということになるな」

「私の舞が天女の舞?」


「神と一体、森羅万象と一体になる舞だ。この空間自体が宇宙と化したのだ。それは次元の高いエネルギーになったのだ。一気に多くのものに巣くっていた闇を浄化したり、癒したり、この場の穢れを取り去った。そんじょそこらの低い悪霊も、妖も消し飛んだはずだ。多分、修司は境内にいることすらできなかったはずだ。どこかに身を潜めていたのだろう」


「それでいなかったのか。でも、彩音ちゃんは一緒に踊っていたんだよ?」

「そうだな。悪霊は消えたはずだ。やはり、修司に憑いている悪霊か妖のエネルギーでも、もらってしまったのかもしれんな」

「……。それで、陰陽師がいなかったらどうしたらいいの?あ、私がまた舞えばいいのかな」

「いや。とりあえず、今は痣も消した。俺が浄化はしておいたし、気も分け与えた。しばらくは大丈夫だ」


「しばらくでしょ?また、出てくるかもしれないんだよね」

「霊力が高いからな。悪霊や妖を見てしまい、そのエネルギーをもらってしまったり、憑りつかれやすいんだ」

「霊力をなくせないの?じゃなかったら、私みたいに抑えるとか」

「前にも言ったが、今の俺では力不足だ」


「あ、そうだった。忘れてた」

「俺が伴侶を得れば、この者の霊力を抑えることなど容易いことなんだがな…」

 ギク…。

 琥珀に伴侶…。嫌だ。そんなこと考えたくもないのに。


「ん…」

 その時、彩音ちゃんが目を開けた。そして、しばらくぼ~っと天井を見てから、ようやく琥珀と視線があったようだ。

「彩音ちゃん、大丈夫?」

 私が声をかけても、彩音ちゃんはじっと琥珀を見ている。


「ああ、奇麗な光」

 え?何言ってるの?彩音ちゃん。意識が朦朧としているの?

「目が覚めたか。痛みは消えただろう?」

「はい」

 彩音ちゃんは、すぐに体を起こし、ちゃんと正座をしてから、

「ありがとうございます」

とお礼を言い、そのあとぽろぽろと涙を流しだ。


 え?なんで泣いてるの?


「どうした?」

 琥珀はまったく動揺を見せず、ただ彩音ちゃんにそう優しい声で聞いた。


 え?なんでそんなに優しい声で、優しい表情なの?それは、私にだけ向けてくれるものだって思ってた。それは、特別な時だけ見せるものじゃないの?なんだって、彩音ちゃんにも見せちゃうの?



 

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