第3話 遠い親戚の琥珀
翌朝、私はまた掃き掃除をしていた。これは朝の日課だ。朝食が終わってすぐに始める。境内やお社の掃除は担当が決まっていて、私とお兄さんと両親が、担当の場所を掃除している。おじいちゃんは腰が痛くてなかなか掃除もできないし、おばあちゃんは主に家の中の掃除をひいおばあちゃんとやっている。
私や兄たちは、もの心がついた頃から境内の掃除を手伝わされた。悠人お兄さんはいつも真面目にやっていたが、敬人お兄さんはすぐにさぼって遊びだしていた。
私はというと、掃除をしながらも風で落ちてくる葉っぱや、木の枝に止まって鳴いている鳥、神社の周りの季節ごとに咲く花の香りを楽しんでいた。舞い踊る葉っぱも、鳥の鳴き声も面白かったし、一緒に遊んでいるような感覚があった。
それに実際、私は何かとよく遊んでいた。それは境内の隅だったり、人が来ないような場所で秘密に誰かと会って遊んでいたような気がする。もしかしたら、野良猫かウサギか狐やタヌキの類か。動物だった気もするんだよねえ。でも、なぜかはっきりとは覚えていない。
とにかく、私はこの神社がなぜだか好きなのだ。ここの空気、ここの匂い、風。掃除をしていても気持ちがいい。空を見上げ、風で靡く雲を見た。ああ、今日は天気がよさそうだな。
そういえば今朝、また昨日のようにみんなが暗くなっていたり、龍神の話でも出るかと思っていたのに、いつもの朝と同じで静かにみんな食べていたな。一人遅くに起きてきた修司さんがやけに明るくて鬱陶しかったけど…。基本、朝から忙しいからみんな黙々と静かに朝食は食べるんだよねえ。
ぼけっとしながら空を見ていた。するといきなり突風が吹き、履いた葉っぱたちが舞い上がり私の顔に当たった。
「うっぷ!何この風、せっかく履いたのに~~~」
また、掃除をし直さなきゃ…。
「今日は木に登らないんだな」
え?
後ろからいきなり声を掛けられ振り返ると、また無表情の琥珀が立っていた。
「び、びっくりした。突然現れないでよ」
ああ、びっくりした。心臓がバクバク言ってる。
「琥珀、あなた一体何しにここに来るの?朝早くから参拝?」
「いいや」
「じゃあ、何?だいいちなんで神主みたいな恰好をしているわけ?」
「神主なわけではない。だが…、しばらくここにやっかいになる」
「ここって、山守神社?」
「そうだ」
琥珀は少しだけ口元を緩ませた。だが、すぐにまたクールな顔つきになると、右手を振り上げた。するとまた風が吹き、ざあっという木々のざわめきが辺り一面を覆った。
「うわ、また強風?」
目をつむり、砂埃が目に入らないようにした。それからすぐに目を開けると、すでに琥珀は家の玄関の前に立っていた。
あ、いつの間に。歩くのが早いなあ。とりあえず、琥珀の素性が知りたいし、私もついていこうと玄関まで急いで走って行った。
琥珀はガラス戸をトントンとノックしてから、勝手にガラリとガラス戸を引いた。すると中から、
「は~~い、どなたですか?」
というおばあちゃんの声が聞こえた。
「おばあちゃん、あの、この人琥珀って言ってね」
琥珀の後ろから顔を出し、そう説明をしようとすると、
「失礼する」
と琥珀はまだ話の途中なのに草履を脱ぎ、勝手に家に上がってしまった。
「琥珀…さん?」
「今日からここでしばらくやっかいになる」
「えっと…誰だったかしら」
「おばあちゃんも知らないの?ひいおばあちゃんに昨日聞いても知らないって。ちょっと、琥珀、あなたなんで勝手に上がってるのよ」
琥珀の腕を掴み、奥へと入ろうとしているのを阻止しようとしたが、琥珀の手はひんやりとしていて、それに力強い。全然私の力じゃ、止められやしない。
「ああ、もしかして頼んでいたお手伝いの方かしら」
「手伝い?」
おばあちゃんが私の後ろからちょこちょこついてきながらそう聞いた。
「ああ、そんなもんだ」
琥珀は偉そうにそう答えた。おばあちゃんにまで偉そうなんだ、こいつ。
「おや」
奥の和室からおじいちゃんが顔を出した。そして琥珀を見るとにこりと微笑み、
「やあ、やあ。手伝いに来てくれた琥珀君だね」
と琥珀に親しげに声をかけた。あれ?おじいちゃんの知り合いなの?
その時トイレから出てきたお父さんまでが、
「ああ、琥珀君だ。今日から手伝いに来てくれたんだっけねえ。わざわざすまんねえ」
と、にこにこしながら琥珀の肩をぽんぽんと叩いた。その手を琥珀は冷たい目で見つめ、
「しばらく世話になる」
と横柄な態度でお父さんに答えた。
「お父さんの知り合い?」
「そうだ。確か…遠い親戚…だったかな、琥珀君」
「そんなようなものだ」
わあ、琥珀、誰に対しても言い方が偉そう。
「そうか。昨日は日にちでも間違えたか、それとも下見にでも来たの?琥珀」
私が琥珀にそう聞くと、琥珀はくるりと私の方を向き、
「18の誕生日だったんだよな」
と聞いてきた。
「え、うん」
だから、何?お祝いでも言いにわざわざ来たとか?まさかね。
「それを確認に来ただけだ」
え?なんで?
琥珀はそれだけ言うと、またくるりと向きを変え、奥にあるひいおばあちゃんの部屋へと足を進めた。私も追いかけようとしたが、
「美鈴、掃除がまだ終わってないみたいじゃない?早くに終わらせて」
と玄関の外からお母さんに声を掛けられ、仕方なく家を出た。
「お母さんはお社の方を掃除してくるから」
「あ、ねえ、お母さんも琥珀のこと知ってたの?」
「琥珀君?今日から山守神社の手伝いをしにきてくれている親戚の子でしょ?仲良くするのよ、美鈴」
「え?う、うん。わかった。あ、琥珀っていくつくらいなのかな」
「あんたと同じくらいでしょ。じゃあ、しっかりと掃除しなさいよね」
そう言い残すとお母さんはお社のほうに向かって行った。
なあんだ。みんな知っていたんだ。あれ?ひいおばあちゃんだけが知らなかったってことなのかな?ま、いっか。とりあえず、嫌な奴みたいだけど、あんまり関わらなかったらいいだけだしね。
掃除が終わり、社務所に行った。すると修司さんが油を売っていた。
「そうなんだ、壬生ちゃん、面白いねえ」
「そういう修司さんも楽しい人ですね」
あ、壬生さんと仲良くなってる。
「こんなところで油売ってたら、お母さんに怒られますよ」
「美鈴ちゃん、いやだな、僕はただ巫女さんとも仲良くなったほうがいいかなって思っただけで」
「なぜですか?」
「え?仲良くなったほうがいいでしょ。仲悪いより」
「そうだよ、美鈴ちゃん」
修司さんの言う事に壬生さんも賛同すると、
「だよねえ?」
と修司さんは壬生さんににっこりと笑ってみせた。
なんだかなあ。この二人は似たもの同志なんじゃない?どうでもいいけどさ。勝手に仲良くやってくれてもかまわないけど、仕事だけはちゃんとしてよね。そう心の中でつぶやきつつ、ムッとしながらお守りを並べていると、
「そんな顔では参拝客が逃げていくぞ」
と突然真ん前から声が聞こえてきた。
「うわ、びっくりした」
琥珀が真ん前にいた!いったいいつからいたの?社務所の窓に顔を近づけて私に話しかけたのか。
「え、ちょっと美鈴ちゃん、このイケメン誰?」
こそこそと壬生さんが聞いてきた。今の声、琥珀にも聞こえたかもと思いながら琥珀を見ると、すでに琥珀は社務所の前にはいなかった。あ、お社のほうに行ったのか。
「今のは琥珀って言って、手伝いをしてくれる遠い親戚です」
「琥珀さん?かっこいいね。そうか。事務員さんってことかな。わあ、あんなイケメン拝めるんだ。嬉しいなあ」
うわ。壬生さん、心の声が駄々洩れですけど?
「琥珀だって?」
後ろから修司さんの声が聞こえた。
「あ、修司さん、まだいたんですか!」
壬生さんがびっくりしている。そうか。修司さんがいないと思って琥珀のことをべた褒めしたのか。あらら。修司さんに聞かれちゃったじゃん。
「遠い親戚だって?美鈴ちゃん」
「だそうですよ」
「う~~ん、僕は知らないなあ。同じくらいの年だろ?いたかな、あんな親戚」
修司さんは首を傾げてから、
「壬生ちゃんは、ああいうのが好みかな?」
とにっこりと壬生さんのことを見た。でも目は笑っていない。
「いいえ~~。ちょっと冷たそうだし、明るくて楽しい修司さんのほうが私は好みかな?」
えへっと壬生さんは微笑んだ。
「そっか~~~、壬生ちゃんは僕が好みなのか~~」
修司さんはそれを聞いて喜んでいるようだけど、男ってなんて単純なのかしら。特に修司さんはそうなわけ?嫌だ嫌だ。
なんてね。彼氏いない歴18年の私が男を語るなっていう感じだけどさ。でも、マジでいい男なんて身近にいなかったもの。修司さんみたいな女ったらしだったり、逆に悠人お兄さんみたいなまるっきり女性が苦手なのも嫌だし、敬人お兄さんはまるで女のことをわかっていない唐変木だったし。
クラスの男子だってガキばっかりだったし、付き合えそうだった人も今思えば、たいしたことのない男だったよなあ。
「いい男なんて、この世にいるんですかね、壬生さん」
「え?何言ってるのよ、18の若さで。いろんな男と付き合って、見つけるんじゃないの」
「まじで?うわあ。疲れそう」
「美鈴ちゃんって、そういうところがおばさん臭いっていうか、普通の女の子じゃないよね。もっと恋したいって思わないの?」
「……う~~~ん、恋はしてみたいけど、するなら最上級の人がいいなあ」
「最上級?あはは、おかしい!それってどんな人なわけ?」
笑ったな。なんだか頭に来るなあ。
「そりゃ、私だけをちゃんと大事にしてくれる人ですよ」
「え~~、それが最上級の彼氏なわけ?」
「そうですよ。一番の条件ですよ。違いますか?」
「そうねえ。私、あんまり独占欲強すぎても嫌だなあ。まだまだ、色んな人と付き合ってみたいもん」
壬生さん、さっきから本音バシバシ出ているけど。もう修司さんもいないからいいのかな。修司さんもお社のほうに行ったみたいだしな。
私は色んな人と付き合いたいとは思えない。付き合うならちゃんと私が好きになって、私を好きになってくれた人がいい。私を大事にしてくれる人。独占欲とかじゃないよ。大事にするってそういうことじゃない気がする。
こういうことを高校の頃友達に言っても笑われた。男に夢見過ぎだとか、だから彼氏が出来ないんだとかって…。そうなのかなあ。
そんなこと思っていたら、いつまでたっても彼氏はできないのかな。で、結婚もできなかったりして。
ん?何か忘れてない?
そうだった~~~~!結婚も何も私は龍神の許嫁だったんだっけ!!!
恋もしないうちに、龍神に嫁ぐことになるの?わあ、冗談じゃない!それだけは阻止!
大丈夫、気に入られなければいいだけだ。っていうかさ、龍神なんていないんだしさ、何を真に受けてるんだ、私は…。
その日、琥珀は時々どこかにいなくなり、境内を探しても見つからなかった。でも、また突然社務所に来たり、ご神木を眺めたりしていた。
手伝いに来たと言っていたけれど、特に事務仕事を手伝うわけでもないし、誰も琥珀に用を頼む人もいなかった。いったい何のためにいて、なんで誰も用事を言わないのか不思議だった。
だけど、その日は不思議と参拝者が多かった。参拝者がいると琥珀は静かに木の陰からその人たちを眺めていた。
それに、その日はいつにもまして境内は心地よく、参拝に訪れた人もにこやかに帰って行った。そんな参拝者を見ている琥珀はどこか優しい顔をしている。あれ、あんな表情もするんだ。ずっと冷たい目で、無表情でいたから知らなかった。
私にもそんな優しい顔をしてくれないかしら…なんて、そんなことを思っていることに気が付いて、全力でその考えを否定した。確かに整った顔をしているけど、琥珀は絶対に私の好みじゃない。私はもっと優しくて、可愛い笑顔をした人が好みだもの。そんな人が現れることを、思わず参拝者が帰ってから神様にお願いしに行ってしまった。
お社の前で鈴を鳴らし、どうか、神様、私の好みにぴったりの男性と結婚できますように。そんな出会いが近いうちにありますようにとお願いした。
家に入ると、どこからともなく琥珀がすっと現れ、
「何を願った?」
と聞いてきた。
「びっくりした。どうしてそんなに神出鬼没なのよ。何を願おうと勝手でしょ」
「……まあ、聞かなくてもわかるが」
「え?なんで?なんでわかるの?私口に出して言ってないよ!」
「どうせろくなことでもないことだろ?」
そう冷たく言うと、琥珀は廊下の奥へと姿を消した。
なんだか、本当にむかつくやつだ~~~!!!
とにかく、琥珀の印象が悪くなるばかり。やっぱり、あいつのことなんかどうでもいい!!




