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第29話 彩音ちゃんのお母さん

 夕方5時になると、

「ごめんね、美鈴ちゃん。私、夕飯の買い物に行ってくるね」

と部屋でゴロゴロしていた私に彩音ちゃんが声をかけた。慌てて起き上がりドアを開けて、

「買い物も彩音ちゃんが行っているの?」

「ううん。お母さんから今メールが来て、足りないものがあるから買っておいてって」

「そうなんだ。うん、行ってらっしゃい」


「すぐに戻るから。暇ならおばあ様とお話でもしていてね。おばあ様も美鈴ちゃんのこと気に入っているみたいだし」

「うん、わかった」

 彩音ちゃんを玄関まで見送りに行き、そのあとおばあ様の部屋に行った。


「美鈴です」

「どうぞ」

 ドアを開け、そっと中に入った。

「彩音は買い物?」

「はい。今行きました」


「そう。ああ、座ってくつろいでね」

「はい」

 おばあ様の横の座布団に座った。足は崩させてもらった。

「さっきの話の続きね?」

「はい」


「旦那のおじい様がなくなって、おばあ様が山守神社に行ったのだけど、実は門前払いだったのよ。笹木三郎のせいで龍神の怒りをかい、雷を落とされ山を焼かれたと…」

「…それをみんな許していなかったんですね」

「そう。それでも、おばあ様は何度も足を運んだ。なぜなら、息子、つまり旦那のお父様も心臓が弱かったし、それに20歳を過ぎた頃から体中に痣ができてね」


「痣?」

「奇妙な痣だったの。最初はお腹辺りに黒い痣が現れて、そのあとどんどん体中に広がって。痛みもあるらしかったわ」

「……」

 それって、何か悪霊のしわざとか?


「おばあ様は近くの神社にもお百度詣りにいったのだけれど、まったく良くならなくて、医者もこんな症状は何が原因かわからないと匙を投げたしね。それですがる思いで山守神社に足を運んでいたのよ」

「それでも、門前払い?」

「いいえ。今の宮司のお父様が、つまりあなたのひいおじい様ね、可哀そうに思って山守神社のお守りをこっそりと持たせてくれた」


「ひいおじいちゃんが」

「それが不思議とそのお守りを肌身はなさず持っていたら、だんだんと痣が消えていったそうなの」

「へえ。すごい」

「ただ、心臓の悪いのはよくならなくて、発作が起きて命にかかわるくらいになって」

「……」


「ひいおじい様は一回山守神社に来なさいと言ってくれてね、心臓が落ち着いている時に、おばあ様はおじい様を連れて山守神社を訪ねたの。当時の宮司である、あなたのひいおじい様のお父様はね、境内に入れるのも反対したのだけれど、その時にガツンと言ってくれたのがおおおば様。つまりあなたのひいおばあ様」

「ひいおばあちゃんがガツンと?」


「龍神はそんなに心が狭いのか。誰でも参拝に来たものを受け入れてくれるくらい、心の広い神様ではないのかって。それにお守りが効いて、痣が消えたのなら、龍神はとうに赦しているということだってね」

「わあ。さすが、ひいおばあちゃんだ」

「お強い方よねえ。それで、宮司も何も言えなくなって、ひいおじい様が祈祷をしてくれたの。それからはおじい様も元気になられて、無事お嫁さんも迎えることが出来て、子どもも、つまり旦那のお父様も生まれたっていうわけ」


「そうなんですね。じゃあ、その頃からまた親戚付き合いが?」

「そうね。龍神が赦してくれたのだから、ちゃんと奉仕もしないとということで、旦那のお父様もお参りにも行っていたし、神社の手伝いもしていたそうよ。それは私の旦那もしているし、私も若い頃には神楽を舞いに行ったわ」

「おばあ様もうちで神楽を舞ったんですか?」


「ええ。ハルさんが犯した罪の償いは、子孫がしないとね」

「……それで彩音ちゃんも手伝いに来たり、神楽を舞いに?」

「ええ、そうですよ。息子も大学までは行ったりしていましたけれど、結婚してからはさっぱりだわね。教師の仕事が忙しいのもあるのだけれど、すっかり嫁に感化されてしまって」


「嫁っていうと、彩音ちゃんのお母さん」

「あ、余計な話をしたわね。まあ、そういうわけで、親戚付き合いを今はさせていただいています。今後もよろしくね」

「は、はい。こちらこそです」

 そう頭を下げながら、やっぱりネックはお母さんか…とひそかに思っていた。


 客間に戻り、また畳にゴロンと横になった。

「そうか。彩音ちゃんが遠いところから巫女のバイトを手伝いに来てくれているのも、それも張り切って朝早くから来てくれているのも納得だ」

 だけど、そんなのいつの代まで続くのかしら。もう、彩音ちゃんのお父さんやお母さんは、そういうことをやめているようだし。


 それなのに、ちゃんと彩音ちゃんがそれを守っているのは、おばあ様の意向なのかなあ。

 彩音ちゃんも大変だ。お母さんは厳しいし、神門家への恩返しもあるし。

 ん?恩返しっていうか、罪滅ぼしかな?でも、もう龍神は許しているんでしょ?だけど、琥珀は彩音ちゃんの名前を聞いて、掃除をすることも許さなかったよねえ。神楽だって踊ってほしくないって感じだったしなあ。


 彩音ちゃんが買い物から帰ってきた。そのあとすぐにお母さんが帰ってきて、私は挨拶をしにダイニングに行った。彩音ちゃんのお母さんに会うのも初めてだ。

「美鈴です。初めまして」

 ちょっとドキドキしながら挨拶をすると、お母さんは私の顔を見て、

「いらっしゃい。夕飯を今作るから、それまでは部屋で待っていて」

と、ほぼ表情も変えずそう言うだけ言って、キッチンに行ってしまった。


「ごめんね、部屋で待ってて。私も料理を手伝わなくちゃいけなくて」

「私も手伝った方がいいかな」

「いいの。部屋で休んでて」

 そう言われ、仕方なく部屋に戻った。実に暇なんだけどなあ。


 ゴロゴロしている間にどうやら私は寝てしまったらしい。でも、何やら廊下の声がうるさくて目が覚めた。

「お母様、どうして?泊っていってもらってもいいでしょう?」

「そんな話は聞いていませんよ。ただ、遊びに来ると言うから、夕飯まで食べて帰ってもらうつもりだったんです」

 ん?私のことでもしやもめてるの?


「遠いし、夜遅くに帰らせるなんて…。それに、それに美鈴ちゃんになんて言ったらいいか」

 いや、丸聞こえなんだけど。

「彩音!口ごたえするの?」

 うわ。怖い。どこのお母さんも怒る声は怖いんだ。


「どうしたんですか?彩音も、政子さんもそんなに声を荒げて。お客さんが来ているんですよ」

「お義母様は黙っていて下さい」

 こわ。彩音ちゃんのお母さんは、お姑さんにも平気であんな強いこと言えるんだ。そこがうちのお母さんと違う。


「とにかく、食事がすんだら帰ってもらって」

「美鈴さんのこと?追い返すんですか?こんな遅くに?」

「遅いったって、まだ7時です。電車もバスもあるでしょう?」

「あそこのバスはそんなに遅くま走っていないと思います。お母様」

「だったら、タクシーで帰ったらいいんです。タクシー代くらい払います」


 声が小さくなっていったから、奥の部屋にでも行ったのかもしれない。わあ、怖い。逆らわないほうがいいな。さっさと帰ろう。なんなら、今すぐ帰ってもいいかも。あの人苦手だ。


 私はカバンを持って、部屋を出た。そしてそっとダイニングに顔を出し、

「あの~~、私、もう帰ります」

と一言そう告げた。ダイニングにはおばあ様が座っていて、キッチンでお母さんと彩音ちゃんは、食事の支度をしているようだった。


「美鈴さん?どうして?ゆっくりしていっていいのよ」

「いえ、あの…。なんだか、申し訳ないから」

 さっさと帰りたくなったとはおばあ様に言いづらい。でも、目的は果たしたしなあ。もういる意味もないんだけど。


「美鈴ちゃん、帰るの?なんで?泊っていくんだよね?」

 声が聞こえたのか、慌てたように彩音ちゃんがキッチンからダイニングに来た。

「そのつもりではいたけど、えっと。明日ももしかしたら神社忙しいかもしれないし」

「まあ、そう?じゃあ、夕飯もいらないわね」

 キッチンからそうぶっきらぼうに言いながら、彩音ちゃんのお母さんもやってきた。こんなぶっきらぼうに話す人が先生だなんて、生徒が可哀そうに思えてくる。


「政子さん!罰当たりなことを言わない!神門家のお嬢様ですよ」

 おばあ様がびっくりするぐらい、厳しくそう言った。でも、彩音ちゃんのお母さんの方がもっと怖い顔をして、

「やめて下さい。単なる親戚。それも遠い親戚にすぎないのに。それも、なんなんですか、バチが当たるって。そんなことを彩音に吹き込むから、彩音が巫女になったり神楽を踊りに行ったりするんです」

とおばあ様に向かって怒りだした。


「それは、あなたも承知のうえでしょ?」

「私が?私はもういい加減にうんざりしているんです。あの人がいまだに行った方がいいと言うから行かせているだけで。私はそんなこと昔から信じていません。ちゃんとした病院に診てもらった方がいいと言っているのに。もう、本当にこの家はどうかしている!」

 何?なんの話?わかんないけど、これ、私が聞いてていいの?痴話げんか?


「あなた、今日はもう帰ってちょうだい。私も仕事で疲れているのよ」

 お母さんが私の腕を持って、私を玄関の方へ連れて行こうとした。

「お母様!」

 彩音ちゃんがそれを止めようとしたが、その時、

「痛い!」

と悲痛の声をお母さんが上げ、うずくまってしまった。


 何?何がどうした?!何が起きたの?

「お母様?」

「政子さん?」

 お母さんはその場にうずくまったままだ。彩音ちゃんとおばあ様が心配そうに近づき、

「大丈夫?」

と声をかけた。


「いたたた。なんなの?これは」

 なんとかお母さんは立ち上がって私を睨んだ。うわ、怖い。

「どうかした?政子さん」

「この子の腕を掴んだら、静電気…いえ、電流が走ったように痛くなって」

「…美鈴さんは、龍神に護られている。龍神の怒りをかったんだわ」


「お義母様、もうやめてって言ってるじゃないですか!」

 その時、ガチャリとドアが開き、お父さんだろう人が帰ってきた。

「どうした?なんの騒ぎだ?玄関の外まで聞こえてきたぞ」

「あなた、神門家の美鈴さんが泊っていくって言うんです。でも、帰ってもらいますけど、いいですよね?」

「え?あ、ああ。美鈴ちゃんか、大きくなったな。泊っていってもらったらいいじゃないか?」


「困ります。また、お義母様が変なことを言い出して、龍神のバチが当たるとか」

「お母さん、そういう話は政子にも彩音にもしないでくれと言っているじゃないですか」

「さっきも、おかしなことを言い出して。もういい加減嫌なんです。私の頭がおかしくなりそうだわ」

 なんだか、変なことになってるんだけど、どうしよう。

 

 こんな時は琥珀を呼べばいいの?琥珀!呼んだからって何が起きるわけでもないよね。

 

 ブワッとなぜか風が吹いた。玄関横の窓が開いているからか、勢いよく風が吹き込んできた。

 その時、彩音ちゃんとお父さんが同時に、

「あ…」

と言ったのがわかった。


 そして二人とも私を見て、顔色を変えた。っていうか、私とは目が合っていない。私の後ろを見ている。

 何?何かいる?私も振り返ったが何もいない。


「あ、とりあえず、車で駅まで送ろう」

 お父さんがたじろきながらそう言うと、ようやくお母さんが気を取り戻したように安心した顔つきになった。

「美鈴ちゃん、その、ごめんなさい」

「いいの。彩音ちゃん、気にしないで。もう踊りも教えてもらったり、十分だから。おばあ様もありがとうございました」


 私はおばあ様にお辞儀をしたが、なぜかお父様が焦っている様子に見えたので、私も足早に玄関を出た。



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