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第28話 笹木家の事情

「美鈴ちゃん、お昼にしましょう」

 ドアの外から彩音ちゃんの声が聞こえた。

「あ、はい」

 涙でぬれてた頬を手で拭い部屋から出ると、彩音ちゃんが廊下で待っていてくれた。


「大丈夫だった?しごかれなかった?」

 私の顔を見て、彩音ちゃんが心配そうに聞いてきた。泣いていたのがばれちゃったかな。

「うん、大丈夫」

 何とか笑顔でそう答え、

「お昼何も手伝えなくてごめんね」

と謝った。


「いいのよ、私もおばあ様の手伝いをちょこっとしたくらいだから」

 きっと、そんなことないんだろうなあ。これも彩音ちゃんの気遣いなんだろう。

 本当に彩音ちゃんっていい子なんだよなあ。


 美人でおしとやかで性格もいいときている。これでモテないわけがないと思うんだけど…。


 ダイニングは我が家みたいな和室ではなく、ちゃんと大き目のテーブルと椅子が並んでいる。6人掛けのテーブルだ。とっても落ち着いたトーンの色調だ。

 

「さあ、どうぞ。天ぷらそばにしたんだけれど、美鈴さんは好き嫌いはあるかしら」

 おばあ様がキッチンから現れてそう聞いてきた。

「いえ、なんでも食べれます」

 そう答えると、

「まあ、それは良かった。彩音は好き嫌いがあるからねえ。なんでも食べられるのが一番よねえ」

とほほ笑んだ。


「彩音ちゃん、嫌いなものがあるんだ」

「う、うん。お野菜でダメなものがあるの」

「うちで出したものは、全部食べていたよね?」

「あんまり、苦手なものが出なかったから。セロリとか、フキノトウとか、たんぽぽとかは苦手」

「え?!ごめん、私もそのへんは食べないよ。うちでもそういうのは食卓に並ばないもの。たま~にセロリがサラダに入るくらいで」


「そうなの?今の人は山菜を食べたりしないのねえ。昔はこのへんでもたくさんの山菜が取れたものですよ」

 おばあ様はそう言いながらテーブルにお皿を持ってきた。彩音ちゃんも慌てたようにキッチンから、天ぷらが乗ったお皿を運び出した。

「あ、手伝います」

「いいから。お客さんは座っていたらいいの」

 おばあ様にそう言われてしまい、私はおとなしく腰かけた。


 おばあ様はテーブルにすべてが並ぶと割烹着を取り、

「さ、いただきましょうね」

と手を合わせた。彩音ちゃんと私も手を合わせ「いただきます」と声をそろえた。

「嫌いかもしれないから、山菜の天ぷらはやめておきましたよ」

 にこりとおばあ様が笑った。


 良かった~~。食べたこともないような山菜が出たら困っていたところだった。

 そう言えば、昔はそういうものをよく食べていたみたいだなあ。でも、お母さんが台所を任せられるようになってから、一切山菜とかは食卓に出なくなって、ひいおばあちゃんが嘆いていたことがあったっけ。だけど、お父さんは山菜が嫌いだったらしくって、良かったと本音を私に話してくれたことがあったなあ。


 お昼ご飯を美味しくいただき、「ご馳走様でした」と言うと、

「美鈴さんは元気があっていいわね」

と、またおばあ様に笑われた。


「神門家は人が多いから、食卓もにぎやかなんですってね?」

 おばあ様はお茶をすすりながら聞いてきた。

「朝は静かです。忙しいから黙々とさっさと食べています。お昼は12時組と13時組に分かれて食べてます」

「まあ、じゃあお支度が大変ね」

「はい。ひいおばあちゃんとおばあちゃんがやってくれています。夕飯は母とおばあちゃんで作ってて、夕飯はみんなのんびりとしながら食べています」


「そう。彩音が大勢でにぎやかに食べるんだって羨ましがっていたから。我が家は静かですからねえ」

「みんな一緒に食べないんですか?」

「食べますよ。だけど、ご飯を食べながら話すなんてお行儀が悪いと…」

「あ、そうですよね。すみません。我が家はそういうのをうるさく言う人があんまりいないというか、なんというか」


「いいですねえ」

 おや?おしゃべりしてはダメだと注意をしたわけではないの?

「母が、とっても厳しいんです」

「え?あ、彩音ちゃんのお母さんがってこと?」

 おばあ様がうるさいのかと思った。日本舞踊の師匠をしているくらいだから。あ、そう言えば、踊りの時以外は優しいって言っていたっけね。


「彩音の母親は、ずいぶんと厳格な家で育ったらしいわねえ。いわゆる、教育ママっていうの?子どもの頃から習い事をたくさんさせられて、食事のマナーもうるさかったみたいで。やっぱりここに嫁いで、山菜が食卓に並んだ時には、草を食べるんですか?と、ものすごく驚いちゃってねえ。その頃はまだ、私の旦那のお母さん、つまりお姑さんがいた頃で、あの人はビシっと注意をする人でねえ。草ではない。立派な食材だ!と怒り飛ばしたんですよ」

「へ、へ~~」


「私はそこまで注意ができませんから、結局代々受け継がれてきた日本舞踊も、私の代で終わりそうだし…」

「あ、じゃあ、おばあ様も日本舞踊を習って、受け継いだんですか」

「もともと、結婚する前から習いに来ていたんです。それで、師匠から、うちの息子と結婚しないかと言われて、結婚してこの家に入ったんですよ」


「そうなんですか」

「私もね、この子の母親には日本舞踊を習ってほしかったんだけど、私はそういうのはしませんと結婚する時はっきりと言われてしまってね。教師という職業を持っているから、それも仕方のないことだと受け入れましたよ」

「私が引き継ぎます」

 彩音ちゃんがいきなり力強くそう言ってから、

「あ、も、もし、ここにずっといられるなら…」

と、弱々しく声を潜めた。


「ありがとう。あなたは才能がある。十分に師匠としてやっていけますよ。頼もしいわ」

 彩音ちゃんはその言葉に、ほほ笑んで返したが、でも、すぐに真顔になって俯いた。どうしたのかな。あ、もしかするとお母さんが反対しているとか?お母さんは教師になってほしかったんだっけ?


 いろんな家の事情があるもんなんだ。でも、やっぱり、どっちみち、この世界にいられるんだもの、いいじゃない…とか思ってしまう私がいる。親と離れることもないし、まったく未知の世界で、人間じゃないものと結婚しないで済むんだから。


 う…。そんなことを思っている自分に気づいて情けなくなった。彩音ちゃんも大変なんだろうけど、私の方が不幸だよ…とか思っちゃってる。


 お昼を食べ終わり、

「少し休んだら、踊りのお稽古をしましょうね」

と言われてしまった。げ。そんなつもりで来た訳ではないけれど、断り切れない。


 小一時間はそのまま、ダイニングで話をしていた。特になんでもない取り留めのない話だった。それから、日本舞踊を教える時に使っている離れに移動した。家の廊下から行けるようになっているが、離れにも玄関があり、生徒さんはこっちの玄関を使うそうだ。

 あのおばあ様の部屋で教えているわけではないのね。それもそうか。離れの和室は、何人もの生徒さんが入れるくらい広かった。


「私もご一緒してよかったでしょうか」

 彩音ちゃんがおばあ様に聞くと、

「いいですよ。神楽に役立つものを教えましょうね」

と優しくおばあ様は答えた。


 それから、おばあ様の指導が始まった。おばあ様の顔がいきなり引き締まり、声も張りが出て、緊張感の中2時間も稽古は続いた。


「このくらいにしましょうか」

 おばあ様の声を聞き、私はその場に崩れ落ちた。

「ほえ~~~~~。明日絶対に筋肉痛。それも全身にくる~~~」

「美鈴ちゃん、もうちょっと頑張って。ちゃんと座って挨拶しないと」

「え?あ、はい」

 慌ててその場に正座した。彩音ちゃんも静かに正座し、三つ指をついておばあ様にお礼を言った。私もそれをまねして、頭を下げた。


「お疲れ様。さ、向こうに行って、休んでらっしゃい。私はここで、明日のお稽古の準備をしてから戻りますよ」

「はい」

 彩音ちゃんはすくっと立ち上がり、足音もしないで和室をすすすっと出て行った。私は無様によっこらしょと手をついてから立ち上がり、ふらふらになりながら失礼しますとお辞儀をして和室を出ようとした。


「美鈴さん」

「はい?!」

 何?お説教とか?

「あなたは、自信を持って神楽を舞いなさい」

「え?」

「今日もずっと彩音のことを気にしていたでしょう?」


 う…。図星。視界に入る彩音ちゃんの踊る姿が美しくて、自分との差を感じながら踊っていた。

「踊りに専念していなかったでしょう」

「はい。すみません」

「私からしてみれば、あなたの方がずっと神楽を舞うのにふさわしいと思いますよ」

「え?どうしてですか?」

「神門家の血を引いているからです」


「それは、彩音ちゃんも…」

「彩音は、笹木家の人間。神門家を出た人間です」

「…でも、ハルさんの血は受け継いでいますよね?」

「あの人は、神門家を嫌がって出た人間です。神門家との縁を切ったんです」

「…それって、一つ疑問が…」


「どうして縁を切って出て行ったのに、今は親戚付き合いをしているのかっていうことかしら?」

「そうです。いったい、いつ、どうして?」

「……。色々とあったんですよ。ハルさんの子どもも、病気になったり、災いが起きたり、ハルさんほとではなかったけれど、妖が見えて悪さをされていたようですし」

「ハルさんの子ども…も?」


「それに、笹木家には災難ばかりが降りかかっていて、龍神の怒りをかったまま、赦されていないのだとそう言いだしたのが、私の旦那のおじい様。私が嫁いだ時には他界していたけれど、おばあ様があまりにもおじい様がむごい死に方をしたので、泣く泣く神門家の門をたたいたんです」

「むごい死に方?」

「ハルさんと似ている症状だったと聞いていますよ。幻覚がずっと見えて怯えていたと」

「……」


「この話もまた後程しましょうか。向こうで彩音が待っていると思うから。あとで私の部屋にいらっしゃい」

「はい」

 彩音ちゃんにはこういう話をしていないんだろうか。


 私は母屋に戻った。すると、

「疲れたでしょう。おやつにしない?紅茶を淹れたの。ケーキもあるのよ」

と、彩音ちゃんが私をダイニングに呼んだ。

「ありがとう」

 嬉しい。甘いものが食べたかった。


 彩音ちゃんは私が食べるまでなぜかケーキを食べようとしない。そして、私が一口食べて美味しいと言うと、

「良かった~~。口に合わなかったらと心配だったんだけど、ちゃんと失敗せず出来てよかったわ」

とやっと表情をやわらげ、ケーキを食べだした。


「え?もしかして手作り?」

「そうなの。ごめんなさい。ちゃんと買ってきたもののほうが良かったかな」

「ううん!すごく美味しいよ。買ってきたものかと思った。すごいね、彩音ちゃんは何でもできるんだね。できないものないんじゃない?」

「まさか。苦手なものだらけだよ~~」


 嘘だ~~。大学だって国立に入っちゃったし、成績もずっと良かったと聞いている。よく昔から比べられているもの。

 あ、そうか。そういうのもお母さんが厳しかったからなのかなあ。こんなに色んなことが出来て、奇麗で性格もいいのに、家に閉じこもってばかりだなんて、宝の持ち腐れだよ。もったいないなあ。


 私みたいに、勉強もいまいち、何の才能もなしだったら、家で巫女していても別にいいとは思うけど。っていうか、社会に出ても私は何の役にも立てそうもないし。家が神社で、巫女ができるだけよかったのかもしれないなあ。ものは考えようかしら。大学にも行かず、バイトでつないでいる人もけっこういるわけだし。


「今日は本当に嬉しい。友達が来ることもなかったし」

「あ、例えば、日本舞踊の生徒さんとかは?こっちに来て話とかしないの?」

「母屋には来ないよ。それにみんな30代とか40代で、話も合わないし」

「隣の幼馴染は?えっと高志君だっけ?」


「高志君は中学までは来てくれた。勉強も教えてくれたし。すごく優秀なの。お父さんが高志君のことは気に入ってて」

「ふうん…」

 ん?顔が曇ったけど。

「でも、お母さんがね…」

 ああ、お母さんが反対しているのか。どうやら、この家はお母さんがネックみたいだなあ。



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