第26話 彩音ちゃんの家
朝食が済み、1泊する準備をしてカバンを持ち、
「行ってきます」
と家の玄関を出た。玄関まで見送りに来たお母さんが、
「くれぐれも粗相のないようにね。あのおうちは厳格だし、特に彩音ちゃんのおばあちゃんは、とっても厳しいらしいから。わかった?」
と念を押した。
「まあ、大丈夫だ。いつものように振る舞えばいい。ひゃっひゃっひゃ」
その後ろからひいおばあちゃんがそう言いながらやってきた。お母さんはそんなひいおばあちゃんのことを怒ったが、私はさっさと玄関を出た。
また修司さんにつかまる前にと思い、早足で歩いていると、
「美鈴」
と琥珀が鳥居で待ち構えていた。
「出かけるのか」
「う、うん。ほら、彩音ちゃんいるでしょ?この前泊りに来てくれたから、今度は私が遊びに行くの。彩音ちゃん、寂しそうだったし」
「彩音…。ああ、笹木三郎の子孫だな」
「そう」
やばい。変に思われたかな。泊りに行くなとか怒られるかしら。
「そうか。何かあれば俺を呼べ。この姿では行けないが、エネルギーだけは送れる」
「うん、わかった」
「それと…」
琥珀は空を見上げた。私の体の周りを風がくるくると吹き、木の葉が舞った。
「頼んだぞ」
「え?何を?」
「お前に言ったのではない。精霊に頼んだのだ」
「精霊?!」
何それ。初めて聞くんだけど。
「じゃあな」
「うん。じゃあね」
琥珀は鳥居から出ず、私が階段を降りるのを見送ってくれた。
階段を降り切ってから振り向くと、もう琥珀の姿は見えなかった。ここからでは、鳥居すら見えない。
「はあ…」
ため息をつきながら、私は道路を渡りしばらく歩き、バス停に着いた。バス停には誰もいなかった。まあ、ここいらに民家はないから、こんな朝早いと誰もいないよね。
そういえば、精霊って言っていたなあ。私には見えないんだよね。どこらへんにいるのかしら。そもそも、いったいどんな形をしているものなのかしら。琥珀に会ってから、不思議なことばかりだなあ。
バスに乗り、終点の駅まで30分以上あるからうとうとと眠った。終点に着き、ぼんやりとした意識のまま駅に向かい、電車に乗り込んだ。彩音ちゃんの家までは、2回乗り換えて、ここから1時間かかる。よくもまあ、こんな遠くまで彩音ちゃんははるばるやってきているよなあ。
今日明日、彩音ちゃんも大学の授業がないらしく、私が泊りに行くのを楽しみに待っていてくれている。彩音ちゃんの家まで、いったん都内を通り抜けるから、電車は混みだした。そしてまた、窓から見える風景は立ち並ぶビルから、民家の風景へと変わった。うちよりも彩音ちゃんの家のある町は大きいし、住宅地に彩音ちゃんの家はある。
駅ビルがあり、その中でお土産のお菓子を買った。それから駅ビルの一階にある不思議なオブジェの前で彩音ちゃんを待った。とっても変な形のオブジェだからわかるよ…と昨日ラインで教えてくれたし、写真も送ってくれたからすぐにわかった。
「美鈴ちゃん!」
「あ、彩音ちゃん」
良かった。待ち合わせの時間を過ぎても来ないから、ちょっと不安になっていた。
「ごめんね、道が混んでて。こっち、こっち」
「道?」
「車で来たの」
「彩音ちゃん、運転できるの?」
「ううん、隣の幼馴染が車出してくれたの」
「幼馴染?」
車のところまで行くと、運転席に若い男の人が乗っているのが見えた。
「え?彼氏じゃなくて?」
「幼馴染だよ。1個上で大学生。彼も今日休みなんだって」
男友達なんていないって言ってなかったっけ?
「どうも、初めまして」
後部座席のドアを開けると、明るくその人が言った。
「初めまして、彩音ちゃんの従妹の美鈴です」
「うん、彩音から聞いてるよ。僕は隣に住んでる横倉高志です」
「…あ、どうも」
彩音って呼び捨てなんだ…。仲良さそうだなあ。
彩音ちゃんは当然のように助手席に乗り込み、
「高志君、ごめんね、休みの日だったのに」
と謝っている。
「いいって。どうせ、何もすることなくて暇しているから。突然講義がなくなって、午後からになっちゃったんだよ」
高志さんって人は、愛想よく笑った。見た目もほんわかしている好青年だ。ごく普通の一般的な大学生とでもいうのかな。癖のない、物腰の柔らかそうな雰囲気で、TシャツとGパンというラフな格好をしている。
「あ、美鈴ちゃん、今日は父も母も遅いみたいなの。でも、おばあさんはいるから…」
「厳格なおばあちゃんだったっけ?」
「そんなことないよ、踊りを教える以外は優しいから大丈夫」
そう彩音ちゃんが言うと、
「ここ数年で、丸くなったよね。昔は怖かったけど」
と高志さんは笑った。
「おばあさん?そうだね。ここ最近は、穏やかだよね」
彩音ちゃんもそう言うと、高志さんと昔話を楽しく始めてしまった。
なんだか、とっても仲がいい。彼氏というよりも兄弟って感じだなあ。こんな人がいたなんて、知らなかったなあ。
家の前に車を止めてくれ、私はお礼を言ってから車を降りた。彩音ちゃんも、
「ありがとう、またね」
と助手席を降りてきた。
「じゃ、彩音。また、何かあったら声かけて。買い物でもいいし、付き合うから」
「うん…」
高志さんはにこりと微笑み、すぐ隣の家のガレージへと車を移動させ、彩音ちゃんはくるりと私の方を向き、
「さ、どうぞ」
と家の門を開けた。
彩音ちゃんの家は初めて来た。門構えのしっかりとした和テイストの家だ。隣の高志さんの家は洋風だし、ここいら一帯も洋風な家が多いから、彩音ちゃんの家が目立っている。
それも家の周りをぐるっと高めの塀で囲っていて、隣近所よりも敷地も大きい。
門をくぐると、大きな松の木があった。それから家まで砂利道を歩き、玄関についた。
「なんだか、家も厳格的…」
「え?何それ。ふふふ。和風でしょ?日本舞踊もここで教えているのよ」
なるほどね。家も古そうだ。まあ、我が家よりは新しいと思うけどね。
玄関のカギを開けて、彩音ちゃんはすぐにお客様用スリッパを私の前においてくれた。
「どうぞ」
「ありがと…」
「彩音かい?」
廊下の奥から声がした。おばあちゃんだな。
「ただいま帰りました」
「お友達も来たのかい?」
おばあちゃんが奥の部屋から顔を出した。
「おばあ様、従妹の美鈴ちゃんです」
「ああ、神門家のお嬢様…」
お嬢様?!そんなガラじゃないけど。これは粗相のないようにしないと神門家の恥になっちゃう?
「あ、あの、お、お初におみぇ、お目にかから、かかります、美鈴です」
やばい、かみかみ~~!!!
「ふふふ。美鈴ちゃん、そんなに緊張しないで」
彩音ちゃんに笑われた。
「どうぞ、お茶でも用意するから中にお入り下さい」
「ははは、はい。あ、いえ。どうぞおかまいにゃく」
うわ~~~。日頃使わないから、口が回らない。
「あ、これ、良かったら皆さんで食べて下さい」
私はおばあ様に買ってきたお菓子を渡した。あ、紙袋ごと渡しちゃった。失敗だ。それも召し上がってくださいと言えばよかったかな。
「おや、丁寧にありがとうございますねえ」
「い、いえ」
顔が引きつった。特に大したお菓子でもないし。あ、こういうのって、つまらないものですが…とか言うべきだったかな。今からでも言う?
「美鈴ちゃん、こっちに来て」
彩音ちゃんに手を引っ張られ、私は立派な応接間に通された。と思ったら、
「おばあ様、私がお茶を入れます。おばあ様もお座りになって待っていて下さい」
と、そのまま部屋を彩音ちゃんは出て行ってしまった。
あわわ。厳格なおばあ様と二人切りになっちゃう。
「そう?じゃあ、よろしくね」
おばあ様は私の前のソファに座り、私のことをじっと見ている。ど、どうしよう。
「美鈴さん」
「はひ?」
「確か…100年目に生まれたとか?」
「え?」
「神門家は、女の子が100年に一度しか生まれないとか?」
「あ、はい」
「そうですよねえ?笹木家も、ずうっと女の子が生まれなかったの。150年くらい生まれなかった」
「え?!150年も?」
「ようやく彩音が生まれた…」
どひゃ。神門家の上をいくんだ。あれ?ってことは、ハルさんが嫁いでから生まれなかったってこと?
「あ、あの…。神門ハルさんが笹木三郎さんと結婚したのが150年前でしたよね?」
「そうですよ。美鈴さん、さすがに詳しいのね。家系図でも勉強した?」
「いえ、たまたま、最近古い家系図を蔵で兄が見つけて…」
「美鈴さんも彩音と同じ、18よね?」
「はい」
「そうよね。神門家にも女の子が生まれたっていうのは、すぐに私たちにも連絡が来た。だから、ほっとして」
「え?」
「ああ、いいえ、こっちの話。なんでもないのよ」
慌てたようにおばあ様が取り繕ったのがわかった。
ああ、なるほど。彩音ちゃんが龍神の嫁にならないといけないのかと、そんなことを心配したんだろうな。っていうことは、ハルさんが龍神の嫁になるのを嫌がって逃げたことも、このおばあ様は知っているのかな。
「あの、ハルさんのことで、お聞きしたいことがあって来たんです」
私は単刀直入に聞いてみた。
「しー。その話はあとで」
おばあ様は私にそう小声で言った。
その時、
「お待たせしました」
と、彩音ちゃんがお茶とお菓子をお盆に乗せて部屋に入ってきた。ああ、なるほど。彩音ちゃんに聞かれたら困るのか。
「彩音、駅までは隣の高志さんが送ってくれたの?」
おばあ様はお茶を一口飲むと、そう彩音ちゃんに聞いた。
「はい。ちょうど家を出たら、高志さんも家から出てきたから。どこか買い物でも行く予定だったのをやめて、車を出してくれたんです」
「そう。相変わらず高志さんは彩音に甘いねえ」
「甘いっていうか…。優しいんですよね。私、ダメですよね。こんなに高志さんに頼ってばかりいては」
「いいんじゃないの?高志さんは彩音のことが昔から可愛いんですよ。放っておけないんでしょうから」
「でも、母に言うと怒られます…」
「しっかりとしているし、いい大学にも行っていて、将来もきっと安定しているだろうし、お婿さんに来てくれてもいいくらいなのにねえ」
「婿?!」
私は思わずお茶を吹き出しそうになった。
「嫌だ、おばあ様ったら冗談ばかり。美鈴ちゃん、本気にしないで。単なる幼馴染なのよ。私、結婚とか考えていないし、きっと一生しないわ」
「はあ?!」
なんで?引く手あまたでしょ。いくらでも相手は見つかると思うけど。
「彩音…、もうそういう話はやめなさい」
「あ、はい。ごめんなさい」
おばあ様は一気に顔を曇らせた。
「じゃあ、美鈴さん、今日は泊っていくということですし、ゆっくりしていってね。あ、そうそう。あとで踊りを教えますから、私の部屋にいらっしゃい。その時は彩音は来ないで、美鈴さん一人でね」
「なぜ?おばあ様」
「特別レッスンですからね。もうすぐ神楽を舞うんでしょ?」
「え?あ、はい」
「美鈴ちゃんだけ特別?」
「彩音、あなたにはいつでも教えられるでしょ」
「あ、そうですよね。はい、わかりました。個人レッスンなんですね?」
「わかったわね?美鈴さん」
「はい」
なんだ、それ?頼んでもいないし、怖いよ~~~。まさか、しごかれる?
彩音ちゃんに客間を案内され、カバンを置くと、
「私は部屋にいるから。おばあ様のお部屋はさっきのリビングの隣なの」
と教えてくれて、自分の部屋に行ってしまった。私は覚悟を決め、おばあ様の部屋に向かった。
「あの、美鈴です」
「ああ、お入り」
「はい、失礼します」
ドキドキ。しごかれるのかな。怖いな。ひいおばあちゃんよりも怖いのかしら。
「襖閉めて、ここに座って」
「はい」
広めの和室は大き目の鏡とタンス以外何も置いていなかった。畳の上に正座したおばあ様の前に私も正座した。
「足、崩しても平気よ。踊りはあとで教えましょう。まずは、その前に知りたいことを話しますから」
「え?」
「ハルさんのことで、聞きに来たのでしょう?」
「はい」
「彩音には聞かれたくなかったから、さっきはああ言ったんですよ」
やっぱり、そうだったんだ。ハルさんのこと、彩音ちゃんには内緒だったのか。




