第2話 私が龍神の許嫁?!
琥珀のことをすっかり忘れていたが、夕飯のあとひいおばあちゃんに聞きに部屋に尋ねた。なぜ、ひいおばあちゃんに聞きに行ったのか。父でも良かったんじゃないのか…とも思ったが、神社全体を知っているのはひいおばあちゃんのような気がして、ひいおばあちゃんの部屋に行ったのだ。
だが、当てがすっかり外れてしまった。
「琥珀とその男は言ったのか?美鈴」
「そう。琥珀と呼べって言ってた。松葉色の袴を履いているからてっきり新しい事務員かと思ったんだけど」
「そんな話は誰からも聞いていないなあ…」
おや?じゃあ、いったい誰?
「単なる参拝者じゃないのか?」
「参拝?それにしては、態度もでかかったし、性格も悪そうだったし」
「もしくは見学にでも来ただけじゃないのか?」
「…そうなのかなあ?」
お社のほうに行って、お参りでもしたのかしら。
「狐に化かされたんじゃないのか?ひゃっひゃっひゃ」
「すぐそうやってからかう~~~。やめてよね。子どもの頃は本気にしたけど、さすがに今は狐が化かすなんてあるわけないってわかっているからね」
「じゃあ、タヌキかもなあ」
「ひいおばあちゃん、もういいって。こっちは真面目に聞いたのに」
「美鈴は山守神社は何の神様に守られているか知っているな?」
「龍神でしょ。龍神って、海にいそうだけど、うちの神社も龍神なんだよね」
「そうだ。神社の周りは奥深い森だった。その奥に祠があってな、龍神の住処だと言われている」
「それ、何度も子どもの頃から聞かされてる。おじいちゃんから龍神にとって喰われるから、祠の近くには行くなって言われていたし」
「とって喰ったりはしないが、祠の先は別世界になっているからな、入って行ったらもう戻ってこれないかもしれないんだ」
「…別世界?」
それ、初耳だ。
「龍神のいる神様の世界だ」
「そんなところがあるの?」
「そういえば、もう美鈴は誕生日が来たか」
やっと思い出した?!
「うん!またみんなして忘れているけど、今日誕生日だった!」
「何歳だ?」
「18だよ。ひいおばあちゃん、ひ孫の年もわかんないの?」
「18じゃと?!」
「そうだけど?高校卒業して、18になりましたけど、何か?」
ひいおばあちゃんは目を見開き、口をあんぐりと開けた。
「何よ、なんでそんなにびっくりしているの?それにさあ、なんだってうちの家族は子どもの誕生日を忘れるのかな。誕生日会をしてもらったのは、12歳の頃までだったっけ?」
「美鈴。大事な話がある」
「……え?な、なに?改まって。っていうか、怖い顔してどうしたの?」
「いいから、ちゃんと正座して聞きなさい」
ひいおばあちゃんは足が悪いから椅子に腰かけているが、私はその真ん前に座らされた。
「いいか、美鈴。これから言う事は信じがたいことかもしれん。じゃが、本当のことだ」
「……な、なに?」
ドキドキ。もしかして、私が養女ですとか、橋の下に捨てられてたとかそんな変な話?
「神門家にはもう100年余り、女が生まれてこなかったのは知っているな?」
「うん。お父さんも男兄弟、おじいちゃんも男兄弟で、ひいおじいちゃんもだったっけね」
「そうだ。ひいおじいちゃんのお父さんには妹がいた。ひいばあは会ったことはないが、ひいおじいちゃんの話ではとっても美しい人だったそうだ」
ひいおばあちゃんは遠くを見つめながら話し出した。この話長くかかるのかな。すでに足がしびれてきているんだけど。っていうか、私が18歳になったのと関係あるの?
「名前は確かお千代さんといったな。ひいおじいちゃんがまだ5歳か6歳の頃、お千代さんが18の誕生日を迎え、白無垢になって祠に入って行ったそうだ」
「……え?」
「祠に入ったきり、戻ってこなかったらしい」
「どういうこと?白無垢?花嫁衣裳っていう事?」
「そうだ。龍神の花嫁になったのだ」
「龍神の花嫁~~!?何それ!」
時代錯誤もいいとこ!祠に入って行ったきり出てこなかったって、何か祠に変な生き物がいて襲われたとか、もしくは祠の中の穴とかに落ちちゃったとか、迷路みたいになっていて出られなくなったとかじゃないの?
ん?待てよ。18歳で花嫁?
ずうっと、神門家には女の子が生まれていなくって、私は確か100年ぶりくらいの女の子だとかって聞いたことが…。
まさか、まさかと思うけど、私も18になって、龍神の嫁になる...とかっていう話じゃないよね。
「ひいおばあちゃん、まさか、私もってわけないよね」
「美鈴も生まれた時から、龍神の許嫁だ」
「いいなずけ?!ってつけものじゃないよね。フィアンセっていうことだよね?!」
「そうだ」
「それも、龍神の?!」
「そうだ」
「初耳なんだけど?!っていうか、そんなこと言われて信じるわけないじゃん。龍神とかいるわけないでしょ!!!昔話じゃあるまいし!!!」
「ひいおじいちゃんは、一回だけ龍神を見たと言っていた。お千代さんを迎えに来た龍神をな」
「でも、5歳とかだったんでしょ?そんなの妄想とか、子どもの頃見た夢とか、そんなのじゃないの?」
「いいや、ひいおじいちゃんの弟も見たらしい」
「ひいおじいちゃんの弟なら、3歳とか2歳じゃないの?そんなの出鱈目言ってるだけでしょ!」
ひいおばあちゃんは怖い顔をしたまま、首を横に振った。
「18歳になったんだ。迎えに来る。こりゃまずい。せがれも誰も、今日が18歳の誕生日だってことを忘れとる!」
そう言うとひいおばあちゃんはフンヌ!と立ち上がり、ふすまを開けて廊下を歩いて行ってしまった。
私はしばらく正座をしたまま呆けて動けなかった。でも、我に返り立ち上がってひいおばあちゃんの後を追おうとしたが、足がしびれて立ち上がることもできなかった。
龍神の許嫁って言った?許嫁?っていうか、嫁って何?龍神って何?
龍神ってあの、龍の形をしたあれのこと?
いやいや、そんなの架空の生き物でしょ。ありえないって。絶対に昔の人が勝手に信じ込んで、お千代さんっていう人は祠で死んじゃったんだよ。
そんなの、この令和の時代にするわけないじゃん。ひいおばあちゃんが何と言おうと、お父さんやお母さんが本気にするわけないし。
しびれがおさまってようやく立ち上がれそうになった頃、バタバタと何人もの足音が聞こえてきて、
「美鈴、美鈴~~~!あんた今日誕生日なの?」
「美鈴、今日18になったのか!」
とお母さんやお父さんがさわぐ声も聞こえてきた。
ひいおばあちゃんの部屋から顔を出すと、みんなが揃ってこっちに向かって来ていた。
「お母さん、お父さん、おじいちゃんもおばあちゃんも、お兄さんまで総出でどうしたの?」
その後ろから、修司さんまでがやってきて、
「美鈴ちゃん、今日誕生日だったんだ~~。ちゃんと祝えばよかったねえ」
と暢気な声を出した。
ああ、誕生日を忘れていたから、みんなで謝りに来た?それとも、お祝いの言葉でも言いに来た?っていう割には、みんなすんごい怖い顔をしているけど。
「とうとうこの日が来たのか」
おじいちゃんの顔が曇った。
「美鈴が…。まさか、まさかな」
お父さんの顔が真っ青だ。
「お父さん、私は信じませんからね。美鈴が祠の先の世界に行って戻ってこれないだなんて信じませんよ」
お母さんは今にも泣き崩れそうだ。
ど、どういうこと?まさか、さっきのひいおばあちゃんの話をみんな知ってるの?
「どうしたんですか?みんな深刻な顔をしちゃって」
一人で暢気にしているのは修司さんだ。
「修司さん、これは家族の問題なの。あなたは部屋にでも行っててくれる?」
「いや~~、僕だって家族でしょう。これからここに住んで、神主やるわけだし」
「いいから!修司さんは部屋に行っててちょうだい!」
お母さんがとうとうキレて、修司さんはびっくりしながら2階へとすっ飛んでいった。
「……美鈴」
お兄さんまで泣きそう。
「悠人お兄さんまでどうしちゃったの?」
「美鈴は知らないのか?」
「さっき、話したところだ」
お兄さんの言葉に、ひいおばあちゃんが答えた。
「私が龍神の許嫁だってこと?」
「そうだ」
ひいおばあちゃんが深く頷いた。
「そんなの、みんな信じているわけないよね?」
「ええ、信じていないわよ」
そう言い切ったのはお母さんだ。だけど、顔が真っ青だ。
「朋子さん、信じたくないのもわかるけど、こればかりは本当のことだ」
ひいおばあちゃんがお母さんにそう言うと、お母さんは涙ぐみながら、
「私は絶対に反対ですからね」
と言いながら、リビングの方へ走って行ってしまった。
「朋子さん!」
おばあちゃんがお母さんを追いかけ、お父さんも慌てたように後を追った。残ったお兄さんとおじいちゃんはひいおばあちゃんの顔をじっと見て、
「なんとか阻止することはできないものか?」
とおじいちゃんがそう質問をした。その横でお兄さんはひいおばあちゃんの顔を真剣な目で見つめている。
「ひいばあにはわからん。18歳になったら龍神が迎えに来る。龍神に気に入られたら、祝言を挙げて祠に行く。祠の先には神の国があって、龍神と共にこの世を守っていくお役目があるんだと、そう姑から聞いたんだ。そのくらいしかわからん」
「この世を守っていく?!何それ。まさかと思うけど、神の国って天国とかそんな感じ?私、死んでから行くの?まさか、龍神に殺されたり、喰われたり」
そんなことはないというひいおばあちゃんの言葉を待った。でも、ひいおばあちゃんは目をつむり、ゆっくり首を横に振ると、
「どうなるかは、ひいばあにはわからん」
と一言小さく答えただけだった。
まじですか?何その、曖昧な云い伝え。
「昔の文献とかなかった?ひいおばあちゃん。なんかあったよね。蔵に確か置いてあった」
「ああ、そういえば、古い書物があった。そこに記されているかもしれないなあ」
すぐにお兄さんは懐中電灯を持つと、玄関を出て行った。家の裏側にある蔵に行くようだ。私も追いかけた。おじいちゃんはそのことを、お父さんに教えに行った。
蔵にも電気はあるが、豆電球みたいなものだからそんなには明るくない。懐中電灯でお兄さんは、蔵の中の無造作に置いてある本に目を近づけて見ている。
「悠人、龍神のことが書いてある本でもあるのか?ここの本は昔見たことがあるが、そんなのはあったかどうか」
お父さんがそう言いながら蔵に入ってきた。
「古そうなのがあるから、もしかしたら書いてあるかもしれない」
お父さんも一緒になって、本を1冊ずつ手に取って見ている。私もその横に立ち、覗き込んだ。
「見つけてどうするの?」
気になってお父さんに聞いた。
「え?」
お父さんは少し苛立ちながら私を見た。
「龍神の嫁になった人のこととか載っている本が見つかったとして、それでどうするの?」
「回避できるかもしれないだろ」
「ひいおばあちゃんが言ってたよね。気に入られたら祝言を挙げるって。気に入られなかったらいいんじゃないの?」
「……どうやって気に入られるのか、気に入られないのかもわからないだろ」
お兄さんは冷静にそう言いながら、手元の本をペラペラめくっている。
「お千代さんっていう前の花嫁は、とても美しい人だったんだって。だったら、私みたいな平凡な顔の女らしくもない性格なら、そもそも嫁にしようだなんて思わないんじゃない?」
「………」
お兄さんは黙り込んで私の顔を見た。
「大丈夫だよ。うん。気に入られないって。それにさ、この時代に龍神の嫁になるだの、この世を守るだの、そんなのもないって。迷信だよ、迷信。昔の人がそう信じ込んでいただけだよ」
「そ、そうだな。うん、そうだ、そうだ。よし、もう遅い時間だし家に戻ろう。な?悠人も」
「うん、でも、何か手掛かりがないかもう少し探してみるよ」
お兄さんを蔵に残し、私はお父さんと家に戻った。
「美鈴、お父さんもお母さんも、万が一龍神が迎えに来たって、嫁になんか行かせないからな。安心しろ」
私の部屋までついてきたお父さんはそう言って私の頭をなで、自分の部屋へと階段を降りて行った。
みんな、どうかしてる。龍神なんかいるわけないよ。ほんと、どうかしているよ。私はそんなことを思いながらも、その日はなかなか寝付くことができなかった。




