4-6
キャンパスを出て、近くの公園に入る。この付近では大きめの公園で、遊歩道や池もある。歩きながら話をする。
直陽は今日あまねに感じたことを率直に言った。
「あまねさん、さすが日文って感じだったね。ちょっと見直しちゃったよ」
「普段はあんまり学部の話ってしないもんね」
「ちょっと、今日の授業のことで訊いていい?」
「うん」
「あ、その前に」そう言って直陽は、近くのベンチをあまねに勧めた。「ちょっと座ろうか」
二人はゆっくりとベンチに腰掛けた。公園の遊歩道の脇にある白いベンチだった。先日の台風で洗い流され、今は綺麗に乾いている。ちょうど木陰になっていて、暑すぎもしない。すっかり秋めいてきて、時々流れる風が気持ちよかった。
「I love you. の訳が『今夜は月が綺麗ですね』というのが、分かるような、分からないような」
それを聞いて、あまねは、ちょっとだけ考えてから口を開いた。
「当時の日本人は、男女の関係で簡単に気持ちを表せなかった。『お慕いしています』とか、言い換えがないわけではなかったけど、『私』を起点に、『あなた』対して『愛する』という感情を向ける、みたいな英語的な表現はなかった。I love you. と伝える場面を日本人同士で想定した場合、あんな言い方しか思いつかない、そういうことみたい」
今のあまねは理路整然としていて、不思議なほど落ち着いている。だが冷たい感じはせず、むしろ落ち着いた中に知的な熱を内包しているように見えた。
直陽は最近見た映画を思い出す。あの映画でもI love you. と言っているシーンがあった。
「そういえば、現代のアメリカ映画見てても、日本人とは違うタイミングでI love you.って言うよね。例えば、親子で電話を切る時とか」
「ああ、分かる」
「そう考えると、そもそもI love you.には文化的な違いもあって、そもそも訳せない言葉なのかもとも思えてくる。とすれば、やっぱりそこは、日本人的な似たようなシチュエーションで、どう答えるか、みたいなのを考えるのが妥当なのかも」
「やっぱりお月様の話に戻ってくるね」
「そう。あれって結局は、月じゃなくてもいいんだよね。何か一緒に見ていて、その美意識なり価値観なりを共有している、そういう雰囲気が大事なんじゃないかと思う」
「鋭いね、直陽くん」
「ありがとう。日文に入れるかな」
あまねがくすっと笑う。
「例えばそうだな」直陽はそう言って空を見上げた。
ちらっと隣に座るあまねの顔を見る。そこには「何を言うんだろう?」という目がある。直陽はちょっとはにかんで、また空を見上げる。
今日は暑くも寒くもなく、程よく日も出ている。時々気持ちの良い風が通り抜けていく。
前を向くとベビーカーを押した母親がゆっくり進みながら、赤ん坊に話しかけている。急に泣き出してしまい、母親はベビーカーから子供を抱き上げ、あやし始めた。
直陽は、ふと、自分にもあんな時期があったのだろうかと考える。そして、あまねにも。
またちらっとあまねを見ると、あまねもその親子を見ながら何かを考えている様子だった。
「あまねさん」
「ん?」あまねがゆっくりと直陽に顔を向ける。
「俺は、あまねさんと一緒にいて、ただ黙って流れるこの時間も好きなんだ」
あまねのまつ毛がかすかに揺れた。少しだけ目を瞬かせて、思わず視線を直陽に留める。けれどすぐに前を向いて自然な微笑みに変わった。
「私も」そう言って続ける。「直陽くんって不思議だね」
「そう?あまねさんには負けるけど」
あまねがふふっと笑う。
赤ん坊は少し落ち着いたようだった。母親は片手で空になったベビーカーを押して歩き出した。
「もう少し歩こうか」
直陽は立ち上がって遊歩道の先を指差した。
**次回予告(4-7)**
二人は公園の中に小さなカフェを見つけ⋯。




