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荷物をまとめて、扉の外れた窓から外へ置いたクエットは、その体も乗り出してそのまま外へ出てくる。
物音に目を開けたジークは、体の下に敷いていた板を持ち上げると、適当に空いた部分にはめ込もうとする。もともとは蝶番のような何かしらで固定されていた板は、当然空いた窓に収まるはずもなく、ジークは二度ほど試してあっさりと諦めた。
一応立てかけて窓の大半は塞いだが、強い雨風を防ぐことは難しいだろう。
腕を組んでどうしたものかとそれを見たジークだが、思ったよりもあっさりと諦めて、地面に置かれた荷物をむんずとつかみ持ち上げた。
「帰った時には大変なことになってそうですねぇ」
女性にしては長身のクエットは、全身をローブとフードで隠すという怪しい姿で、大荷物を背負ってため息をついた。これだけ隙間が空いていれば、浮浪者だって入り放題だ。
帰ってきたころには、すっかりまともな家として機能しなくなっている可能性はある。
ただ、クエットはあまり心配していなかった。
金ならまぁ、それなりにあるし、この場所自体にはそれほど思い入れもないからだ。
またジークと怪しい取引ができて、かつ普通の薬屋もやれるぼろ屋を探せばいい。
場所さえ選ばなければ、街にはいくらでもそんなぼろ屋が溢れているのだから。
でかくて怖い男と、怪しくて性別不肖の何某が大荷物を持って歩いていると、とにかく注目が集まる。大概はジークがぎろりと一睨みするだけで目を逸らすので、クエットの正体にまでは気づかないけれど、翌日には街で噂が立っていることだろう。
大通りを抜けて、ハンナたちが暮らしている駆け出し探索者用の宿になる予定の建物まで帰ってくる。
こんなところに住んでいるのかとクエットが見上げているうちに、ジークがずんずんと中へ入っていってしまった。
クエットが慌てて追いかけると、入り口正面に一見たおやかそうな女性が座ってジークと話している。
「一緒に行くやつを連れてきた。今日ここの部屋に泊めてくれ」
ジークが正面に立ったら小さくなって震えてしまいそうなその女性は、穏やかな表情から一気に眉間にしわを寄せて下からジークを睨みつける。
「意味わからないわ。誰が一緒に行くの?」
怯むどころか、真っ向から言い返すその女性はハンナだ。
ハンナがジークに気圧されるわけがない。
「あ、あたしですねぇ」
入り口で立ち尽くしていたクエットが声をあげると、ハンナが一瞬穏やかな表情に戻って「あ、いらっしゃい。ちょっとそっちに座っててね」と入ってすぐの椅子を指さして、ジークをカウンターの中に手招きする。
ジークが変な顔をしているのを見たクエットは、二人の妙な力関係を悟って大人しくちょこんと椅子に腰かけた。
一方でカウンターの中に入ったジークは、しゃがみこんでいるハンナを見下ろす。
「しゃがみなさいよ」
内緒話をするのだから、身をかがめるのは当たり前だ。
偉そうに見下ろしているジークに、ハンナはジェスチャーを交えながら小さくなるように指示をした。
「で、ジーク、どういうことかしら。女性? 聞いてないけど?」
「知らん。あいつがついてくるって言った」
「誰なの」
「……塔の中で拾った」
その昔ジークを拾って育てたことのあるハンナは、一瞬怯み、追及が緩んでしまう。
ジークが意識していなくとも、もしかしたらジークに思いを寄せる女性とかが名乗り出たのではないかと心配していたのだが、少しばかり事情がありそうだと、更に声を潜める。
「いつ頃の話?」
「結構前だ」
「連れてってどうするの。危ないでしょ」
「ポーションが作れる」
「は?」
ポーションの作成は、基本的に学会の研究機関がやることであって、市井の一般人がやるべきことではない。ましてや塔で拾ったような野生児が持っているような知識ではないことは明らかだ。
つまり、何らかの研究室関係者を、ジークが、塔で拾ったのであって、元々塔で暮らしていた人物ではないとわかる。
「テルマに使ったポーションは全部あいつが作った。作るのも早いから便利だ」
一応連れていくメリットのようなものも提示してくれたジークだったが、ハンナは少し考えて、カウンターから顔を出した。ジークに聞くより本人に聞いたほうが話が早い。
「あなた、何でついてくの?」
クエットは事情を話すべきかどうか迷ったが、相手はジークを尻に敷くような動きをしている女性である。それに話したらまずいのならばジークは力づくでも止めるだろう。
瞬時に判断をして、クエットは間を開けずに立ち上がり、カウンターへ身を寄せて小声で答える。
「ちょっと今住んでいるところが学会に見つかったようでしてぇ。ほとぼりが冷めるまで避難するのにちょうどよいかと思ってですねぇ」
「……悪いことしたの?」
「悪いこと? まさかぁ」
「じゃ、なんで逃げなきゃいけないのよ」
クエットの主観から言わせてもらえば、悪いことはしていない。
ただ少しばかり派手に研究費を使用して、その分の成果を出して、現地での実験をやらせてもらえないから腹が立って学会を抜けてきただけだ。
ただ紙を叩きつけてきただけのクエットは、それが受理されているかは知らないし、おそらくつい先日まで死んだと思われていたはずだが。
「あたしにもわからないんですけどねぇ。でも、学会の奴らのことは好きじゃないんで会いたくないんですよ」
どこか胡散臭い話し方をするクエットだったが、『学会のやつらが好きじゃない』と言った部分だけ、妙に棘が含まれているように聞こえた。
ハンナはフードの奥にちらりと見えたやけど跡を見て、これだけは聞いておかなければと尋ねる。
「ジークたちに危害を加えたら承知しないわよ」
「あっはー、そんな心配ですか」
馬鹿にしたように笑ったクエットに、ハンナは少しばかり機嫌を悪くする。
「そんなって何」
「ジークさんはあたしの命の恩人ですよぉ? っていうかねぇ、ジークさんの戦いぶりを見て何かしようなんて思うやつは馬鹿か大馬鹿か頭の中空っぽのやつだけですって。あなただって知ってるでしょう?」
そんなに仲がいいのだから、と聞こえてきそうな言葉だった。
長年離れて暮らしており、最近のジークの戦いは全然知らないハンナは、それに対して『知らないわよ』とは答え辛い。
「……そう? それならいいけど」
一度ぐっと詰まってから出た言葉は、クエットの同行を承認するものだった。
そもそもニコラとの関係を邪魔するような、あるいは、ジークたち一行の邪魔をするような、変な輩でなければいいのだ。
別の意味では相当に変な輩の気配があるが、それはもう仕方がない。
「こいつは便利だから連れて行ってもいい」
「……お客さぁん、あたしのことポーション自動製造機くらいに思ってません?」
「思っていない」
「ホントですかねぇ」
本当に思っていないけれど、ポーションを素早く大量に生産できることこそが、クエットの主な価値だとは思っている。そこにどんな違いがあるかはジークにしかわからない。
「あのね、ジーク。友達に便利だからとか言うもんじゃないわよ」
「姉さん、ありがとうございますぅ。ジークさんったら、材料と金をぼんっておいてポーション作れって言うだけで、ろくにあたしの雑談にも付き合ってくれないんですよぉ」
「うるさい」
ジークは余計なことを言うおしゃべりを黙らせようとしたが、すでにハンナに聞かれてしまった後で手遅れであった。
「ジーク、話くらい聞いてあげなさい」
「ずっと話してうるさいから嫌だ。ギルドから必要なもの持ってくる」
ここで頷くとこれから先ずっとクエットのくだらない話に付き合うことになる。
適当に頷くことが嫌だったジークは、用事を告げてその場からそそくさと逃げ出したのであった。




