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テルマと一緒に六十階層に登っていたジークは、動きの硬さを見て早々の撤退を決めた。
階層自体には幾分か慣れてきたようであるが、今日は雑な動きが目立つ。
明らかに余計なこと、つまり全力を出すということを意識するあまり、気もそぞろになっていた。
「戻るぞ」
戦いを何とか無事に終えたテルマは肩で息をしているし、いくつかのかすり傷を負っている。
荷物から安いポーションを取り出したジークは振り返ったテルマに放り投げる。
「傷口にかけておけ」
「いや、ポーションは使わなくても……」
「いいからつかえ。ものを惜しむな。少しの痛みが動きを鈍らせる」
正直、戦いに没頭してしまえば少しの痛みなど気にもならない。
だからかすり傷は軽視されがちだが、逆に言えば不意打ちをされた瞬間なんかは、小さな、かさぶたがはげるような痛みですら動きを僅かに鈍らせることがある。
その僅かに鈍った反応がより大きな傷を作り、その傷を庇うがあまり命を落とすことだってある。調子を万全に整えて臨めるのならば、そうした方がいいに決まっているのだ。
ちゃぽちゃぽと傷口にポーションをかけながら歩くテルマは、ジークの戻るという選択に否を言えなかった。明らかに自分のパフォーマンスが下がっている自覚があった。
ベースキャンプに戻ったジークは、厳めしい顔でテルマに問いかける。
「どういうことだ」
心配してのことなので全く責めるようなつもりはないのだが、問われた方は委縮してしまうくらいに怖い顔だ。
どういうことだ、というのは、なぜ全力を出さないのかという意味なのだが、テルマはその問いの意味をきちんと受け止めて答えた。ジークという人間をある程度理解しているからこそできる芸当である。
「長く使っていなかったせいか……、よくわからなくなってしまって」
ジークからすればその説明がよくわからない。
テルマからすると、力はスイッチを切り替えるようにして使う。
一方でジークは常に自分の全ての力を支配下に置いている状態なので、いちいちスイッチを切り替える必要がない。
「わからん」
「そうですか……」
「わからんが、力が使えるようになるまで塔に入るな」
テルマはぎりっと奥歯を食いしばる。
塔に入るのには資格も許可もいらない。
そんなことを言われる筋合いはないと反論したかったが、しかし今の自分が情けなくもあって言い返すことができなかった。
「……わかりました」
二人は重たい雰囲気のまま、六十階層を後にする。
正確には、テルマだけがその雰囲気を背負っており、ジークはなんとなく、いつもより静かだなくらいにしか思っていなかったが、とにかく空気感は重たかった。
塔の外で仕事をしていた番人のオルガノが、声をかけるのを戸惑ったくらいである。
さっさと立ち去ってしまったジークと、肩落としてとぼとぼと歩いていくテルマ。
その元気のない背中にオルガノは思わず声をかける。
「あの、何かあったんですか?」
「……いえ、何でも」
テルマから見たオルガノは、ジークの数少ない友人である。
そんな相手に相談をするのも違う気がして黙り込む。
今口を開けば、自分が悪いとわかっているのに、ジークのことを責めてしまいそうだった。
普通に考えて、相手の気持ちをちゃんと理解しようとしない、デリカシーがたりないジークにも問題はあるが。
「あー、ははーん、さてはジークさんに何か言われましたね?」
「いえ、そんなことは」
目を逸らしたテルマの態度はあからさまだった。
オルガノは数年間の付き合いで、ジークが人に気を遣えるような人物でないことを知っている。かまをかけたら見事に図星だったようで笑ってしまった。
「気にしないほうがいいですよ。悪気はないでしょうから」
「いえ、気にしなければいけないことなんです。その、戦いにおける課題と言うか……わかっているのにうまくできないことがありまして」
「あー、なるほど。そうなってくるとちょっと難しいですね」
オルガノは手に持った槍の石突で、何度か地面を叩いてからにかっと笑う。
「ま、色々と相談してみたらいいですよ。悩み事って一人だと解決しないことも多いので」
「ありがとうございます。そうしてみます」
とはいえ、力についてはあまり人に話すことができない。
相談をするにしても迂遠な言い回しをする必要があるだろう。
どうにも表情が晴れないテルマに、あまり役に立てなかったようだと察したオルガノは、頭をかきながら言った。
「まぁ、ジークさんが何を言ったにしても、心配をしてのことだと思うのであまり嫌わないで上げてください」
「……はい」
テルマは笑って返事をする。
結局のところオルガノはテルマのことを気にしているようで、ジークの心配をしているのだとわかってのことだ。
「それは心配しないでください」
そうだ、見返してやらなければならない。
落ち込んでいる暇なんてない。
そう考えたら、ジークに対しても少しだけ腹が立ってきた。
パーティを組んでるのだから、母によれば家族のようなものなのだから、もうちょっと言葉を選んでくれても良かったのではないか。
もし力を使えるようになったら、一言文句を言ってやろうと、それをモチベーションの一つとすることにした。
テルマは顔をあげると、いつもの負けん気の強い表情を見せて通りをさっそうと歩いていく。
オルガノはその背中を見送って一言。
「何かよくわからないけど、元気は出たみたいだな」
ジークの知り合いには変人が多い。
オルガノはテルマもそのリストの一人に付け加えるのであった。
一方でさっさと帰ったジークは、傷だらけの体を露わにして風呂に浸かりながら考え事をしていた。時折ジークが来ると逃げ出していく客もいるが、常連なんかは見慣れた姿なので気にせずに体を洗っている。
話によればテルマの力は後から与えられたものだ。
鍛えて備わったものではない。
出所がわからない以上気味の悪さはあるが、ある以上は制御できるようになった方がいいに決まっていた。
ジークは、いっそそんな力なんてない方がいいのだがと考える。
ジークは、テルマがその力を恐れているらしいことに気が付いていた。
テルマ自身が気が付いていないのにだ。
こと戦いに関しては、ジークは天才的な直観を持ち合わせていた。
それをうまく人に伝えられるかどうかは別の話だが。
テルマは力を恐れるがあまり、全力を出せていない。
ジークの言った『全力を出せ』という言葉はそのままの意味なのだ。
それを言ったときにジークは、テルマが特殊な力を持っていることなんて知らなかった。
ただ、今自分が使える力を全力で出せと言う話をしただけである。
つまるところテルマは、力を使える使えないの前に、力を恐れるあまり、その力を抜きにしても全力で戦うことができていないのだ。
だからジークは思う、いっそそんな力などなければよかったのだが、と。
しかし身に宿ってしまったものは仕方がない。
あるものを無いものとして扱うことはできないのだから、恐れを乗り越えて自在に操れるようにならなければ仕方がない。
どうしたものか。
力の使い方で一度も悩んだことがないジークは、ジークなりにテルマに何をしてやれるか風呂に浸かりながら真剣に悩んでいた。
せめてそれを少しでも言葉にしてやれば、相手の気持ちも違うのだが、どうにも人の心というものが今一つ理解できないジークである。




