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状況が変わった。
ジークの気持ちは今までで最も晴れていたが、だからと言ってやることは変わらなかった。
朝からギルドに赴き、噂話に耳を傾ける。
昨日の様子を見ていた者がいるらしく、いつもよりも浴びる視線は多い。
ジークはいつも通りの端の席に腰を下ろし、ぽりぽりとナッツをかじる。
どうせ今日のハンナは二日酔いだ。
ギルドには顔を出せないと知っているからこその余裕である。
ぼんやりとギルド内を眺めていると、奥からウームが顔を出してギルド内をぐるりと見まわしていた。ウームは仕事の合間に時折こうして姿を現して、気を紛らわしていることがある。
その顔を見て、ジークはハッと思い出して立ち上がり歩み寄った。
奥へ引っ込もうとしていたウームが怪訝そうな顔をしてジークを迎える。
何か心当たりはと考えたウームは、昨日ギルドの前でごたついていたという報告を思い出したが、だからといって何か問題が起きたわけではない。
「ウーム、喋る奴が出た」
「……ん? 何の話だ」
「塔に喋る奴が出た。今年に入って二度目だ」
「……ちょっとこっちにこい」
ウームはジークを連れて奥の部屋へと引っ込む。
メリッサに『しばらく放っておけ、何かあれば言ってくるだろう』と言われて追及を避けていたが、話を理解すればそれどころではなかった。メリッサはジークがどれだけ世間ずれしているか、今一つわかっていないのだ。
部屋に着いてソファに座るや否や、ウームはテーブルを叩いて身を乗り出す。
「喋る奴ってのは、アイオスの百階より上にいたような奴らのことだな? 降りてくることがあるのか!?」
「稀にな」
「稀に!? これまでもあったんだな!」
「アイオスではそいつに仲間が殺された。シーダイの塔では六度目の遭遇だ」
「……早くいえよ」
「上の階から魔物が下りてくることが増えたと言った」
「そもそもこっちは、百階より上の階の魔物がしゃべるってこと自体知らなかったんだよ……!」
決定的に出してくる情報が不足しているジークにイラつくウームだが、怒って暴れ散らしたところで情報源はジークしかないので、黙って聞くしかないのがまた歯がゆい。
「どうしたんだ、そいつら」
「全員殺した」
「そうか、そうかよ。で、なんだ、今度は何が言いたい」
「高層階冒険者に、喋る魔物が出たら逃げろと伝えろ」
ウームは腕を組んで考える。
高層階の探索者たちはプライドが高い。
これまでは強い警告を発してこなかったから見逃されてきたが、めちゃくちゃ強い喋る魔物が出る、なんて言ったらどこからの情報だという話になるだろう。
「ヴァンツァーでも遭遇したら逃げるべきか?」
「そうだ」
「まるで敵わないか?」
「他に何もいないなら戦えるかもしれん。だが高層階で他の敵がいる中では絶対に無理だ」
これまではいざとなればヴァンツァーからと言っていればよかったが、今回ばかりはそうはいかない。
ヴァンツァーが遭遇して無事だったのなら、自分たちだって、と思うことだろう。
いっそ拝んでやろうと考える探索者だっているかもしれない。
そんな僅かな油断が塔の中では命取りになる。
「信じやしないぞ」
「なぜだ」
「高層階に長く潜ってるような奴らが、これまで一度も遭遇してこなかった」
「遭遇したら死んでいるからな」
「ヴァンツァーが出会ったと言っても、生き残っているから説得力に欠ける」
「俺が殺したと言え」
「それができりゃあどんなに手っ取り早い……、何だと?」
ジークは長年自分が高層階を探索していることを他に言うなと言ってきていた。
だからこそ怪しいと思いながらも、ヴァンツァーを街の最高層階達成者として売りに出していたウームである。
「どういう心境の変化だ?」
「隠す必要がなくなった」
ジークが自分の階層を隠してきた理由は、目立つことでハンナの元まで自分の名前が伝わることを避けるためだった。
ハンナと再会し、その必要がなくなった以上、隠す理由もない。
「待てよ、しかしな……。シーダイの塔は何階まで登っている?」
「九十九階だ」
「なぜそれより先に行かない」
「喋ってるやつらを殺すと人を殺してるようで気分が悪い」
「降りてきた奴らは殺すんだろう?」
「あいつらは俺たちを殺すからな」
「……待て、百階層より上の奴らは、普通に暮らしているとかよくわからないことを言っていたな。まさか戦えないような奴らもいるのか?」
「いる。普通に働いて、子供を育てている奴らがいる」
ウームは頭を抱えた。
やはりメリッサがいる間に、もうちょっと色々と話を詰めておくべきだったのだ。
わけのわからない新情報を次々とこぼしだして止まらない。
「わかった、情報をよこせ。まとめる」
ウームが紙を取り出してデスクに着く。
考える前に情報をまとめて見返せるようにしておくつもりである。
「なんでもいいから、アイオスの百階より上の情報を話せ」
「わかった」
ジークは思い出しながら話を進める。
まず、喋っている言葉はよくわからない。
降りてきた大妖精と、アイオスの塔にいた獣人たちの扱う言葉は、なんとなく違う感じがした。
百階層から上は、上へ行くほど戦えるものが増えていく。
降りてくるのは、戦えるものの中でも上の方に住んでいる存在。
文明的には街と大して変わらない。
塔の五十階層から上に現れる魔物と似たような魔物が多い。
ジークのことを見ても逃げるだけのものもいた。乗り込んだ場合も必ずしも襲ってくるわけでもない。
「……つまり、姿かたちが違うだけで、俺たちと変わらん生活を営んでいるってことか」
「そうだ。だから意味もなく殺しに行くのは気が引ける。それに行く意味もない。あそこでは宝箱も手に入らないし、目新しい納品物もない」
実は今使っている剣だけは百十階で偉そうにしていた敵から奪ってきたものだが、それ以外に関しては伝えたままである。喋る魔物を殺しても手に入るのは、宝箱や高層階に住む普通の魔物から手に入るようなものと変わらない。
納品して文句を言われたこともないので、どうやら効能も同じであるとジークは知っている。
ウームは長く深いため息をつくと、ペンを立てかけ、椅子に深く座り直した。
「わかった、お前の名前で警告を出す。お前が九十九階層まで登っていることも公表していいんだな?」
百階層より上に登っていることは、ウームの一存では発表できない。
なにせ研究者の多くは百階層が到達点であると論文を出しているのである。
それを発表するのは、メリッサが十分に根回し、研究がある程度進んでからになる。
「いい」
「なんで急に気が変わった」
「……隠れる必要がなくなった」
「そりゃあどうしてだ」
「昨日、テルマの母親が来た」
「…………だから何だ?」
「ハンナは昔の仲間だ。どうやら俺は、嫌われていなかったらしい」
話がよくわからない。
よくわからないが、ジークの表情はかつてないくらいに穏やかであった。
ウームはジークがかつての仲間のことを馬鹿にされると、ひどく腹を立てることを知っている。
つまるところ、よくわからないが昔のわだかまりが解けてすっきりしたということなのだろう。
「なんか知らんが、良かったな」
「まぁな」
「ってことはお前、やっぱり前からテルマのことを知っていたな」
「いや、途中で知った。あれはハンナとノックスの娘だ」
「だから誰だよ」
「俺の昔の仲間だ。ノックスは俺を守って死んだ」
「ああ、なるほどな、なんとなくわかった」
言葉は足りないが、そんなことには慣れている。
点と点をうまく線で繋げ終わったウームは、先ほど言った言葉をもう一度繰り返した。
「良かったじゃねぇか」
「そうだ」
「今まで隠すのに協力してやったんだから、これからはお前が色々協力しろよ」
「わかった」
これまでだってウィンウィンの関係を築いていたはずなのに、ウームは押しつけがましく、ちゃっかりと約束を取り付ける。
ウームは妙に険がとれてしまったジークのちょろさに、内心『大丈夫かよこいつ』とちょっと心配になったが、とりあえずのところ自分の方に損がないので黙っていることにしたのだった。




