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店主は先ほどパンをかじって去っていったはずのハンナが、またパンを、今度は連れの分も買って去っていくのを余計なことを言わずに見送る。
普通だったら連れのためや、待たせている人への土産に買ったのだろうなと思うところであるが、店主は誤解しなかった。
なぜならハンナが、やっぱりその場で紙をむいて、大口を開けてパンにかじりついたからである。小さな体でよく食べることだと思ったが、店主にしてみれば良い客でしかない。
それから、なぜか連れ合いの探索者然とした少女がえらく緊張しているようだったので、もしかして怖い人なんじゃないかなと察して、余計なことは一切口にしなかった。
「どうして私に嘘をついてこの街に来たの」
「……ママが、お金を送ってくれてる人と私を会わせたくないんじゃないかと思って」
設置されたベンチに並んで腰を下ろして話す親子。
犬のジークはしばらくぶりに顔を見たテルマに顎の下を撫でられて、満足そうに目を細めている。
「どうしてそう思ったの」
「聞いても答えてくれなかったし、それに、ギレントさんが、探しに行くならばママには伝えないほうが良いって……」
「……なるほどね」
しっかり性格を把握して状況をコントロールしている優秀な男である。
しかしそんなギレントにも一つだけ誤算があった。
「それで、見つけられたの?」
「……まだ。それっぽい人を見つけて聞いてみたんだけど、人違いで」
それは十分に情報を持っていると胸を張っていたテルマが、思った以上に思い込みが強くてちょっと抜けていたこととである。
そもそもギレントはテルマが送金相手を探しに行くと認識していたが、当のテルマは実の父親を捜しているという時点ですれ違いがあった。これに関してギレントを責めるのは酷というものだろう。
何せギレント自身、テルマには幾度か実の父親の話をしているからである。
どうしてそんな誤解が生まれてしまったのか、首をひねるしかない。思春期の暴走とでもいうべきだろうか。
「まだ探すの?」
「……探してもいい?」
ハンナはギレントの『会いに行ったとしても、あいつは逃げ出しただろうし』という言葉を思い出していた。
実際、最後に別れて以来ジークはただの一度もハンナの前に姿を現していない。しばらくの間は街にいたはずなのに、ギルドの人たちに口止めまでする徹底ぶりだった。
二年ほどして遺品が手元に戻った時には、もしかしてジークもひょっこり顔を出すんじゃないかと期待したが、そんなことはなかった。ギレントもあれはたまたま見つかったものだとハンナには説明をしている。
もちろんこれはジークが言わないよう頼んだからなのだが、ハンナは当然その事実を知らない。
すっかり嫌われてしまったのかと思えば、二年と少し経って突然始まった送金。どう考えてもジークから以外にはありえないが、ハンナはそれをどうとらえていいのかずっと迷っていた。
その受け取り役であるギルド、つまりギレントにしつこく尋ねても、向こうからの都合で何も教えられないという。それならば自分で調べようと思っても、関係者は当然口を割らない。
何せギレントがそうしろと言っているのだから、それに逆らうようなものはいなかった。
その頃はまだまだテルマも小さくて、手のかかる頃だった。
そちらをないがしろにしてまでジークの調査に本腰を入れるわけにもいかない。
ハンナは迷いながらも、ジークから送られてくるお金をじっと受け入れることしかできなかったのだ。
テルマが少し成長してきてからも色々と問題があったが、周りから支えられて乗り越えてきた。
ハンナの旦那は交友関係の広い男であったので、テルマの教育要員には事欠かなかった。ギレントもその一人で、忙しい仕事の合間を縫って、一般的な常識や言葉遣いなどを丁寧に教えてくれた。
残念なのは、ギレントに似て、やや人の感情に配慮しない性格に育ってしまったことだが。それらとハンナの正義感みたいなものが相まって、今のテルマの性格は構成されている。
テルマが探索者になってからは、やっぱり心配で街を離れられなかった。
もし出かけている間にテルマに何かあれば、後悔してもしきれないと考えたからだ。いつ帰っても出迎えてやれるように、街にいるべきだとハンナは考えていた。
いつかテルマにいい人ができて、自由な時間ができることがあれば、その時初めて、ハンナはジークのことを探しに行くつもりでいた。探して、見つけて、あの時のことを謝りたいと思っていた。
テルマからの手紙は、急な機会の訪れであった。
いてもたってもいられずこうしてやってきてしまったが、いざジークに会って逃げられたら、逃げられて当然のことをしたと考えていても、かなりショックである。
だからハンナは、ギレントの方針に従ってこれからどうするかを決める。
「……探してくれる? ママも……、その人と話がしたいの。でも、会わせてくれる時は、私が会いたいって言ってるってその人に伝えないで。逃げちゃうかもしれないから」
いつも気丈な人であるハンナが、自信なさげにお願いする様子は、テルマの心を打った。いつもの送られてきたお金を眺めている時の母の顔だった。
なんとしてでも見つけ出して、会わせてやらなければならない。
使命感に燃えるテルマは、立ち上がって宣言する。
急に立ち上がったテルマに驚いて、犬のジークはわふわふと言いながらハンナの足元へと逃げた。
「ママ、私絶対に見つけるから、待っててね」
妙に張り切る娘を頼りに思いながら、ハンナはにっこりと笑う。
「ありがと、テルマ。できた娘をもって嬉しいわ。……それはそうとして、嘘は良くないわよね? ギレントさんの紹介で、すでに他の街に話が通っているっていうのも嘘だったのかしら? ママ、すごく心配したのだけれど?」
「ゴメンナサイ……。でも、副ギルド長に話を通してもらっていたのは本当で……」
「ふぅん、ま、いいわ」
一切目を合わせようとしないテルマを見て、ハンナはまだ隠し事があることを察したが、ここはひとまず、娘の母思いの言葉に免じて見逃してやることにした。
「宿、どこをとってるの? ジークも入れるところだったら、同じ宿にしたいのだけれど」
「あ、うん。多分大丈夫だと思う。案内するね」
怖い怖いと言いつつも、仲のいい親子である。
街を歩くとなれば、二カ月ほど先にいたテルマはあちこちを案内することができた。
久しぶりの親子の散歩は楽しく、母が物珍しそうに店を眺める姿も新鮮で、この日はテルマにとってとてもいい日になった。なんだかんだと、十七年たった二人で、途中からは二人と一匹で暮らしてきた親子である。テルマも長く離れていて寂しかったのだ。
宿まで案内し終えると、ハンナは旅でつかれたからと言ってそのまま休むことになった。ぱたりと扉が閉められると、テルマはそのまま自分の部屋へ戻り、大きく息を吸って吐き出した。
うまく余計なことを言わなくて済んだことにほっとしていた。
実はテルマ、理由があって母からパーティを組むことを禁じられていたのだ。
もし今ジークとパーティを組んでいることがばれたらことである。案内してくれている人がいると聞いても、あまりいい顔をしないだろう。
早くギルドへ行って口止めをしなければと、予定を立てるテルマである。
それはそうとして、ベッドに体を投げ出したテルマは、へらりと表情を緩める。
「ママもジークも、元気そうでよかった」
そこにいたのは、ただの家族思いの娘でしかなかった。




