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ジークにはもはや目標も何もなかった。
かたき討ちは済んだ。遺品も回収できた。ハンナに合わせる顔はない。人と関わる理由もない。
これが終わればまた塔に戻って、生涯を塔の中で過ごすつもりでいた。少なくとも彼らに出会うまではそうやって生きてきたのだ。元の生活に戻ればいいだけの話だった。
アイオスの街のギルドに突然現れた抜け殻のような男は、それでもゆらりと漂う怪しい殺気を纏っていた。二年間、全ての時間をかたき討ちと遺品の回収に注ぎ込み、見事それを達成した男だ。
誰もが遠巻きにして近くへ寄ろうとしない。
まっすぐに受付へ歩いてくるジークに、受付嬢が小さな悲鳴を上げて逃げ出した。
そしてたまたま近くを通りかかった副ギルド長に助けを求める。
「あ、あの、すすす、すいません」
「……下がっていろ」
副ギルド長は、仕方なく受付へ移動してジークがやってくるのを待つ。
元は高層階の探索者をしていた男だ。じっとやってくる背の高い男を観察し、ようやくそれがもしやジークなのではないかと疑いを持った。
同時に、ジークも受付に立っている男のことを認識していた。
その名をギレントという。
常々バカ騒ぎをするジークの仲間たちや、常識のないジークによく小言を言ってくる面倒な奴だ。はっきり言ってジークはその男のことがあまり好きではなかったが、テルマの父親は随分と仲良くしているようだった。
駆け出しのころに随分と世話になったから、お前も失礼なことするなよと言われていたので、仕方なく言うことを聞いていた。
「これ、ハンナに渡してくれ」
ことり、ことり、と丁寧に、ゆっくりと、これ以上傷が増えないように、ジークは彼らの遺品を受付に並べていく。それを一つ受付に置くたび、ジークの心は渇いていく。
もう何もなくなる。
何もなく、何で生きているのかもわからずに、生きるためだけの毎日に戻るのだ。
最後の一つを置いたジークは、一度目を閉じてから、くるりと回れ右して歩き出そうとした。
「おい、ジーク。どこへ行くつもりだ」
ギレントが声をかけると、ジークの足がぴたりと足が止まった。
どうやら自分の洞察が間違っていなかったことをギレントは確信する。
ギレントが知っているジークは、痩せっぽっちでぼそっと余計なことを言ってよくハンナに叱られている子供だった。
とはいえその頃から戦闘センスは抜群で、力も、粘り強さも一流のそれであった。
自分にも他人にも厳しいギレントが、ジークに限って言えば、いずれはこのギルドを背負っていく器であると確信していたくらいだ。
惜しむらくは、少々馬鹿で物覚えが悪いことくらいか。
そのせいで連携なんかはあまり得意ではなかった。
それを差し置いても、あの個性豊かなパーティメンバーが隙あらばジーク自慢をしてくるような麒麟児であった。
あの男が『育ったら、俺こいつに養ってもらうんだ』なんて軽口をたたいていたことを、ギレントは昨日のことのように覚えている。
もう、その男が死んでから二年も経っているというのにだ。
それだけ存在感があり、人々から愛された男であった。
「話があるから来い」
すっかり背が高くなったジークが、荒んだ眼に少しだけ以前のような色を浮かべながらギレントのことを睨む。その宿っている色が『また面倒くさいこと言うつもりだ、こいつ』というあの男が死ぬまではよく見たものであったが、ギレントは大人なので我慢してもう一度強く言う。
「面倒くさがるな」
ため息が一つ聞こえた。
ギレントはついてくることを確信し、受付に遺品の保管を命じると、ジークを連れて奥の部屋へ向かう。
ギルド内がざわついていた。あとで統制をしなければならないなと思いながら、ギレントは扉を開けてジークを椅子に座らせた。
「どこへ行くつもりだった」
「塔」
「二年も何をしていた」
「塔にいた」
「死んだかと思っただろう」
心配したのだ、という意思を込めての発言だったが、ジークにそれを受け取るほどの情緒の豊かさはなかった。だから何なのだ、自分が死んだからなんだ、というような顔をしてギレントを見返す。
懐いていない野生の獣なんてこんなものである。
仕方なく、ギレントは人の名前を使う。
「とにかく、塔へ行く前にハンナのところへ顔を出せ」
ジークはとにかくハンナに懐いていた。
ハンナだってジークをかわいがっていた。弟のように、時には息子のようにだ。
彼らのパーティの関係は傍から見ていても温かく、屈強なもののように思えていた。そんな関係を作るのが下手なギレントにとって、それはひどく眩しいものでもあった。
だからハンナの名前さえ出せば、ジークは二つ返事で言うことを聞くと思ったのだ。実際ハンナだって、重たいお腹を抱えながら、何度もジークを探してギルドへ顔を出していた。
あまり良いことではないので、わかったことがあれば連絡すると言って追い返したが。ギレントはその頃のハンナの焦ったような、泣きそうな顔を思い出して、大事な時期にこの馬鹿は何をやっていたんだとイラついてきたくらいだ。
「嫌だ」
「は?」
ギレントは思わずぽかんとしてしまった。
ジークは言葉と共に表情をゆがめ、席を立ちあがる。
何かあったのだとギレントは察した。
だからハンナはあれほど憔悴していたし、この馬鹿で鈍感なジークがこれほどに動揺する。仲間にだけは忠実だったジークがこれほどの態度をとるのだ。賢いギレントはその内容になんとなく見当がついてしまった。
「喧嘩したのか」
「していない」
「何があった」
「顔を見たくないと言われた。だから絶対に行かない、絶対に会わない」
ジークは部屋から飛び出す準備をしていた。
下手なことを言えばこのまま逃げ出して一生ここには姿を現さないことだろう。
ギレントは内心焦りながらも、余裕がありそうな振りをして椅子の背もたれに背中を預ける。
「なるほど。ハンナは何でそんなひどいことを言ったんだろうな」
「酷くない、俺が悪い」
得意でもないのに寄り添ってやろうとしたら、あっさりと否定されてしまった。こんなのは自分の役割ではないとギレントは思ったが、他にできる奴がいないことをわかっているから放り投げることもできない。
一応は長いこと世話した後輩の、弟か子供の様な存在である。
ギレントが眩しいと思いつつも中に入り込めなかった関係に無理やり当てはめてみるのなら、甥っ子か孫みたいなものである。
死んだらあの男に散々文句を言ってやろうと考えながらも、ギレントは粘り強くジークから話を聞きだした。
結果分かったことは、妊娠中の精神不安定な時期に夫と仲間の死を知ったハンナが、気持ちの整理をつけることが出来ずに、うまく言葉を選べなかったのだろうということだ。
ジークは未だにハンナのことを慕っているし、ハンナはかなり早い段階でジークに誤解を与えたことに気づき、その姿を探し始めていた。
じゃあその誤解を解いてやれば、全て丸く収まりハッピーエンドといきそうだが、そううまくいかないのがこの馬鹿なジークである。
仲間以外の言葉を信頼していない、中身が子供のままこんなにも大きくなってしまったこの男は、ギレントがハンナに引き合わせようとした瞬間に姿をくらますことだろう。
しかもどうやらこの男が姿をくらます先が、塔の高層階であることまで聞きだしてしまった。
詰んでいる。
頑固な思い込みの激しい馬鹿のせいで、現状の解決法はない。
もはや有効な手段は時間に頼ることだけである
「守れって言われたんだろう。だったらせめて毎月金ぐらい送ったらどうだ」
「お前みたいな辛い思いをしたやつが減るように活動してみろ」
「隣のシーダイの塔なんてどうだ」
「金を送ればハンナに渡しておいてやる」
「お前のところにハンナが行かないように情報は隠してやる」
「代わりに絶対に居場所は教えろ」
長い時間をかけての説得だった。
すべてに頷かせて、ジークが部屋を去る頃には
すっかり朝になっていた。
仕事も溜まっているというのに大幅なタイムロスである。
ソファに沈み込んだギレントは、部屋から去っていくジークの背中に最後に一言投げかける。
「多分あいつは、お前が楽しく過ごしているほうが喜ぶぞ」
「……やり方がわからん」
振り返ったジークからぽつりと力ない言葉が返ってきた。
ギレントにはそれが、小さな子供の様に見えてしまった。すっかり体は大きく育って、どこに出しても意見の一致をみられるような悪人面になったというのにだ。
しかし、あの男のように人と関わることが得意なわけではないギレントができることは、ここまでだった。
足音が部屋から遠ざかっていく。
「早死にし過ぎだ、馬鹿野郎」
ギレントの雑な悪口は、誰にも聞かれることなく部屋に広がって消えた。




