閑話 夫婦喧嘩も千差万別
二月に一度の当直勤務を終えた昼過ぎ。
本日の急ぎの決裁を片付けてこれから非番に入ろうとしていたエメディオは、気分良く鼻歌を歌いながら宮殿の通用門を通り抜ける。
「お疲れ様でした、団長」
「ご苦労、後はよろしく頼むな」
若手の近衛騎士が、私服姿のエメディオを見てピシッと敬礼をしてきたのでこちらも軽く労いの言葉をかけた。
「はいっ、お任せください! 」
若手の近衛騎士が頼もしい返事を返してくれたことに満足し、足取りも軽く宮殿を後にする。
このところ宮殿を取り巻く魔力が安定しており、エメディオたち宮殿付きの近衛騎士の仕事が随分と楽になった。華子という異界の客人を受け入れ、警備が強化されて物々しい雰囲気に包まれていた宮殿も、無事ひと月を過ぎて通常の状態に戻りつつある。宮殿の外を担当している警務隊はまだしばらく忙しいが、それもまもなく解消されるだろう。
今回の客人は普通の市井の民で、魔力も少なく危険な知識や思想も持ち得ていない、本当に無害な女性だった。本来ならば早々に謁見を済ませ、宮殿の外にある客人専用の集合住宅に移らせる対象であるはずだったのだが、その女性 ―― 田中華子はただ一つだけ大きな問題を抱えていた。
第九王子殿下のコンパネーロ・デル・アルマ。
ただそれだけであるが、最大限に警戒しなければならなかった事情もつい最近解決するに至り、近衛騎士団長であるエメディオもやっと一息つけるまでになったのだ。
(今週末くらいに部下を労うための飲み会でも計画しようかな)
勤務の関係上、三回は飲み会を開催しなければならないが、経費で落とすか、できなければ今回の騒ぎの原因の片割れである第九王子殿下 –––– リカルドにでもたかればいいか、とエメディオは気楽に考える。紆余曲折を経てなんとか納まったリカルドと華子であるが、それにはエメディオと、その妻である警護騎士のイェルダの尽力があったからこそとも言えるからだ。
アルマを暴走させたリカルドと、それにつられてしまった華子のそれぞれから事情を聞き出し、諭し、仲良くやれる秘訣(?)とやらを教えた結果、ついに二人の想いは通じ合い、なんとか仲良くやっている。エメディオとイェルダも結婚に至るまでに二十二年も費やしており、アルマ持ちであるが故の苦労を知っているだけに、どうしても二人を放っておけなかったのだ。
特にリカルドは攻撃性の高い焔系の魔力の持ち主なので、アルマが暴走して精神的に不安定になれば宮殿の防護結界にも多大な影響を及ぼしてしまう。一方華子は公にはされていないが、魔力とアルマの虹色の印が直結しているため、ひとたびアルマを暴走させればリカルド以外の者たちが近付けないほどになるのだと報告を聞いている。イェルダが中庭で泣いている華子を保護した際は、魔力が暴走する寸前だったらしい。
もういっそのこと求婚すればいいのに、とエメディオは家路につきながらもう一度宮殿を振り返った。今もこの宮殿のどこかで、他人が入り込む隙がないくらいに甘い雰囲気を醸し出しているであろう二人を、生暖かく見守っている周囲の者に対して心の中で敬礼する。
「さて。せっかく早く仕事が終わったことだし、家でゆっくりしないとね」
今日はエメディオが愛してやまないイェルダも休みを取っている。このところ忙しく仕事場でも簡易伝令を使ってしか会話をしていなかったので、エメディオの中の何かが枯渇しそうだ。エメディオは宮殿の敷地内から出ると小走りになった。
「イェールダ、何をしているのかな? 」
エメディオが帰宅すると、イェルダはこじんまりとした居間で縫い物をしている最中であった。
大らかで豪快な性格だが、意外にも緻密な作業が得意な彼女は、こうして小物を手縫いしたり女性騎士仲間に頼まれてぬいぐるみを作ってあげることがある。邪魔をしないようにそっと覗き込むと、ドラゴンを実物よりも何十倍も可愛らしくした丸っこいぬいぐるみを縫っていた。
「帰ってたんだねエメディオ。当直お疲れさん、汗を流したらひと眠りでもするかい? 」
エメディオに気が付いたイェルダは、顔をあげるとにかっと笑顔になる。集中して真剣な顔も美しいがエメディオは彼女の笑顔も大好きだ。
「んー、どうしようかな? とりあえずシャワーは浴びてくるけど、イェルダも一緒には」
「入らないよ! 」
冗談のつもりで言ったのだがすかさずピシャリと遮られてしまう。
「冗談だよ。ただいまイェルダ」
「おかえりエメディオ。さっさとあがってきな。ご飯を作ってやるよ」
イェルダは作りかけのドラゴンのぬいぐるみを籠に戻すと立ち上がる。随分長いこと座っていたようで、ぐっと背伸びをすると洗いざらしのシャツの下から綺麗なお腹の線が微かに見えた。エメディオはその引き締まったお腹から視線を逸らすと、ぎこちなく後ろを向いて返事を返す。
「はーい、イェルダは恥ずかしがり屋さんだね」
「あ? 何か言ったかい? 」
「なーんにも。シャワー浴びてきまーす」
無防備なイェルダにはいつもドギマギさせられる。悪いことではないがあまりにも不意打ちが多過ぎて、結婚から四ヶ月が経った今でも、エメディオは自分を抑えることに必死だ。
(ああ、危なかった、ほんと、アルマって厄介だよなぁ)
別にアルマの所為だけではないと思うのだが、エメディオは都合よくそう解釈するとそそくさとシャワー室へ向かったのだった。
汗を流して普段着に着替えたエメディオは、イェルダと一緒に食卓につき、パエーリャという魚貝類をふんだんに使って炊いたご飯に舌鼓を打つ。昨日あった出来事や気になる話をしながらの食事は格別だ。エメディオがさっきのぬいぐるみの話をするとイェルダは隠すことなく教えてくれた。
「あのドラゴンは今夜のルナの会で使うのさ」
「え? ルナの会って今夜だったっけ? 」
『ルナの会』とは女性騎士の集まりだ。近衛騎士、警護騎士、竜騎士の三騎士のいずれかで働く女性が月一の割合いで各々集い近況を報告し合うものだが。
「悪いね。急にお祝い事が入ってしまってさ……そういうことで、今夜はよろしくね」
「僕は聞いてないよ?! せっかくの非番なのに」
「よろしくね」の部分を可愛らしく言われてもエメディオはぜんぜん嬉しくない。久々の水入らずの夜になるはずが、一人さみしく留守番になるとは。
「だから急なんだって。私らの時も盛大に祝ってもらったんだからしょうがないじゃないか」
「私ら……ってことは誰か結婚するの? 」
「マグダレナがついに婚約したんだよ。めでたいだろう?」
マグダレナはラファーガ竜騎士団の数少ない女性竜騎士だ。彼女もさっぱりした性格で、年は離れているがイェルダと話が合うらしく、よく二人で飲みに行く間柄だった。
「へぇ、それはめでたい。けど相手は誰なんだい? あの子の相手が務まる骨のある奴なんていたかな」
「なんか失礼な言い方だね! 相手は警務隊の東地区隊長だよ。あんたより骨のある立派な男じゃないか」
警務隊の東地区隊長といえば歴戦の猛者だ。エメディオが生まれる前から警務隊にいる重鎮だが、一体幾つなのだろうか。
「確か今の東地区隊長って客人だったよね、四十年くらい前の。彼、年幾つなの? 」
「長生きの種族らしいよ。マグダレナが言うには百三十歳だとさ。フロールシア人で換算したら四十歳くらいだって聞いてるけど? 」
これはあれか、年の差が流行りなのか。リカルドと華子も十分にあれだが、上には上がいたということなのか。
「ふーん……同じ客人にも色々あるんだね」
「何でも竜騎士と警務隊の交流会で出会ったらしいよ。私ら女性騎士ってあんまり出会いがないからさ。そういえばあんたのところのマウロ君は立ち直ったのかい? うちの女性騎士でも紹介してやろうか? 」
アマルゴンの間の警護を担当している近衛騎士のマウロが、目に涙を滲ませながらリカルドと華子の経緯を報告してきたのは一週間と少し前のことだ。宮殿の裏庭にある厩舎でリカルドと華子の告白の一部始終を見てしまったマウロは、それから三日間ほど落ち込んでいた。華子に淡い恋心を抱いているようだとは薄々気がついていたが、決定的な場面を見せつけられてしまった可哀相なマウロに、エメディオも多少は同情している。まあ、だからと言って任務を放棄するような男ではないのでそのままアマルゴンの間の警護から外してはいないが、心配といえば心配である……別の意味で。
「あいつなら多分大丈夫だよ」
「もう立ち直ったのかい? 若いっていいねぇ」
「いや、立ち直ったというか」
エメディオと同じく心配した同僚のアドルフォが、マウロの行きつけである酒場に様子を見に行ったらしいのだが、奴はやさぐれるどころか新たな恋に夢中になりつつあったという話だ。カウンターに一人で座る黒髪の女性の後ろ姿をチラチラと気にしては溜め息をついていた、ということなので今度の恋はうまく行けばいいなとエメディオは思っていた。
「やれやれ。恋多き男ってのは大変だね」
最後まで言わずともエメディオの言いたいことを理解したイェルダは目をぐるりと回した。
「恋少なき男も結構大変なんだよ? 君と僕や、殿下とハナコちゃんみたいに」
「まあね。ハナコはアルマのない世界から来たんだし、それだけでも大変だからね。話を聞いてるともう健気過ぎて。あの子には幸せになって欲しいって、パルティダ侍女長も言ってたしさ」
イェルダはしんみりと語り始める。
「せっかく戦争も終わって平和になったんだ。まだ水面下じゃあごたごたやっているみたいだけど……あの当時は恋だの愛だのに現を抜かすなんてできなかっただろう? リカルド殿下なんて『アルマを得ていない俺は死ぬことはない』って言って前線に立ち続けたっていう話じゃないか。祖国を捨てた私が言えた義理じゃないけどさ、もうあんな思いは嫌なんだよ」
リカルドのみならずエメディオもイェルダもそれぞれが祖国のために命を奪った。それが戦争だと言われたらそれまでだが、散々自分を責めた日々は忘れることなどできない。
「みんな幸せになってもいいじゃないか。平和ぼけと言われても構わない。自由に恋愛して結婚できるようになって嬉しいよ」
「だから、殿下にも幸せに? 」
「そうだよ。私なら六十年も待つなんて出来ないもん。エメディオと離れ離れになるのはもう嫌だもん」
イェルダの口調がだんだんと変わっていく。オルトナ訛りが嫌でわざとさばさばとした快活な口調を使っているが、元はこれだ。エメディオはそんなイェルダが堪らなく愛おしい。
「イェールダ? ご飯が冷めちゃうよ?」
「言われなくても食べるもん」
(ああ、やっぱり僕のイェルダが一番可愛い)
エメディオはイェルダにばれないようにこっそり笑うと、少し冷めてしまったパエーリャに匙を入れた。誰も知らないイェルダの秘密を自分だけが知っている、という優越感に浸りながら、エメディオはもう一組のアルマたちを思い浮かべる。
きっとあの二人にも自分たちだけの秘密がこれからたくさん増えていくはずだ。
もう少ししたら四人でどこかに出かけてみてもいいな、とエメディオは一人画策するのであった。




