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お汁粉

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる人もいます。

・今年もよろしくお願いします。

1月3日。

一応はまだ正月であり、周囲の店がことごとく休みを取っているこの日。

店主は1人仕事始めを迎えていた。

「さてと……やるか」

厨房にただ1人立ち、仕事を始める。

今日はまだ店主以外の従業員は軒並み休みである。

また、店もまだ休みであり客は来ない。

だが、仕事はせねばならない。なぜなら今日は……金曜日なのである。

(チキンカレーと、ビーフシチュー……ああ、あとは普通のカレーも多少は作っておかなきゃな)

店主は常連の顔を思い浮かべ、まず間違いなく明日来るであろう常連の顔を思い浮かべながら、粛々と仕込みを行う。

明日は土曜日。異世界食堂が開く日。

あの扉は盆、暮れ、正月にゴールデンウィークなんて日本の事情は一切気にしちゃくれないし、ついでに異世界の住人の方にも正月休みという言葉は無い。

つまりはいつもどおりの仕事が求められるのである。

いつもであれば他のスタッフと一緒にやる平日の仕込みの際に異世界食堂の分も多少は作っておくのだが、こうして大型休暇中の金曜日は、店主はその準備にまる一日使うことになる。

(まあ、正月ボケ抜きにゃちょうどいいわな)

とはいえ店主はこの休み明けの準備は意外と嫌いではない。

しっかり休んでいたこともあり、気力も充実している。

店主は腕の1週間分の錆を落とすつもりで準備に励む。

(さてと……)

一通り終わったところで、新年の準備に入る。

毎年この時期、異世界食堂では正月ならではの料理として出す、特別料理がある。

思いっきり和食なのだが、求める客がいるのである。

元々は先代が思いつきで始めた、正月だけのちょっとしたサービスだったらしいのだが、それにものすごい食いつきっぷりを見せた客がいた。

何しろ店主が小学生だった頃から年に1回、この時期だけしか訪れないという念入りっぷりだ。

そうなるとなかなかやめるとも言い出せず、こうして代が変わった今も続けていたりする。

(さてと、今年も来るのかね……あの耳の長いお姉さんは)

そんなことを考えながら、店主は水洗いして鍋に入れた小豆を煮込み始めるのであった。



西大陸の深い山脈に囲まれた古い森の再奥に聳え立つ大樹の洞の中で、エルフの女賢者セレナは思考と探求を中断し、約1年ぶりにゆっくりと目を開いた。

(また、年が変わったか)

太陽と月、星々の影響を受け、わずかに揺らぎ続ける魔力の流れ。

それが一巡りして、あの日よりおよそ1年が過ぎたことをセレナに告げていた。

森の精気を魔力として取り込むことで若返り、老いとそれによる死を永遠に抑え続ける秘術。

あの恐るべき七色の覇王たちやはるか古代に覇王たちから逃れるため世界を捨てて異なる世界へと移った古き時代の神々であれば文字通り息をするように行使する秘術。

世界で唯一それを使いこなせるエルフが、セレナである。


エルフが盛んに魔術を研究し、その魔術をもって5柱の覇王やその眷属たる南方の化け物どもと戦い、深き海の底や高き空の果て、ついにはエルフがいない異世界にすら進出しようとしていた時代。

エルフこそ世界の支配者と思い上がっていた時代に天才と呼ばれていたセレナは齢100にしてその魔術の完成を志した。

いつか訪れる、死という探求の果てを否定し、肉体を捨てず、アンデッドへと変じることの無い不老不死となるために。


セレナは当時、エルフの優れた魔術師たちが己の魔術の更なる研鑽を行うために編み出した永遠を生きるための秘術……

儀式による死により己の肉体を捨て、死の塊とでも言うべき精神のみの存在たる魔霊(リッチ)へと変ずる秘術が信じられなかったのだ。

確かにこの肉体は脆弱で、滅びれば精神もろとも消滅してしまう代物だが、エルフは元々肉体を持って生まれてくる生き物。

それを捨てて精神のみの存在になるなんてことが、何の副作用も無いとは思えなかったのだ。

果たして、セレナの懸念は事実であった。

肉体を捨て、魔霊と化したエルフたちは皆、1,000年もしないうちに発狂した。

肉体という拠り所を持たぬが故に死に魅入られ、死に精神を食い尽くされ、無差別に死を振りまく化け物と化したのだ。

発狂したとはいえ古い時代の魔術を極めた魔術師たちは強大で、それらは魔霊化の秘術が廃れた今となっても死を振りまく化け物として在り続けている。

(永遠、か……孤独なものだ)

理論の完成までに500年、己の肉体と森の環境を魔術を使うために整えるのに300年。

完成までに800年という、エルフにとっても文字通り生涯を費やしたに等しい長い時間をかけたその秘術の力は絶大で、セレナはこの森の中にいる限り、食物も水も必要とせずに永遠を生きることができる。

そしてその永遠はセレナに長い研究の時間と、孤独をもたらした。

秘術が完成し、永遠を生きるようになってはや3,000年。

もはやセレナがエルフの都にいたころの知り合いと呼べるものは(発狂し、化け物と化した魔霊どもを除いて)残っていない。

(まあよいか。最近は楽しみもできた)

そんな、思考と探求のみを追い求める生活に、たったの30年ほど前にささやかな変化が起きた。

この森に、古い同胞が残した名残りである、異世界への扉が現れるようになったのだ。

(……本当に楽しみだな)

その異世界の扉の先にあるのは、金銭と引き換えに食事を提供する場所。

人間や魔物たちなどから異世界食堂と称されているその場所では、年に一度、年が変わった後の最初のドヨウの日にのみ供される、特別な料理がある。

西大陸において広く食べられている米を搗き固めた餅を使った料理。

それがあるからこそ、セレナは年に1度だけ、そこを訪れるのだ。


そして数日後、年が変わって最初のドヨウの日。

「……きたか」

森の中に黒い扉が現れたのを察し、セレナは扉のある場所へと向かう。

森に住まう獣たちが水場として使う、小さな泉。

森の動物の多くが冬眠しているこの季節ゆえに静寂に包まれたその泉のほとりに、それはあった。

魔法のかかった、黒い猫の絵が描かれた扉。

セレナはそっと細い指をその扉の取っ手に掛けて……開く。


静寂に包まれた森の中に響くのは心地よい魔法が発動する音。

それを聞きながら、セレナはゆっくりと足を踏み入れる。


薄暗く、冬の冷気に満ちた森とは対照的な、明るく、暖かな空気に満ちた一つの部屋。

そこでは新年を祝う客たちで賑わっていた。

「ふむ……む」

店の中を見渡し、セレナはその男を見つけ、歩み寄る。

あの森に流れる風に乗って流れてくる話によれば1000年ほど前から随分と数を増やしたという人間に、その人間とエルフの混血児。

古き混沌の覇王に祈ることで人ならざる力と肉体を得た魔族、エルフとは違う文化を持つ魔物たちに、かつてのエルフの仇敵たる南方の覇王の眷属たち。

彼らはゆったりと入ってきたセレナにかまうことなく、新年を祝い、大いに料理を食べている。

(相変わらずめまぐるしく変わる場所じゃのう。ここは……おお)

10年や20年は何の変化も無いのが当たり前のエルフにとっては目まぐるしいほどの変化を見せるこの場所で、店の片隅でゆったりとそれを食う知り合いを見つけ、挨拶する。

「久し……くもないな。クリスティアン」

「……これはこれは、セレナ様。1年ぶりですね」

無造作に掛けられた声にクリスティアンは丁寧に挨拶を返す。

その正体を知るがゆえに。

己のざっと10倍ほど生きているという、伝説のエルフ。

数千年以上前にいずこかへ姿をくらましてからはどこにいるのか皆目わからないという話であったが、どうやら今も元気にご存命なのは間違いないらしい。

もっとも出会ったのはこの食堂で、この食堂以外ではあったことも無いため、どこに住んでいるのかはクリスティアンにも不明だが。

「うむ。そちらも変わりなさそう……でも、無いか」

いささか古い言葉で話していたセレナは、一年ぶりに会う知り合いの中にも変化を見つける。

「はて。この店に斯様な餅の味付けなどあったかの? 」

クリスティアンが食べているのは、ナットウと呼ばれる腐った豆のソースをかけた餅であった。

確か去年までこの男が食べていたのは、砂糖入りの『ショーユ』で味付けし、黒い海の草でくるんだ餅で無かったか?

そう考えながら、たずねる。

「いえこれは……最近知り合った友人にヒントを得まして」

その問いかけにクリスティアンは半年ほど前に、年下の友人の娘に教わったことを言う。

「ナットウは、小麦の麺にも合いますが、米にも合うとわかったものでね。ならばその米を使った餅にも合うのではないか、と」

……注文を出してみたら、どうも異世界では割と一般的に行われている食べ方らしく、すぐに出てきた。

いつもより若干ショーユが濃い、ナットウをかけた餅。

ナットウの独特の滋味は粘り気が強く、噛み応えがある柔らかな餅にもよく合い、クリスティアンを大いに満足させた。

「ふむ。なるほど道理か……まあよい」

そのナットウ餅にもひかれるものを感じないではないが、セレナのお目当ては別にある。

「そこな娘。すまないが、注文をしてもよいかの? 」

「は~い。少々お待ちください」

大方店主に雇われたのであろう、異世界風の装束を纏い、あちこちの卓に料理を運んで注文を聞いている娘を呼びつける。

「はい。お待たせしました。ご注文をどうぞ」

「うむ。すまぬがオシルコスープを、まずは一杯戴きたい」

注文するのは、甘い豆のスープ。

この日、一年で最初の異世界食堂の日にしか出していない、特別な料理である。


そして、クリスティアンから今やっている『腐敗』と『醗酵』の違いの研究の話などを聞いていると、料理が出てくる。

「お待たせしました。オシルコです! 」

ことりとセレナの前に置かれるのは、深く丸い椀に満たされた、白い餅が泳ぐ赤茶色のスープ。

「ふむ。では戴くとするかの」

そういいつつ、まずはオシルコから出ている湯気を胸いっぱいに吸い込み、堪能する。

肺に満ちる、甘い香り。

その香りに、胃袋がおよそ1年ぶりに食物を入れる準備を初め、くぅ、と小さな音を立てる。

まずはスープを木の匙で掬い、口へと運ぶ。

「ほう……」

口の中に広がる、甘い味に思わず息を漏らす。

森になる果実とも、蜂の巣から取れる蜂蜜とも違う、豆の柔らかさを持つ甘み。

この店の他の甘味と違い、乳も卵も用いぬ、年に1度だけしか味わえぬこの味こそが、セレナが待ち望んでいたものだった。

(やはりよいな。このオシルコのスープは)

そう思いながら、次に箸を手に取り、このオシルコの具である、餅を食べる。

箸の先でそっとつまむのは、やや大きめに切り分けられた、餅。

箸でちぎることは難しいので、無作法を承知でそのまま口に運んで、歯で噛み千切る。

(うむ……うむ)

柔らかな餅を咀嚼すれば、口の中に広がるのは、煮込まれた餅からこぼれ出るオシルコのスープ。

甘いそれが淡白な餅の味と絡み合うことで、先ほどとは違う顔を見せる。

かみ締めていけば餅からも甘みが生まれていき、更に甘みが強くなった。

(やはりこの味はよいのう)

初めて食べたときと同じ感想がまた去来する。

年に一度食べるご馳走に、セレナは大いに満足する。

「……ふう」

やがて椀1杯を平らげ、一緒についてきたコンブなるものの塩漬けで口直しをしたセレナは、出された米の匂いがするゲンマイ茶を飲む。

「……さてと。そこな娘、よいかの?」

一息ついたところで、再び給仕を呼ぶ。

「はい?なんですか?」

「うむ。追加で注文を頼む。イソベとキナコ、それと、そこの男が食うておるナットウを頼む」

森の精気のお陰でセレナの体調は常に万全である。

1年ぶりで、ほぼこのときしかしない食事を楽しまないという選択肢は、セレナには無い。

「今宵は宴ぞ。腹がはち切れるほど貰うとしよう」

そうして、セレナの1年が始まるのであった。

今日はここまで。

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― 新着の感想 ―
おしるこということはこのお店で出しているのはこしあんのスープですね?
見てたらお汁粉食べたくなってきた
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