アヒージョ
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・エアコンの温度は25℃設定です。
以上のことに注意してお楽しみください。
西の大陸の北の果ては、いずれの季節であっても凍てついた雪と氷に覆われた白い大地である。
遥か昔に、魔法の暴走によってこうなったと言われ、草木も生えず、血の通った生き物は暮らせぬかの地には、俗に『雪女』と呼ばれる存在が住みついている。
彼女らはかつてこの地を支配していた森賢人が残した魔法生物であり、およそまともな生物では暮らすことができないこの地上の、支配者である。
雪と氷に含まれる魔力を糧に生きる彼女らは食事を必要としないし、例えどんなものでも凍てつくような寒さの中にあっても凍えることはない。
時に吹雪く風に乗って文字通り空を駆け、雪と氷の魔力を込めて触れれば、どんなものでもたちまちに凍り付く。
それは彼女ら自身の身体も一緒で、生中な攻撃ではあっという間に傷口が凍って塞がるのだ。
見た目こそ少女や女性である彼女はまた、人間たちにとっては敵対すれば鬼にも匹敵する強敵なのだ。
そんな彼女らは、他の大地にも雪と氷が満ちる真冬の間だけ、人間のフリをして南に下り、人と交わる『遠征』を行う者たちがいる。
北の地では手に入らぬ様々な物を求めるため、楽しみのため、子を為すため、愛する人間に逢いに行くため、理由は様々。
雪や氷があれば半森賢人にも匹敵するほどに長生きだが、雪や氷が無い場所では一年も生きられぬ彼女らにとって、
南の方にある人間の国が雪と氷に覆われる時期は、楽しみな季節なのである。
彼女らは雪と共に南に移動し、雪解けの前に北へと戻る。
また一年、次の冬が来るまでの間を雪と氷に覆われた北の大地で過ごすのである。
「じゃあ、またね」
「うん。また」
数か月ぶりに戻る、白い大地で、サユキはともに戻ってきた友人と、故郷で別れの挨拶を交わす。
冬の間、人間の国に行く間は気の合う友人として共に過ごしてきたが、この白い大地では必要ない。
彼女たちの糧となる雪と氷に年中覆われ、逆に生きるものが極端に少ないこの地において、彼女たちは絶対的な強者だ。
生きるために群れを作る必要のない彼女らは、それぞれの生き方に忠実だ。
孤独や寂しさを嫌い、同じ雪女と集落を作って暮らすものがいる一方、そのような関係が煩わしいと、一人で暮らすものもいる。
サユキはどちらかというと一人を好む性質であった。
「……さてと」
友人と別れ、辺りはもう見慣れた白い世界。
懐かしい我が家に戻る前に、寄りたいところがある。
「えっと、何日待てばいいのかな?」
あそこは確か、七日に一回現れるはずだ。と言っても前回行ったのは一年くらい前なので、それから何日たったかは数えていない。
「……まあ、いっか。出てくるまで待てば」
楽しかった人間との冬も終わりに近い。次の冬まではこの退屈な故郷で暮らすしかない。
その時間を思えば、ほんの数日待つくらいはどうということはない。
サユキはじっと待った。猫の絵が描かれた黒い扉が現れるのを。
「あ、出てきた」
結局いつもの場所に黒い扉が姿を現したのはそれから二日後のことだった。
風を遮ることもできない、純白の山肌にポツンと現れた黒い扉。
一度雪崩に巻き込まれたのも見たことがあるが、それでも傷一つ着くことなかったそれは、異世界に繋がっている。
「準備、準備っと」
身体からの冷気を逃がさないように、しっかりと外套を羽織り、帯で止める。これで『あれ』を食べるくらいは耐えられるだろう。
異世界食堂。あの場所は……酷く暑い。
サユキ以外の雪女は暑すぎると嫌がるし、サユキだって入るときはいつもちょっとだけ勇気がいる。
「えいっ」
太陽が真上に達するのを待ってから、意を決してサユキが扉を開くと。
チリンチリンという音と共に、この北の大地には似つかわしくない熱気が溢れてきた。
*
ひょう、とまるで冬はまだ終わっていないぞ、と告げるような冷たい風が洋食のねこやの中を吹き抜ける。
その気配で、何人かの客と、給仕らしき娘が驚いた顔で見たのに気づき、少しだけ恥ずかしくなる。
普段は、同族か、冬の間に訪れた南の異国の民とほんの少しだけ触れ合う程度だから、あまり慣れていないのだ。
その視線から逃れるように、店の隅の方……少しだけ熱気の弱い席へと座る。
「……あの、いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
無言で席に座ったサユキに少し遅れ、金色の髪を持つ給仕が話しかけてくる。
確か数年前からこの店で働いている給仕だ。年に一度くらいしか顔を合わせないが、自分が冬の風をまとってくるので顔を覚えられているのだろう。
「ええ。お久しぶり……早速だけど、注文いい?」
そういう顔見知りが雪女以外に出来たことを喜びながらも、サユキは尋ねる。
迷いはない。ここに来る前から、何を食べるのかは決めていた。
「はい!ご注文をどうぞ!」
笑顔を浮かべる給仕に、一言。
「アヒージョを。付け合わせはパンで」
この店で、一番『熱い』料理だ。
頼んだ料理が届くまで、相も変わらず暑い店内でサユキは料理が届くのを待つ。
(相変わらず、人間の家の中より暑い)
この中は、サユキには酷な暑さになっている。それはこの地を訪れた人間や魔物が快適に過ごせる暑さなのだろう。
みな、上着を脱いでいたり、部屋着のような服装をしている。
それを横目で見ながら、サユキは分厚い上着を脱がない……体内の『冷気』を逃がさないためだ。
雪女の体温は、とても低い、それゆえに服を着込むことである程度『暑さ』に耐えられるようになる。
耐えられるようにはなるが、それでもこの店は極寒の雪の大地と比べればあまりに暑い。
先ほどの給仕が持ってきた、冷たい氷入りの少しだけ酸っぱい水を飲む。
サユキの基準では熱くも冷たくもない水。だがこの暑い部屋ではのどに染み込む美味さに思える。
(汗が……出てくる)
服の下ではじんわりと身体から出た汗が体温で冷やされて氷となり、身体をさらに冷やそうとしていた。
普段暮らしているときには滅多に出ないものだが、不思議と不快感は無く……むしろ気持ちよさすら感じる。
(みんなは、こう暑いのは辛いって言ってた、けど)
ここに誘った雪女は、ここをあまり好まなかった。料理は悪くないのだが、あまりに暑いためだ。
昔、あの極寒の大地の地下にできた、お湯の泉に落ちてあっという間に溶けて死んだ雪女がいたという話を聞いたことがあるし、
雪のある季節のうちに南の国から戻り損ねて、次の冬まで生きられずに果てた雪女がいたという話も聞いたことがある。
暑いというのはすなわち、雪女にとっては死に繋がる危険なものだ。
だから、それを多少なりとも心地よく感じるサユキは、少しおかしいのかもしれない。
「お待たせしました。お料理をお持ちしました」
そんなことをつらつらと考えているうちに、先ほどの給仕とは違う、黒い髪の、南の国の人間のような顔立ちの給仕が料理を持ってくる。
木でできた皿の上に、黒い鉄の器が置かれている料理を
「熱いんで気を付けてくださいね。食器に触るとやけどしますよ。それじゃ、ごゆっくり」
それは分かっている。だってそれは、この部屋の暑さなどはるかに超える、焼けた石の熱さを持っているのが見ただけで分かる。
その皿の上では鮮やかな色合いのしゅらいぷと、サユキが名前は知らない野菜の数々がぐつぐつと煮えたぎっている。
緑の香草が散らされた黄金色の油の上に、赤、緑、茶色、そして夕焼け色の食材が浮かんでいる鮮やかな色合いの料理だ。
そのメインとなるアヒージョのすぐ隣には、茶色く光る焼けたパン。
そして、その側には氷入りの水。この組み合わせがサユキのお気に入りである。
(さて、まず最初の一口から……)
こくりとつばを飲み、銀色に光る匙を手に取って、黄金色の油にくぐらせる。
匙の上には、緑色の香草が散らされた黄金色の油に、夕焼け色の輪を作ったしゅらいぷ。まだ熱い油に注がれたそれをそっと吹く。
息が弱すぎれば文字通りの意味で舌が溶けるほど熱く、強すぎれば凍り付いて冷え切ってしまう。
火傷するかと思うほど熱く、そして実際に火傷しないほどには冷めている。
その加減が最もおいしく食べられる熱さであることをサユキは知っている。
(……よし)
一口食べて、満足する。
人間の食べる、麦で出来た薄い衣をまとい、熱い油で煮られたしゅらいぷは柔らかくプツリと切れる。
しゅらいぷのまとった衣から出るのは、煮るのに使われた油の風味。
赤いとがらんの輪切りから出た辛みと、細かく刻まれて混ぜ込まれた白いがれおの辛み。
その二つが油に独特の風味を出し、しゅらいぷの身から出るうま味と共にあふれ出す。
ほう、と思わずがれおの独特の香りを孕んだため息が出る。
ああ、そうだ。この最初の一口こそが、アヒージョの醍醐味だ。
そう思いながら、続いて匙を沈める。
続いて拾い上げたのは、淡い緑色の茎に濃い緑色の傘を持つ茸のような形をした野菜。
サユキの故郷では見ることすらできない、柔らかく煮込まれたそれは、口の中で簡単に崩れていく。
その柔らかさと新鮮な植物が持つ風味が、同時に広がっていく。
それは、人間が食べる、サユキの知る『野菜』のような苦みや強い塩気はない。
(ん。やっぱり野菜って美味しい)
そう思いながら今度拾い上げるのは、野菜。鮮やかな赤。油を帯び、天井からの光に磨いた石のように滑らかに光る。
こっちは口に含むと、少しだけ酸味がある。ぷちゅりと潰れて、酸味と油の風味が混ざり合うのだ。
先ほどの緑の野菜とは違うが、こちらも美味だ。どちらが美味いか、そう問われれば困る美味であった。
そして最後はキノコ。雪と氷に覆われた大地でもわずかに地下などで見かけることもあるものである。
茶色くて、地味な色合いのキノコではあるが、その中にはうま味が凝縮されている。
それが油を吸い込んで、独特の歯ごたえと共にサユキを楽しませた。
(ふう……まず、一口ずつ)
最初の一口は、それぞれの具材を一つずつ味わう。それがサユキの食べ方である。
そして、次に……パンを手に取る。
焼き立てから少し経ち、ほんのわずか冷めたパン。雪女の手にはまだだいぶ熱いそれを手でちぎる。
茶色い塊が割れ、白い中身が出てくる。
そのまま食べてもほんのり甘味があるそれを……黄金色の油に浸した。
白い表面が瞬く間に油に染まり、金色になる。それを、そっと口に運んだ。
ほんのりとしたパンの甘味にしゅらいぷと野菜の味が溶け込んだ油が染み込んだ味が口の中に広がる。
その風味に満足したら、次はそのパンで作った台座の上に具材を乗せる。
「パン、おかわりお願い」
食べる前に通りかかった給仕に一言添える。どうせ足りなくなるのは分かっている。
(……熱い)
暑い部屋で熱い料理を食べ続けると、体がほてっていくのがわかる。
身体の中から温まっていく感覚。恐らく服の下は滅多に流れぬ汗でびっしょりだろう。
それが、心地よい。雪女のひそかな楽しみは、皿の上の料理がすべてなくなるまで続いた。
お金を払い、外に出ると、いつものように吹きすさぶ吹雪が、サユキの身体を撫でる。
普通の生き物なら死すら覚悟させる、されど雪女にとっては生きるのに無くてはならぬ冷たさ。
料理と店で温まった汗だらけの身体が、見る見るうちに冷えていく。
(ああ、心地よい……)
汗まみれになった服を脱ぎ棄てながら、深く呼吸すると、清冽な雪と氷の精気が肺を満たす。
その空気こそが、この店を訪れたときの、サユキの最後のごちそうであった。
今日はここまで。




