コーヒーフロートふたたび
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・古くからのお客様も歓迎しております
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
雲というものが無い真っ青な空に、燃えるように熱い太陽の光と、眼前に広がるどこまでも続く黄金色の砂漠。
それを見た時、シャリーフは帰ってきたことを実感した。
(不思議なものだ。この光景をこんなにもいとおしく思うなど)
天を照らすためだけにしてはあまりに強すぎる太陽の光も、人間が生きていく上では広大すぎる砂漠も、
砂の国では忌むべきものだった。にも拘わらず、半年以上それらを見ていないと不思議といとおしくなるものらしい。
そのことをシャリーフは初めて知った。
(長い、長い旅路だった)
目的を果たすため、父王の許しを得て旅に出たことは後悔をしていない。だが、国許を出たことが無かったシャリーフにとって、
海辺の港から出発し、周りに塩辛い海しかない場所で嵐にあって船が沈みかけたことも、魔物に襲われ必死に応戦し自ら剣を振るい撃退したことも、
帝国の昼日中であっても夜のように寒い荒野を馬で行く旅も大変ではあったが新鮮で得難い貴重な経験となったし、何より彼女のための旅と思えば耐えられた。
そんな旅路の果てにたどり着いた建物どころか道まで石でできた都にも、その帝都では日陰者であるはずの魔族が普通に暮らしている様子には随分と驚かされたし、
砂の国にはない文化に溢れた帝国で過ごした日々は、きっと一生の思い出となるだろう。
……だが帰ってきて初めて気づいた。自分はずっと慣れ親しんだ砂の国に、戻りたいと思っていたことに。
(そうか。これが郷愁というものか……きっとアーデルハイドも、同じように思うのだろうな。彼女にとっては帝国こそが故郷なのだから)
そんなことに思い至り、だからこそ父と自分の選んだ道は間違いではなかったと安堵する。
帝国への『友好を結ぶための贈り物』はきっと役に立つと。
「……ここが、砂の国か」
そんな感慨に浸っていると、すぐ後ろから砂を踏みしめる男の声、この国の民が使うものとは違う言葉が聞こえてくる。
「はい。ここが我が故郷です」
シャリーフは向き直り、後ろに立つ男に答える。
こちらの人間とは違う、白い肌の人間と異形の魔族の護衛に囲まれた、一人の壮年の男だ。
その身に纏うのは、太陽の光を反射して輝く、灼熱の砂漠ではまず使われぬ装備である、甲冑。
それは、一たび着込めば羽のように軽く、砂漠の太陽どころか人間を枯れ木のように灰にするような竜の炎の吐息からすら着たものを守り抜く、エルフの残した秘宝らしい。
元はとある歴史あった小さな国の宝だったという『献上品』を纏うような男は、大陸広しといえども一人しかいない。
「ヴォルフガング陛下。これで我が国の本気、認めていただけましたでしょうか?」
帝国の第二代皇帝、ヴォルフガング。建国帝ヴィルヘルムの血を引く壮年の後継者は威厳を漂わせつつも鷹揚に頷いて見せる。
「うむ。シャリーフ殿。貴殿の持ってきた秘宝、そしてそれを自在に操る砂の国の魔術の妙技。確かに見せてもらったぞ」
そう言いながら、ヴォルフガングは後ろを……先に転移した使者の報告通りに広がる黄金の砂の海を見やり、ここが間違いなく砂の国であると確信する。
二つの魔道具同士を結び付け、転移させる魔道具。
それが、砂の国が帝国へと持ってきた『友好を結ぶための贈り物』であった。
聞けば砂の国が持つ数々の財宝の中でも特に貴重なもので、砂の国にもたった一対しかないものだという。
それ故に、王太子たる自分が直々に運ぶ責任者とならねばならなかったと。
遥か大陸を越えてかの地からやってきた異国の王子は、謁見の席でそう言っていた。
「なるほどな。これならば砂の国と呼ばれるのも納得できる。すさまじい光景よ」
わずかに草が生えるだけの帝国の荒れ地がまだ豊かな土地に見えるほどに荒れ果てた、この世のものとは思えぬ光景。
その様子にヴォルフガングはこの地に兵を送って攻め落とすのはまず不可能であると考え、たとえ攻め取っても何の意味も無いであろうと直感し、
こんな土地で国を為せるほどの暮らしが出来るという砂の国の民の魔術の技術の高さを思い、危険な船を使わずに容易く大陸を渡ることが出来る利便性を考える。
「……よかろう。貴国と我らは、きっと友となれよう」
結論はすぐに出た。
今後はどうなるかは分からないにせよ、今現在の友好は役に立つ。
「もうすぐ我が娘が城へ戻ってくる。そのときは、紹介させていただこう」
ヴォルフガングはその思いから、目の前の若者が求めてやまぬ言葉をかける。
「……はい!」
その言葉に、シャリーフは笑顔で答えた。
それから数日。
シャリーフは一人、砂漠の通いなれたあの道を通る。
相も変わらず天からは太陽の焼き尽くすような光が降り注ぐ。
(ああ、そうだった。砂漠とはこういう土地であった)
その感覚にシャリーフは面白さを感じつつ、目的の場所に向かう。
今日は一人だ。あの小うるさい妹は一緒ではない……連れていかない条件として、持ち帰り用のアイスをセットで所望されたが。
(ああ、ここは変わらぬ……いや、少しだけ変わったか)
黒い猫の絵が描かれたいつもの扉に、見慣れぬ板……『異世界料理のねこや』と書かれたものが括り付けられているのを確認する。
なるほど、半年と言うのはやはり長い。
そう思いながら、いつものように扉を開ける。
チリンチリンと、久方ぶりに聞く鈴の音を纏いながら、シャリーフは扉をくぐった。
目に入るのは、明るい部屋に何人かの客と、その間を忙しく動き回る給仕の少女たち。
旅に出る前に見慣れた光景に改めて帰ってきたことを実感する。
「いらっしゃいませ! お久しぶりですね。お席へどうぞ」
「ああ」
シャリーフの来訪に気が付いた、いつもの魔族の給仕の少女に案内されて席に座り、周りを見渡す。
(……懐かしいな)
店にいる客に思い人が居ないことを確認したところで、そんな気持ちを思い出す。
そうだった。妹と一緒に行くようになるまではただただこうして待つことしかできなかったのだ。
それから数年。今やシャリーフはあの頃の、ただただ思い人に恋焦がれるだけの青年ではなくなったのだ。
「……コーヒーフロートをアイスクリームで。カッファは甘みを強くしてくれ」
「はい。かしこまりました」
そう思いながら、今や慣れ親しんだ、いつものメニューを注文する。
店主へと注文を伝える給仕を見送り、給仕の持ってきた果実の汁を混ぜた水を一口飲む。
(うむ。美味い)
熱い砂漠で熱くなった身体に冷たい水が染み込み、喉を潤す。
半年の間、砂漠を離れて海を渡り、あの寒い帝国で暮らしていた間に、少し暑さに弱くなったように思う。
そのせいか、氷が浮かぶ冷たい水は以前よりも甘露に思えた。
(……楽しみだな)
水でも美味なのだ。半年ぶりに飲む異世界のカッファはもっと美味だろう。
そう思うと、待つのすらも楽しくなる。
椅子に深々と座り、暑くも寒くもない部屋の中で待つ。思い人を待ちながら。
それは懐かしくも楽しい時間であった。
「お待たせしました。コーヒーフロートです」
そうして運ばれてきたコーヒーフロートに、シャリーフは顔をほころばせた。
透明な硝子の杯に満たされた透き通った黒いカッファと、その上に浮かぶ氷。
そしてその上に乗せられた淡い黄色を帯びた白いアイスクリームの球。
半年ぶりに見るコーヒーフロートはいつも通りの姿をシャリーフに見せていた。
(ああ、やはりこれだな)
そのいつも通りに
(美味いな……これが異世界風ということか)
最初の一口で広がる、酸味と苦み、そして甘さを帯びたカッファの味に深く満足する。
久しぶりに味わうその味は、故郷に戻り、久しぶりに宮廷で出されたカッファを口にした時を思い出した。
旅の合間にシャリーフに供されるカッファは、最初は味が良くなかった。
砂の国で取れる豆の中でも最も良いものを選んで持っていったはずなのだが、豆が劣化したか、それとも水が違うのか……
それは故郷で入れるカッファとは違う味がしたのだ。
(従者もずいぶん苦労していたようだが)
砂の国の民にとって慣れ親しんだカッファの味が落ちていることは、従者もずいぶんと問題視していた。
水を変えてみたり、砂糖や香料で風味づけたり、先に帝国に向かい交渉にあたっていた砂の国の貴族から話を聞いたりして、何とか美味なカッファを用意しようとしていた。
その努力の甲斐あってか、帝国で飲むカッファはそれはそれで美味になった。
だが砂の国で供されるものとはかなり違い、そのことに内心少し不満を感じていたのも事実であった。
だからこそ、故郷で供されたいつものカッファは余計に美味に感じられたのだ。
そして、旅の間、様々なカッファを飲んできたシャリーフの舌は、異世界風のカッファの味も鋭くとらえている。
砂の国の冷やしたカッファと比べると、苦みが弱く酸味が強い。甘味も、かなり弱い……だが、美味い。
砂の国のものとは違うが慣れ親しんだ味がするすると喉を通っていく。
(よし、次は……)
カッファを堪能した後、シャリーフは硝子の杯の側に置かれた銀色の匙を取り、アイスクリームに取り掛かる。
何度も繰り返して食べるうちに分かった、コーヒーフロートの楽しみ方。
出されてカッファを楽しんでいる間に少しだけ溶けかけたアイスクリームの、今にも零れ落ちそうになった部分を掬い取り、口に運ぶ。
溶けかけたアイスは舌の上で淡く溶け、乳の風味と甘い香りを残していく。
溶けてないわけでも、溶けすぎてもいない、絶妙な柔らかさを楽しんだあとは更に匙をすすめてまだ溶けてない部分を掬い、口に含む。
今度は冷たいまま舌の上に長く残り、そして溶けていくアイスクリームが舌を冷やしていく感触を楽しみ、カッファを一口。
甘く冷たい余韻をカッファで流すのが心地よい。
(さて、そろそろ沈めるとしよう)
そうしてアイスが半分より小さくなったところでアイスをくるりと裏返して沈める。
くるりとかき回し、氷の上に残ったアイスを削って味わううちについにアイスは完全に溶けて、黒いカッファの中に溶ける。
黒く透き通ったカッファと、白いアイスが交じり合い、茶色い色合いとなったのを確認して、そのカッファを飲む。
アイスクリームによって甘さを増し、さらに柔らかな風味を帯びたカッファは、先ほどとは違う。
今までのカッファが喉で味わうものであったなら、こちらは胃の腑で味わうような、重厚な味だ。
(うむ、これでこそ、コーヒーフロートだ)
その味に深く満足する。
半年ぶりなせいか、前と変わらぬ異世界の味が楽しめた。
そんなときだった。
チリンチリンと言う、来客を告げる音がして、そちらを見たシャリーフは思わず目を見張る。
そこに立つのは、流れるような銀髪の少女……シャリーフの愛してやまぬ人。
彼女は店の中でふとシャリーフに目を止め……にっこりと笑う。
ただそれだけでシャリーフの心臓は早鐘のように打ち、カッファの甘さも増したような気がする。
(やはり、アーデルハイドがいるとカッファもより美味に感じるな……)
さて、どうするか……やはり自分から誘うべきかなどと考えながら、シャリーフは残りのカッファを飲み干すのであった。




