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クロワッサン

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、余り活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・終電を逃した場合は仮眠室の利用を推奨。ただし汚さないように。

朝、突如鳴り響いたけたたましい音にアレッタは驚いて飛び起き、ついで混乱した。

自分がどこにいるか、分からなくなったのだ。

肌触りの良い寝るためのものにしては上等すぎる、伸び縮みする、

身体にぴったりと吸い付く服に、鉄の棒で出来た寝床に敷かれた柔らかな布団。

どれもたたき起こされたばかりのアレッタには覚えが無いものだった。

(ええっと、ここは……)

思い出そうと考えていたら、ずっと響いていたけたたましい音が止まる。

そのことに気づいて音がしていた方を見ると、そこには同じく寝起きのサキがいた。

「おはよ。よく眠れた?」

寝癖の少し出来たサキがにこりと笑って聞いてきて、ようやくアレッタは昨日のことを思い出す。

(あ、そっか。昨日から、働いた夜はこっちに泊まるように言われたんだ……)

昨日から、ドヨウの夜はここに泊まるように勧められたことを。


最近客も増えてきて、何かと忙しい異世界食堂。

異世界の各地に現れる扉を使う関係上、求めるものもやってくる時間もバラバラで、

それだけに朝から夜までずっと忙しいことも珍しくないのだが、

それでもぽっかりと客足が途絶える時間というものがある。

そんな時間帯になると、店主は接客も含めた店の取り仕切りを自分でやることにして、接客を任せている二人には休憩時間を与える。

忙しい時間がずっと続くときは一人ずつ交代だが、大体昼下がりのお菓子目当ての客が去り、

夕刻に酒を飲みに来る客が来るまでの間はそれなりに暇なことが多い。

そして、そんなとき、年頃の少女でもある二人は連れ立って休憩をして、ちょっとした話をする。

そしてこのとき話題になったのが、二人のそれぞれの住まいのことだった。

「へえ、じゃあ普段はメイドというか、家政婦さんみたいな仕事をしてるんだ?」

早希は最近すっかり打ち解けてきたアレッタと親しく話をする。

早希はこの頑張りやで真面目に仕事をするアレッタのことをかなり気に入っているのである。

「はい。サラさんという冒険者の方のお家でお世話になってて、お掃除やお洗濯、あと家の管理を任されてるんです。

 お食事もちゃんとしたものを頂いてますし、私みたいな魔族を雇ってくれたサラさんには感謝しています」

「なるほどねえ。サラさんって言うと、あのいっつもメンチカツ頼む人だよね確か」

「はい。今はちょっと宝物を探しに行くと言って留守にしてるんですけど、色んな旅人やハーフリングの方からこのお店の扉がある場所を聞いて、様子見がてら来てくれてるんです」

「そっか。じゃあ今は一人暮らし? 大丈夫なの?」

大学に入り、家族から離れて暮らすことの自由さと寂しさを知った早希は、思わず尋ねる。

「はい。サラさんがいらっしゃらない時も七日に一度はシアさんが遊びに来てくださいますし、

 幸いお屋敷には宝物を盗まれないための盗賊避けもあるので、大丈夫です……

 ここで働いた後、町外れから一人で帰るときはちょっと怖いんですけどね。

 真夜中になってしまうので」

その問いかけに、廃墟で寒さに震えながら寝泊りしていた頃を思い出し、それから日常のちょっとした怖さを思い出しながら、アレッタは言う。

あの辺りは昔、魔族が暴れて廃墟になったせいもあって時々だが、アンデッドの類が出る。

幸い出会っただけで人を呪い殺すような強力なレイスの類は王都には沢山いる神々を信じる司祭たちの手で現れたらすぐに退治されているのでアレッタが見かけるのは人を襲うような力は無いゴーストや、

廃墟で野たれ死んだ貧民が変じた、やせ細って動きの遅いゾンビ程度だが、

それでも夜中に見かけるとちょっと怖い。

だが、そのお陰で盗賊の類も余り入り込まず、またここに雇われる前、廃墟で寝泊りしても誰も文句を言わなかったのだから、文句も言えない。

一方の早希はアレッタの思わず絶句した。

笑顔で言ってるが、非常に不穏な発言だと思う。

「ちょい待ち。つまり、なに? ここの仕事終わったら、町外れの廃墟から歩いて帰ってるってこと?」

「はい。ちょっと暗くて歩きづらいですけど、まあ明かりが無いのは慣れてますから……」

危機感の感じられないアレッタの言葉に、早希は自分の方が焦りながら問う。

「いやいやいや。危ないでしょそれ。ほら、痴漢とか変質者とか……あとほら、強盗とか出たらどうするの」

この目の前の少女の暮らす異世界がどんな場所かは知らないが、日本ほど治安が良い世界だとも思えない。

年頃の少女が夜中に一人で歩くなんて、危ないと思う。

「大丈夫ですよ。慣れてますし、私なんて襲う人はいませんよ」

そんな早希の心配をアレッタは笑い飛ばす。

田舎の生まれで、王都では比較的珍しく、どんな奇怪な力を持ってるか分からない魔族で、ついでに見た目も余り良くないアレッタを狙う者なんていない。

アレッタはそう信じていた。

「何言ってんの……アレッタちゃん可愛いんだから、もっと用心しなきゃ」

一方の早希はそんなアレッタの態度に余計に心配になる。

アレッタのことはここで働き出した後の姿しか知らないが、かなり可愛いと思う。

少なくとも悪い大人に狙われるはずが無い、なんて断言できるようないでたちじゃない。

「とにかく、叔父さんにはわたしからも話してみるからね」

そうして早希はその日のうちにアレッタの帰宅事情を説明し……女の子の夜歩きは危ないので、早希と共に店主から仕事が終わった日の夜は三階にある仮眠室に泊まっても行くようにと言われたのである。


「それじゃあ、朝ごはんの準備してくるから、アレッタちゃんはここで待ってて。前々からここに泊まるならあれって言われてた奴があるんだ」

寝巻きを脱ぎ捨てて濃い青色のズボンとシャツという格好に着替えた早希がアレッタに笑顔で行って、仮眠室を出て行く。

それをぼんやりと見送った、アレッタはそっと外を見る。

透明なガラスの板の向こうには、不思議な世界が広がっていた。

赤い石が敷き詰められた道に、真四角の箱のような建物が連なっている。

恐らくねこやもこの沢山ある建物の一つなのだろう。

まだ朝早い時間のせいか歩いている人はおらず、静かなものだが、それでもここが異世界だという実感が沸く。

(この外はどうなっているんだろう?)

そのことにちょっとだけ興味を覚えてそっと窓に手を伸ばして、見えない壁のようなものに阻まれる。

店主が言うには、この建物全体には店主のおばあ様と、この店の常連によって色々な魔術が施されているが、

そのうちの一つにアレッタたちの世界から来たものを建物の外に出さない魔術があるらしい。

何でもこの世界の人々は自分たちが住む世界とは別な異世界があると言うことを知らず、出て行ってしまえば大騒ぎになってしまうからということだった。

(まあ、しょうがないよね。魔族だし)

耳の上に生えた、魔族の証である角に触って苦笑した後、着慣れた服に着替えていく。

貰ったお給金を使って買った、ちょっと擦り切れているけど、お気に入りの服。

それに着替えるとちょっとだけ、自分が恐れられて嫌われている魔族ではなく、普通の人間の女の子になったように思えるのが一番のお気に入りだ。

外では起き出した店主が三階にある小さな厨房で料理をする音が心地よく響く。

(こういうのを、幸せって言うのかな……)

ふとそんなことを思って、また笑った。


「おう、おはよう。朝メシ、食ってくだろ? ちょっと待っててくれな。早希ちゃんが木村さんとこにおつかいに出てるから」

着替えて外に出ると、店主がフライパンで卵を焼きながら振り返って、アレッタに言う。

「おつかい、ですか?」

こんな朝早い時間にどこに行ったのだろうと考えながら聞くと、店主は手を止めずに一つ頷いて答える。

「おう、木村さん……うちにパン入れてくれてる店なんだが、あそこの朝一で焼きあがるクロワッサンを食わせたいっつってたぞ。

 平日、うちにたまに泊まってく奴らから聞いたらしい。

 ……そういや木村さんとこのクロワッサン食うのは久しぶりだな。高校の頃はバイトの前の軽い腹ごしらえによく買ってたんだが」

ちょっと懐かしい記憶を思い出しながら、3人分の盛り付けを行う。

チーズを入れたプレーンオムレツと、サラダ。それからミルクたっぷりのカフェオレ。

主役がクロワッサンなら、他のものは軽くしておいたほうがいいだろう。

「ただいま。買って来たよ」

ちょうど店主が料理を仕上げると同時に早希が戻ってくる。

抱えている紙袋から、香ばしい香りが漂ってきて、アレッタは思わずお腹を押さえる。

「よし、それじゃあメシにするか。二人とも手を洗って来い」

そうして、食事の時間となった。


「いただきます」

異世界の、簡潔な食事への祈りを捧げる声が重なるのを聞きながら、アレッタもまた感謝の祈りを捧げる。

「我らを見守る魔族の神よ。今日も糧をお与えくださった慈悲に感謝いたします」

自分は随分と恵まれている。

そう思ったら自然と言葉が出てくる。

そうして、朝から随分と豪勢な食事に手を伸ばす。

一番目立つのは、先ほどサキが買ってきたという、変わった形のパンであった。

濃い小麦色をしたそれは三日月のような形をしていた。

また焼いてそう時間が経っていないのか、まだまだ温かいらしく、バターの香りを漂わせている。

(……これは最後に食べよう)

そのいい香りに食べるのがちょっと勿体無くなったアレッタは他の料理に先に食べることにする。

柔らかな黄色の卵焼きの、ぷっくらと膨れた部分に、そっと銀色のフォークを横にして、切る。

切るととろりと、乳色のチーズがあふれ出してきて、皿の上に零れる。

それをフォークに刺した卵で軽くぬぐい、口に運ぶ。

とけたチーズの味と、ほんの少しの塩コショウで味付けされた卵の、見た目どおりに柔らかな味が口の中に広がってアレッタは思わず、微笑む。

次に、卵焼きの側に盛られたサラダに手を伸ばす。

細く切られた葉野菜とカリュートが混ぜ合わされ、淡く白い、魚料理のときに使われるソースが掛けられたサラダ。

しゃきしゃきとした野菜の触感に、ほんのりと卵の味と酸味を帯びたソースが絡み、そこに生のカリュートの、野菜の甘さが加わる。

その歯ごたえと味を楽しみながら、柔らかく煮込まれた野菜がたっぷりと入ったスープを飲む。

肉や野菜の旨みが溶け込んだ、ねこやのスープと口の中で崩れる野菜の風味をひとしきり楽しんだ後、アレッタはいよいよ今日のメインであるパン、クロワッサンに手を伸ばす。


三日月形をした、不思議な形のクロワッサンは、ちょっと硬くて、もろい。

手に持つと焼きたてであることを示す温かさが手から伝わってきて、手を温める。

その温かさを感じながら、アレッタはクロワッサンを齧る。

(あ、これ、パイに似てる……?)

最初の一口で感じた触感に、アレッタはフライングパピーのお菓子を思い出した。

数えられる程度の回数、店長の好意によっていただいたお菓子の一つに、こんな触感のものがあった。

薄くて堅い膜がいくつも積み重なった、さくりとした触感。

パイの時にはすぐにお菓子らしい甘い味があったが、クロワッサンにはパンの持つほんのりとした甘み以上の甘さは無い。

代わりにじゅわりと、塩とバターの風味が来る。

外の層のさくりとした触感に対し、白く柔らかな層からは焼きたてのパンの香ばしい香りが漂う。

クロワッサンというパンは、それだけで充分にご馳走であった。

ほう、と息を一つ吐いて甘いカフェオレを飲む。

砂糖とミルク多めで、ほんの少しだけ苦味を持つカフェオレが染み渡る。

「おかわり、いる? 三人もいるし、多めに買って来たんだけど」

「はい!」

その後のサキの問いかけに、アレッタは元気に答える。

こうして幸せな日曜日の時間は、ゆっくりと過ぎていくのだった。

今日はここまで。

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― 新着の感想 ―
アレッタが幸せそうでなにより。
日本へようこそアレッタさんとか、If番外編とか面白そうですね。
[一言] 男子高校生にクロワッサンなんて、十個食べても腹の足しにならんだろ
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