09 別離
天文二十二年(1553年) 遠江国 頭陀寺城内 松下屋敷
赤塚の戦いから1年の月日が流れたある日、俺は殿に「話がしたいから書院へ来てほしい」と言われた。
このような呼び出しをされると、誰しもが「何かやらかしたか?」「怒られるのではないか?」と思うのではないだろうか?俺もそう感じ、漠然とした不安に駆られながら、書院までの道を歩いている。
俺の部屋から書院までは少し距離があるはずなのだが、考え事をしていたのであっという間についてしまった。気が重いが覚悟を決めて入るしかない。
「藤吉郎です。書院に来るよう殿に仰せつかった故、参上した次第になります。」
「来たか、入りなさい。」
中からは殿の声が聞こえた。声の調子からはいつもと余り変わりがないように感じる。一体何の用なのだろうか。
「中に入って待っていてくれ給え、もう少しで書き終わるのだ。」
書院に入ると殿は机に向かって何かを書いておられた為、俺は入り口付近で座って待っていた。時間にすると5分程だろうか、書き終わると殿に近くに来るよう言われた。
「殿。拙者に話とは何でしょう?」
俺はなぜ呼び出されたのかが分からず、そう聞くしかなかった。
殿は俺の顔をジッと見ると、深くため息をついて話し出した。
「本当に心当たりがないといった顔じゃな…どうしたものか。」
殿はそういうと頭を抱えて考え込んでしまった。
「殿。失礼ながら全く話が見えてきませぬ。拙者が何かしたのでしょうか?」
俺は不安になって殿に聞いた。
「実はな、其の方が蔵の物を盗んでいるとの話を聞いたのじゃ。わしも最初はただの噂や聞き違いだと思い、聞き流していたのじゃが、何人かの家臣や下男下女からも訴えが届くようになってな。納戸を確認すると、確かに数が合わぬものもあるのじゃ。」
「そんな!拙者はそのようなことはしておりませぬ!」
殿から出た言葉は俺が想像だにしていなかったことだった。確かに俺は赤塚の戦い以降、納戸の出納係に命じられた為、金子や物資に触れる機会は多くなった。だが盗みを働こうと思ったことなどただの1度もない。
完全に言い訳にしか聞こえないだろうが、俺は盗みなどやっていないのだから否定することしかできない。
「うむ、付き合いは2年程だがお主の人となりはよう分かっとるつもりじゃ。とても盗みなど働く者ではない。ここに来た時の顔も、盗みがばれて焦っている顔というよりも、なぜ呼ばれたのかが分からないという困惑が見て取れたからのう。」
「でしたら!」
「あ奴らもわしに仕えて長い家臣らじゃ。なぜ急にそんなことを言い出したかも分かるんじゃ。」
「なぜなのです?」
「お主に自分たちの場所が取られると思ったのじゃろう。他国出身で元は百姓だったお主が武芸や教養を収め、次期当主の近習に取り立てられる。そして納戸の出納係も兼務するなど内政にも入ってきた。それもたった2年でじゃ。奴らは危機感を感じ、お主を貶め、蹴落とそうとしたのじゃろうな。場所は与えられる物ではなく実力で勝ち取る物だというのに。嘆かわしい…」
「なにお主が気に病む必要はない、悪かったのはわしとこの松下家の家風じゃ。松下家は元々小さな国人領主でな。飯尾氏の寄子になり勢力を安定させたのであって、実力でのし上がった武家ではないんじゃ。実力競争に慣れていなかった家中に、いきなりお主のような出来人が来てしもうた。そこで頭角を現していくお主が家臣らは怖かったんじゃろうな。わしはそんな家中の事を考えず、お主の出来が良いからと重用しすぎた。良かれと思っての事じゃったが、わしは少し焦りすぎた様じゃ。お主のような麒麟児に松下家はちと狭すぎたのかもしれんな…」
殿はそう言って肩を落とされた。
「拙者は嬉しゅうございました。他国出身の百姓で、なんの教養もなかった拙者をここまで育てていただいた。その御恩に報いたいと思い励んでおりました。出来る事なら殿のお側でお仕えしとうございます。ですが拙者の存在で松下家が揺らぐのであれば、松下家を辞することも厭いません。どうぞ拙者に暇をお申し付けください。」
俺は涙を流しながら殿に平伏した。元々は織田家に仕えるまでの間に合わせと思い松下家に仕えていた部分もあった。
しかし松下家で日々過ごしていくうちに、史実のように織田家に仕えるのではなく、もっとこの家に尽くしたい。天下とまではいかなくても、もっとこの家を大きくしたいと感じていたのだ。厳しくも優しい師である殿、親友である加兵衛と共に戦国の世で生きていきたい。いつしかそう思っていたのだ。
「すまぬ、藤吉郎。誠にすまぬ…」
書院には2人のすすり泣く声が響いていた。
~数日後 遠江国 頭陀寺城内 松下屋敷
俺は早朝に松下屋敷を出立することにした。見送りは殿と加兵衛の2人だけだ。
「本当に行ってしまうのだな。」
加兵衛がそう話しかけてきた。
「ああ、短い間だったが貴殿には本当に世話になった。」
「俺とお前の仲だろ、水臭いぞ。」
別れの挨拶を口にすると加兵衛に肩を小突かれた。
俺の体が揺れると背負った箱から金属の擦れる音がした。
旅立つ俺に餞別だといって、それまで使っていた具足を持っていくように言われたのだ。確かに俺の体格に合わせて作ったものだが、まさか貰えるとは思っていなかった。他にも今着ている服も貰い物で、たっつけ袴に半着、羽織、外套という旅装だ。
手には槍を持ち大小も差しているのでどこからどう見ても武士だ。少なくとも見た目で馬鹿にされることはないだろう。
「よいよい、其の方には心苦しい思いをさせてしまった。本当にすまなかったの。これは路銀じゃ、元々お主に支払う予定だった俸禄じゃからの」
殿はそういって袋を手渡してきた。重みからすると確実に俸禄以上の金子が入っていることが想像できる。
「殿。何から何まで感謝の言葉もございません。」
俺は殿に深々と頭を下げた。この方には感謝してもしきれない、いつかこの恩を返さなければならない。
「最後にもう一つ、これもやろう持っていれば何かの役に立つかもしれん。」
そう言って1枚の紙を手渡してきた。これはまさか…
「うむ、2年の間じゃったが其の方の働きは家中一であった為、それを感状に記した次第じゃ。どこかに仕官するときに遠慮なく使うがよいぞ。」
殿はそういうとカラカラと笑い出した。
俺は両目から止めどなく流れ出す涙をそのままに、松下屋敷を後にするのだった。
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