第九十九話 PK戦
「天津さん、本当に着替えなくて良いのか?」
「ああ、大丈夫です。俺美術部なんでそもそも着替えとか持ってませんし」
制服に革靴のままか……はあ、なんだか緊張感のかけらもないな。
まあ彼にしてみれば、やらなくてもいい試験なわけだし気合が入らないのは理解できるが。
手加減はしないと言ったが、さすがに身体に当てて怪我をさせたら可哀そうだし、コーナーに蹴りこんでさっさとこの茶番を終わりにするか。私も早く練習に行きたくてうずうずしているんだ。
おいおい……まさか素手でキーパーをやるつもりか? 子どものソフトサッカーじゃないんだぞ?
本気で私のシュートを止めるつもりなら、せめて軍手ぐらい付けろと言いたいところだが、どうせ触れることはないのだから別に良いか。
「はい、それでは今から10分間、PK勝負開始!!」
ふん、必要ない。5秒で終わりだ。
油断はしない。サッカーで一番怖いのは慢心だ。たとえ相手が素人だろうが全力で応えるのが礼儀。本当に怖いのは相手ではなく、自分自身なんだ。
……それにしても本当に素人なんだな。フェイントは望むべくもないが、ポジショニングも滅茶苦茶だ。
向こうも桜宮撫子に言われて仕方なくやっているようだし、早く楽にしてやらないと。
『ホークアイ』発動。
真上からの視点を加えることで、相手の動きが立体的に把握できる。
なるほど……意識が左右どちらにも偏っていない。何も考えていないともいえるが。
PKではシュートを打たれてから動いたのでは間に合わんのだ。並みの選手なら外すこともあるだろうが、私はこれまでPKでシュートミスをしたことがないのでね。
ゴール右隅に狙いを定めて蹴りこむ。
我ながらえぐいシュートになってしまった。足が万全だということをすっかり忘れていたな。これは世界一のキーパーでもまず取れないコースと威力。人生最高のPKシュートかもしれない。
「うわっ!? さすがですね姫奈先輩。コースも威力も完璧でしたよ」
え……? 止められた? 違う……軽々キャッチされた……だと!?
あり得ない……
どうやって? 動き出しさえ見えなかったぞ。仮に真正面だったとしても、素人にキャッチングされるほど私のシュートは甘くない。
「く、まだまだ、一本止めたぐらいで調子に乗るな!!」
この程度で動揺してどうする姫奈、まだ時間は十分あるんだ。過去のことは忘れろ、次の一本に集中するんだ。
だが……
そこから先はまるで悪夢のようだった……どこにシュートしても、まるで最初からそこに居たとでもいうように簡単にキャッチされてしまう。
もしや……シュートコースを知らずに誘導されているのか? 超一流のゴールキーパーのテクニックをこの男は持っているとでも?
ならば……これならどうだ。
「ひ、姫奈先輩? 目をつぶって……?」
そうだ。視覚に頼るから誘導される。ならば見なければいい。簡単な話だ。
ボールの息遣い、ゴールのサイズ、全てはこの体に染みついている。自分を信じろ姫奈。
届け神の頂へ、すべての力をこのシュートに託す。ボールよ聞かせてくれ、ゴールネットが揺れる音を。
「時間切れ……ですね、姫奈先輩」
「ああ……私の負けだ。清々しいほど……完膚なきまでに……な」
言い訳のしようもない。圧倒的に有利な条件で負けた。サッカー人生で初めて負けたと思った。
ゴールネットを揺らすどころか、天津さんに汗一つかかせることができないなんて。
どうしよう……
ドキドキが止まらない。
これはもう誤魔化せない。私は天津さんが好き。めっちゃ好き。こんな気持ち初めてだ。
サッカーで負けたら好きになるとか我ながら小学生みたいだが、なってしまったものは仕方がない。
「天津さん……」
「はい、姫奈先輩」
う……まともに顔が見られない。私の中にこんな乙女成分があったなんて。
「し、試験はもちろん合格だ。こんな私で良かったら……ぜひ貰って欲しい」
うわああ、恥ずかしい、自分から言ってしまった。これって完全にプロポーズじゃないか!?
「俺は最初からそのつもりでしたけどね。先輩の事大好きでしたし」
ふえっ!? ふ、不意打ち禁止!!
「な、ななな、せ、先輩をからかうんじゃない!?」
顔が熱い。
私……絶対顔真っ赤だ……今。
「おめでとう姫奈先輩」
桜宮撫子……貴女の言う通り、天津さんは凄い男だった。試験……やって良かったよ。
「あはは、あまり気にしない方が良いですよ姫奈先輩、天津は銃弾を素手で掴むやつですから」
那須野茉莉、ははは、ナイスジョーク。慰めてくれているのか? 安心しろ、落ち込んでなどいないから。むしろ清々しい気分だ。
「良かったですね姫奈先輩、さっそく今夜から深い仲になりましょうね」
ひえっ!? 千家菖蒲か。身体が恐怖を覚えているのか震えが止まらん。あれは耐えられないほど痛かったからな。
それよりも深い仲ってなんだっけ……
あああ!! しまったああああ!? それを忘れていたあああああ!? え……今夜から? いやいや、いくらなんでも早すぎる……だが待てよ、試合は今週末だし、力を覚醒させるならもう時間がない……のか?
「くすくす、ご心配なく。姫奈先輩が今夜から来れるように、ご両親の了解はいただいておりますので」
なんだって……いつの間に!? っていうか、そっちの心配じゃあなくてだな……でもそうか外堀はすでに埋められていたということか。面白い、こうなった以上、私も負けていられないからな。
「わ、わかった。天津さん……こ、今夜からよろしく……出来ればその……優しくしてもらえると……助かる」
わ、私は何を言っているんだ? 言った後で猛烈に恥ずかしくなってきた。
「ふえっ!? だ、大丈夫ですからね? 何を言われたのか大体想像できますけど、思っているのとだいぶ違うと思いますから!! それも斜め上方向に!!」
顔を真っ赤にして照れる天津さん。
ふふ、なんだ……天津さんもこうして話してみるとなんだか年相応で可愛いじゃないか。
集団生活はサッカーで慣れているし、一気に兄弟や家族が増えたと思えば悪くない気分だ。これから楽しくなりそうだな。
「ブラ―ヴォ!!! 素晴らしいネ」
突然、背後から聞こえる聞き馴染みのある声。
え……この声……この特徴的な話し方……まさか?




