第九十五話 許嫁だからではありません
「じゃあ、時間が無いんでチャチャッと治してしまいましょうか。よし、みんな先輩をしっかりと押さえててくれ」
「「「了解」」」
桜宮撫子の指示で、那須野茉莉、千家菖蒲、星川葵の三人が私の手足を押さえつける。
なんて馬鹿力なんだ……三人がかりとはいえ、この私が力負けするだと?
それはそれとして、え……もしかして、治療……めっちゃ痛いのか?
「あははははははは、くすぐったい!! ひぃいいい!? あはははははははは」
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った」
まさかペロペロ舐めて治すなんて想像もしていなかった……しかも本当に傷口が治ったよ。信じられない。
「まだですよ姫奈先輩、一応治ったとは思いますけど、念には念を入れて、全てを癒す治癒の力を持つ菖蒲にもやってもらいましょう。頼んだぞ!」
「わかりました……覚悟はよろしいですね、姫奈先輩。痛かったら右手を挙げてください」
なっ、千家菖蒲も治癒能力の持ち主なのか?
だが見た目は大人しそうなのになんだこのプレッシャーは……?
「菖蒲の治癒は痛いからな」
「治癒なのに痛いってどういうことなのかしらね」
おい……今から治療を受ける人間の前で、物騒なことを言わないでくれるかな?
だが私を舐めるな。サッカーは常に怪我との闘い。痛みには慣れている。
「いだだだだだだ、めっちゃ痛いいいいいいいいい!!」
なんだこれめっちゃ痛い、っていうかさっきから右手挙げてるんだが意味あるのコレ!?
「はぁ……はぁ……今度こそ死ぬかと思った」
あと五秒治療が長かったら泣いていた自信がある。先輩の威厳を守れて本当に良かった。
「お疲れさまでした。もう大丈夫ですよ」
聖母のように微笑む千家菖蒲。さっきまでの無慈悲な治療をしていた人物と同じ人間とは思えない。
だが……本当に完全に元通りだ。飛んでも跳ねても何の違和感もない。実際に体験した今でも信じられない。これはもう神の御業という他ないな。
「驚きましたか? ですが、命さんと深い関係になれば、姫奈先輩の力も覚醒すると思いますよ」
な、なんだって!? ち、力が覚醒……? ものすごく興味はあるんだが……
「あの……深い関係って?」
男性とお付き合いしたことが無い私にとっては富士山よりもハードルが高い気がする。これまでサッカーしかしてこなかったからな……。
「大丈夫ですよ、私も不安でしたが、実際に体験してみると何とかなるものですから」
それなら良かった。いかにも奥手でお嬢様然とした千家菖蒲でも出来るというのなら私にも……
「一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、一緒に寝て、目覚めのキスをする。簡単でしょう?」
出来るかあああああ!!!!
◇◇◇
「姫奈先輩、真っ赤な顔して出て行っちゃいましたね」
「うむ、何かあったんだろうか?」
「……私にはわかるよ。単純に恥ずかしかったんだよ」
「すごいな茉莉、もしかしてエスパーなのか?」
「あれだよ撫子、茉莉の射抜く力。本質を射抜いて見せたんだよ」
「……そういうことにしておくわ。じゃあまた放課後に」
茉莉と菖蒲と別れて部室を出る。葵は残って部室の掃除と片づけをしてくれるらしい。手伝うと言っても一人の方が早いと言って聞かないからな。
さてと、早くクラスに戻って、みこちん成分を補充しないとな。
こういうとき、私は有利だ。公認の許嫁だから、イチャイチャしても問題ない。
他の皆には申し訳ないから、家ではなるべく出しゃばらないようにしているつもりだが、加減が難しい。
「おはよう、桜宮撫子」
亜麻色の髪にグレーがかった瞳……たしか美術部の部長の……
「おはようございます。もんぶらん先輩!」
「……惜しいな。恋舞蘭人だよ、美しい人」
ああ、そうだったか。適当に言ったんだが、案外惜しかったな。ふふふ。
「少し良いかな?」
「五秒くらいならいいですよ」
「わかった。私と交際してくれないか?」
またか……許嫁がいると公表してから少しは減るかと思ったのだが、あまり変わらないのは何故なんだ? やはり母上の言う通り、もっとイチャイチャして見せつけることも検討しなければなるまい。
「お断りします」
神の名のもとに私とみこちんはすでに夫婦だからな。ふふふ、夫婦でふふふ。
「何故だ? 許嫁と言っても家が勝手に決めただけだろう?」
なるほど……そこが付け入るスキを与えてしまっているのだな。やはりイチャイチャ作戦を……
「許嫁だからではありません。みこちんが好きだからです」
恥ずかしいからみこちんには言えないが。
「天津のどこがそんなに良いんだ?」
「もんぶらん先輩はワラジムシを助けるために道路に飛び出すことが出来ますか?」
「言っている意味がわからないが、出来る出来ない以前にそんなことはしないな。あと恋舞蘭人だよ」
「みこちんはそれが出来る男なんですよ、もんぶらん先輩」
「……そうか。よくわからないが俺は負けたんだな。それならば仕方がない、横恋慕は私の美学に反するからね。大人しく引き下がることにしよう。時間を取らせて悪かったね。あと恋舞蘭人だよ」
「大丈夫ですよ、先輩は美味しそうな名前してますから、きっと甘いもの好きの素敵な彼女が出来ます」
「ははは……うん……そうだな、改名も検討することにするよ、じゃあ」
予想外に時間を喰ってしまった。これではみこちんとの時間が……
「よし、大分転移も慣れてきたぞ……って撫子さん?」
突然目の前に現れたみこちん。
まったく……なんて都合のいい旦那さまなんだ。
「わっ!? ち、ちょっと、どうしたの撫子さん!? いきなり抱き着くなんて」
盛大にあわあわするみこちんが可愛くて仕方がない。
胸に顔を埋めてみこちん成分を摂取する。
「悪い、あと少しだけ……このままで」
「あ、ああ」
みこちんの腕に力がこもる。その熱がとても安心するんだ。
大好きだぞみこちん。恥ずかしいから言えないけどな。




