第九十話 数千年の孤独
「そういえば女神さまはこちらの世界には来られないんですよね?」
以前そんな話を聞いた気がする。
『そうなのよ。今日の儀式みたいに、使いを媒介にして姿を見せたりは出来るんだけどね。実体化するのは今のところ難しいわ。まあ方法は無くはないんだけどね』
いたずらっぽく笑う女神さま。なんだろう嫌な予感がする。
『ふふ、たくさんイチャイチャしたからわかったんだけど、命くんの身体って私とすごく相性が良いのよ。これなら命くんに憑依してそちらの世界を堪能できそうよ』
誤解を招きそうな言い方ですね。なるほど、憑依か……その場合、俺の意識はどうなってしまうんだろう?
『五感や動作の主導権は私に移るから基本的に見ているだけになるわね。でも安心して、よほどのことがない限りそれは最終手段だから。ちゃんとそちらの世界に肉体となる依り代を残してあるから、そのうち命くんに取りに行ってもらうつもりよ』
「肉体となる依り代? なんですかそれ? 疑似的な肉体みたいな?」
『それはまたその時に……ね。それよりもお腹が空いてるんじゃない?』
「いいえ、まったく」
『……お腹が空いてるわよね?』
「めっちゃ空いてます!! お腹と背中がくっつきそうです」
『そうだと思ってたくさん料理作ったのよ』
湯船にテーブルが出現して豪華な煮干し料理が並べられる。
煮干しの味噌汁、煮干しのサラダ、煮干しご飯、煮干しの刺身、煮干しのラーメン、煮干しバーガー……あの……煮干しの刺身って何!? それにしても煮干し好きですよね……女神さま。
見た目はともかくめちゃくちゃ美味しそうな香りがしてきて、思わずお腹が鳴ってしまう。
『うふふ、さあ、たんと召し上がれ』
「い、いただきます!!」
う、美味い……温泉効果と女神さまの手作りという雰囲気補正を差し引いてもめちゃくちゃ美味しい。食べても食べてもお腹が一杯にならないから、いくらでも食べれてしまう。
『ふふふ、そんなに美味しそうに食べてもらえると嬉しいわあ。さすがトラゾウの料理チャンネルは間違いないわね』
ああ……あの正体不明の超人気覆面料理系アイチューバ―のトラゾウ直伝でしたか。こんなに美味いなら俺もチャンネル登録してみようかな?
『ああ、ちなみにトラゾウは葵ちゃんよ』
な、なんだってええええ!? トラゾウてっきり男だと思っていたよ。マジか……。
『冗談よ』
……で、ですよね。ああ、びっくりした。
『正確には葵ちゃんはトラゾウの料理の師匠で、レシピも葵ちゃんが提供しているわ』
……もっとすごかった!! え……葵ってまだ16歳だよね? どんだけ有能?
『そして、すあまチャンだけどね。本体はまあすちゃんで、実はすあまチャンはすあまで出来ているの』
ええええええええええっ!? そ、そんな馬鹿な……すあまチャンがすあま……だと?
『もちろん冗談よ』
……女神さま?
『あははははは、命くんってばいっつも本気にするから反応が面白すぎて……』
駄目だ女神さまの冗談の基準がわかる気がしない。
『ああ可笑しい。笑わせてもらったお礼に、デザートをどうぞ』
そういわれても、どこにもデザートなんて無いんですけど?
『デザートは……わ、た、し♡』
ブシュー!! 鼻血を噴き出して死んだ。
『冗談よ』
いや……その格好で冗談って言われても無理なんですけど。
『こっちが本命デザートよ』
透き通った繊細なガラス細工の器に盛られた和菓子が現れる。
「め、女神さま……もしかして……これ?」
『ふふふ、どうぞ召し上がれ』
て、手の震えが止まらない。とうとう食べられる時が来たことに心の準備が追いつかない。
あれほど食べたくて、でも届かなかったモノが俺の目の前にあるのだ。
「い、いただきます」
邪魔が入らないかどうか周りを気にしながら、素早く口に運ぶ。
もぐもぐもぐ……
う、美味い……控えめな甘さ、適度な弾力……これが……すあま!!
やった!! とうとう食べることが出来たんだ。口に運ぶ手の動きも涙も止まらないよ。これで俺もようやくすあまクラブのメンバー入り……ふふふ。
「ありがとうございます、こんな美味しいすあま……」
『ういろうよ』
「……へ?」
『それは、ういろう、美味しいでしょう?』
……ういろう? ああ、名古屋とかで有名な? ああ、うん、たしかに女神さま一言もすあまだなんて言ってなかったよな。俺が勝手に勘違いしただけで……。
ういろうの名誉のためにいえば美味しかったよ。でもさ……でもさああああ!?
でも待てよ、何の考えもなく女神さまがこんなことをするはずないよな。
『面白かったからよ』
……そうですよね。女神さまはそういう方でしたよね。
「あ……もしかして、すあまとういろうって、味が似ているとか?」
すあまが食べられない俺に対する女神さまなりの気遣いなのかもしれない。
『全然似ていないわよ。味も食感も全然違うし』
勘違いでした。
『さあ、そろそろ寝ましょうか。添い寝してあげるわ』
ああ……お風呂で温まってお腹が一杯になったせいか、すごく……ねむい。
女神さまと一緒に寝るなんて恐れ多いけど、なんだかどうでもよくなってきた。風呂も一緒に入っているし、今更という気もする。
『眩しいでしょ? 少し光を抑えるわね』
女神さまがまとっている輝きを控えめにしてくれる。
眩しくて眠れないかと思っていたけど、オーラの輝き調節できるのか……。
女神さまと一緒に布団に入ると、周囲がほんのりと明るくなる。真っ暗な部屋で優しく暗闇を照らす光……なんだかとっても安心する。
そんなに寝付きが良い方じゃないのに、あっという間に瞼が重くなってきた。
目を閉じると聞こえてくるのは……ああ……女神さまが……唄ってくれているのか? 歌詞の意味はわからないけど……どこか懐かしい……あったかいな……お母さん……
◇◇◇
『ふふ、命くん……可愛い寝顔』
頬に流れる涙がたまらなく愛おしい。母親を思い出していたのね。
命くんの身体……あったかい。
人肌の温もりなんて……もうすっかり忘れていたはずなのにね。
懐かしい……みんな行ってしまった。
この永遠にも感じられる時の牢獄に私だけを残して。
数千年の孤独……か。自ら望んだこととはいえ……それでもやはり寂しさは募る。
『ありがとう命くん。この世界に貴方がいてくれて。ありがとう……生まれてきてくれて』
私は眠ることが出来ないから……せめて朝まで……貴方が目を覚ますまで……一緒にそばに居てあげる。




