第八十二話 黒津菫
物心がついたときから、私には家族から愛情を受けた記憶がない。
なんで皆私のことを嫌うのか不思議だった。何も悪いことはしていないのに。
でもだんだん理由がわかってきた。
私は呪われた子なんだって。
私が触れたもの触ったものは変色して駄目になってしまう。
お花も枯れてしまうし、虫も動かなくなる。
後から聞いた話だけど、生まれてすぐの頃、乳母を大怪我させてしまったらしく、それ以来手袋を外さないようにきつく言い聞かされている。
手袋をしていたとしても、直接水に触れると駄目だ。池に落ちた虫を助けようとして、虫と池の鯉を死なせてしまったこともある。
私は皆の言うとおり、存在そのものが呪われているに違いない。
そんな私を生かしてくれているのは、それでも家族だからなんだろう。
そして私は醜い。お兄さまたちが私を見る目はまるでゴミを見るようで苦しくなる。
家の恥になるからと、外出はもちろん、部屋から出ることも滅多に許してはもらえなかった。
私はどうして生まれてきたんだろう? なぜ生きているのだろう? 答えは出なかった。
でも、そんな私にも出来ることがあった。
薬の生成。
私の両手十本の指には、それぞれ異なる効果があった。
組み合わせることで色んな効能がある薬を作れるとわかった時、私にも存在価値があったのだと嬉しかった。
あれだけ私のことを嫌っていたお父さまやお兄さまたちも、認めてくれたのか、私にリクエストをしてくるようにまでなった。
こうやって自由に研究できる施設まで与えられて、さあこれからと思っていたのに……
「ねえ黒崎、私が嫁ぐ天津命さまってどんな方なのかしら? 私を見たらがっかりしてしまいますよね……」
家族ですら私を直視しようとはしないのに、ましてや会ったこともない他人。正直お相手に申し訳ないという思いしかない。
「……そうですね。すでに多くの許嫁と同棲している方ですから、一人くらい増えたところで気にもされないかと」
一度も目を合わせることなく淡々と準備を進める執事の黒崎。
きっと皆厄介払いが出来るくらいにしか思っていないのだろうな。
それでも少しだけ心の荷が軽くなった。他にもお相手がいるのならば、期待されていないならその方が良い。
家族に見送られることなく屋敷を出る。体裁が悪いからと黒塗りの車で裏口からひっそりと。
この場所に大切な思い出があるわけではないけれど、それでもここに居ればこれ以上傷つくことはない。
新しい場所であとどれくらい傷付けば良いのだろう。
思わずもれたため息は走行音に掻き消された。
◇◇◇
「君が菫ちゃん? いやあ、まさか黒津家から仲介を頼まれるとは思ってなかったよ。俺は斉藤正樹、正樹おじさんって呼んでくれていいからね」
初めて会うタイプの人だ。シュッとしていて仕事が出来そうなのに、腰が低くて柔らかい。
「は、はい……よろしくお願いします。ま、正樹……おじさま」
「うんうん、素直が一番。悪いけどあの黒津家のお嬢さんだとは思えないなあ」
この人は何者なんだろう。あまり黒津家に対して良いイメージを持っていないことはわかりますが。
「ああ、俺? 斉藤商店っていう一応文房具屋の店主だよ。命くんの世話役をしているただのオジサンだから警戒しなくても大丈夫」
「は、はあ……」
飄々としていて何を考えているかわからないけれど、なんとなく悪い人じゃないのはわかる。目を逸らさずに私を真っすぐ見てくれる人なんて今まで居なかったから、なんだか恥ずかしいくらい。
「でも残念だなあ、ちょっとだけ来るのが遅かったかも」
「え!? ど、どういうことですか?」
「今頃命くん神社で集団結婚式を挙げているところだからね。菫ちゃんも一緒に参加出来たら良かったんだけど」
ああ……そういえば他にも許嫁がいるんでしたね。
「あの……もし命さんに拒否されてしまったら……いえ、きっとされてしまうと思うのですが、そうなったら私はどうなってしまうのでしょうか?」
黒崎に聞いても答えてくれなかった。正樹おじさまに聞いたところで困らせてしまうだけだとわかってはいても、聞かずにはいられない。正直不安に押しつぶされそうだから。
「え……? 菫ちゃんを拒否? あの命くんが!? あはははははは、大丈夫大丈夫、万が一にもそれはないって。まあでも、もし不安なら、その時はうちで働いてもらうっていうのはどうかな? その可能性は限りなくゼロに近いとは思うけどね」
笑われてしまった。どこからこの自信が出てくるのだろう。こんな呪われた醜い私を受け入れてくれる人がいるとは思えない。
でも不思議と嘘を言っているようには思えない。少しだけ不安が和らいだ気がする。
「うーん、今命くんの家に行ってもたぶん留守だろうから、ゆっくりしていてね。甘いものとか大丈夫? 飲み物何が良い?」
「あ……甘いものは好きです。特に飲めないものはないので……」
「うん、わかった。この部屋好きに使っていいから、適当にくつろいでいて」
小さく手を振りながら部屋を出てゆく正樹おじさま。
清潔であたたかい空間。ソファーに腰掛けると空を飛んでいるみたいにふわふわ。
なんだかあったかいな……生まれて初めて人間扱いされたような気がする。




