第八十一話 黒津家の野望
「……何? 黒衣が消息を絶っただと?」
まるで感情の起伏を感じさせない声色、冷え切った視線で報告を聞く黒津頼人。
「はい……おそらくは天津命さまに返り討ちにされたかと」
そう答えたのは、黒津家執事黒崎。
「黒崎、俺の前であの男にさま付けはするな」
「……はっ、申し訳ございません」
淡々と答える黒崎からもまた、一切の感情を読み取ることは出来ない。
「それにしても天津命……思ったよりやる。黒衣など所詮使い捨てだからどうでもいいが、計画を前倒しする必要がありそうだ。進捗はどうなっている?」
黒津家にとって黒衣など便利な使い捨てにすぎない。なぜ黒衣には十代の者しかいないのか? それには理由があるということだ。
「……遷家計画ですか。ご安心ください。山津家と谷津家は確実に賛成へ回るでしょう。残る海津家もあと一押し、このままの状況であればほぼ確実に落とせると思われます」
優秀な血を持つものを残すという至上命題のため、一族には特例措置が存在する。
宗主家である天津家が常に安定して優秀というわけではないため、当主の器たる人材が乏しく、直下五家に有能な人材が存在する場合、直下五家の当事家を除く過半数、つまり三家の発議で、当主の入れ替えを申し入れすることが出来るのだ。
その発議が通った場合、当主は権利をはく奪され、選ばれしものが天津家に養子として入ることになる。もし当主に許嫁がいる場合、新たな当主が望めば自らの許嫁とすることも歴史上なくはない。
「そうか。それは良いな。俺の狙いは最初から宗主家当主の座のみ。黒津家の当主など剣人にでもくれてやればいい。黒崎、お前には俺の右腕として思う存分働いてもらうぞ。二人でこの世界を裏から支配する……ふふふ、お飾りの当主は俺の代で終わりだ」
歴史上、当主が政治力を発揮することはほとんどなかった。有力者との血のつながりと人間の限界を超えた神力による象徴としての緩やかで平和的な影響力。それが当主に求められていることだからだ。
だが頼人の視線は過去ではなく未来へと向けられている。力による支配、自分が望む世界を自らの手と力で手に入れることに得も言われぬ快感を抱いている。
そして、事実、一族の当主となればそれは決して夢物語などではなく、十分実現可能なことでもある。世界中に根を張り、各国政府に絶大な影響力を行使することが出来るからこそ、歴代当主は能力はもちろんではあるが、特に平和的で穏やかな人物が選ばれてきたのである。
「ありがたきお言葉。それから若さま、御館さまがお呼びです」
「何? 父上が? わかったすぐ行くと伝えてくれ」
「はっ、かしこまりました」
「父上、何かございましたか?」
頼人が執務室に入ると、待ち構えていた父、雷蔵が鋭い視線で睨みつける。
黒津家現当主の黒津雷蔵は、野心的で策略家。末っ子だった彼が当主になれたのは、継承順位上位の家族が次々と不慮の死を遂げたためだが、その裏で動いていたのが彼ではないかと噂されている。
「頼人、少し行動を控えろ。このところ黒津家に対する監視が強化されている。やっとここまで来たのだ、万が一にも付け入る隙を与えるわけにはいかんからな」
冷たく感情の籠らない声、頼人や剣人の冷酷な性格は間違いなくこの父親譲り。実の息子であろうと微塵も信頼してなどいないが、利用できるならとことん利用し尽くす。
どこまでも利己的な男であるが、皮肉なことにそれは息子である頼人も全く同じ。まさにキツネと狸の化かし合いである。
「そうでしたか。わかりました。発議が成るまではなるべく大人しくしていることといたしましょう」
内心、俺がそんなへまするわけないだろうが!! 全部お前のせいではないのかこのくそ親父!! と舌打ちしている頼人だが、今はまだ父親の力が必要。今は我慢の時、ぐっと激情を抑えて素直に応じる。
「うむ。それでだ、我が黒津家としても天津家との関係を疑われるようなことは極力避けねばならない」
天津家と険悪な関係であると思われてしまっては、発議に影響が出かねない。この大事なタイミングでそれだけは避けねばならないこと。
そういう意味で、頼人や剣人がやっていることは最悪の愚行であるのだが、本人たちはまったく自覚しておらず、むしろ最大限気をつかっていると考えている。
「……どうなさるおつもりで?」
頼人としては力でねじ伏せれば良いじゃないかと内心思ってはいるものの、この手のことは父親には敵わないとも自覚している。一体どうするつもりなのか、お手並み拝見というところだ。
「菫を許嫁として天津命に嫁がせるつもりだ」
「菫を!? ご冗談でしょう、父上」
思わず声を荒らげる頼人。
黒津菫は、頼人の腹違いの妹。黒津家の長女である。
声を上げたのは、決して妹可愛さではない。単に父親の意図が理解できなかっただけ。
「冗談ではない。本気も本気、菫を厄介払い出来るだけでなく、黒津家に向けられた疑いの目を逸らし天津の血を黒津家に入れるという狙いもあるのだ。子さえ出来れば後はどうにでもなるからな」
「なるほど……そう考えれば悪くはないですが……あの器量では……」
「ふふ、直下五家からの縁談であれば無下には出来んだろう。菫には言いがかりでも何でもいいから一刻も早く送り付けて既成事実を作らせればいい。頼んだぞ頼人」
「……わかりました」
「ちっ……なんで俺がこんなことを」
菫がいるのは屋敷とは別の穴倉のような地下施設。
頼人は異様な匂いが立ち込める施設に苦虫を嚙み潰したような表情で足を踏み入れる。
菫はここで毒の研究と生成をしているのだ。
「おい菫」
「……お、お兄さま!? どうなさったのですか?」
まるで汚物を見るような頼人の視線に怯える菫。
美しいものを好む頼人にとって、醜い妹の存在は耐えられないほどの苦痛なのだ。
「喜べ、役立たずなお前にもようやく役に立つ時が来た。用件だけ伝える。天津家に許嫁として嫁ぐことが決まった。すぐに準備をしろ、わかったな」
「は、はい……」
詳しいことは執事に聞けと言い残して部屋を出てゆく頼人。
「わ、私が……結婚!?」
残された菫はただ困惑するばかりであった。




