第五十三話 朝っぱらからキス
「ご主人さま……起きてください。朝食の用意が出来ております」
「ん……あ、ああ、有り難う」
耳元に寄せられた葵の声で覚醒する。
中々寝付けなかったので、まだ眠いが、美少女メイドに優しく起こされるなんて、まるで貴族にでもなったようで悪い気などするわけもなく。
「ふふ、ご主人さまの寝顔、可愛かったです」
ふうわりと微笑む葵。朝日を浴びて銀糸のような髪がキラキラと輝く。
「お、おう……そ、そんなことないと思うけど?」
なんか昨日までと葵の印象が違う気がする。まともに顔が見れない。っていうか、俺、この子と一緒に寝たんだよな……。今でもまるで現実感がない。
「あれ? 撫子さんは?」
「奥さまなら……後ろにひっついてます。さっきから起こしているのですが、びくともしません」
さすがの熟睡力!! 俺が起こすまで絶対に起きないのが逆にすごい。
「撫子さん、起きて!! 朝食出来たよ」
身体を反転させて向き合うと、おでこにキスをする。言っておくが、こうしないと起きないから仕方なく……嘘です、めっちゃ幸せで喜んでやらせてもらってます。
「ん……みこちん……おはよう」
寝ぼけ眼でほっぺにお返しのキス……のはずが、唇に誤爆。
撫子さんからの不意打ち攻撃に頭が真っ白になる。
「にゃ、にゃあああああ!!!?」
目の前でキスシーンを見せられた葵が、真っ赤になって目をぐるぐるしている。
俺も動揺してたぶん似たような感じになってる自覚がある。
「ん……どうしたんだ二人とも? 朝食はなんだ葵?」
なんだ本人は気付いていないのか……ほっとしたような残念なような。
「ちょ、朝食はフレンチトーストです奥さま」
「ふれんち……とーすと? みこちん知っているか?」
「知っているけど、朝食に食べたことはないなあ」
「美味いのか?」
「うん、美味い。葵が作ったのなら、間違いなく美味いと思う」
「おはよう、命くん、撫子も……って、ちょっと待った……一体何があったんだい?」
桜花さんは朝の鍛錬を終えて、すでにテーブルに座っていたが、撫子さんを見て顔色を変える。普段余裕綽綽の桜花さんにしては珍しい反応だ。
「ん? 何って、別に何もないぞ母上。強いて言えば、身体の調子がとても良いぐらいだ」
「……神力が倍以上になっているよ。さては命くん?」
桜花さんの探るようなジト目を受けて思わず目を逸らしてしまう。
「ち、違うんです、これは事故みたいなもので……」
「ふーん、事故ねえ……」
くっ、わかっているくせに楽しんでいるな。
「大奥さま、私、見ました。お二人が朝っぱらから熱烈なき、キスをしているところを!!」
葵、なんだよその大奥さまって。そ、それに、熱烈じゃないし!!
「ほほう……熱烈な……」
桜花さんの目が怪しく光る。撫子さんは話について行けずに相変わらずハテナマークを浮かべている。
あかん……これはヤバい。とても嫌な予感がする。
「実に興味深い……キスだけでここまで強化されるなんて聞いたことが無い」
案の定、桜花さんがとんでもないことを言い出す。
「いやいや、それが原因だなんてわからないじゃないですか!!」
そうだよそんなまさか、いくら稀人だからって……そんな都合のよい話なんてあるわけないじゃないか……。
「ならば検証してみないとね」
舌なめずりする桜花さんが獲物を見つけた獰猛な肉食獣のように迫ってくる。
ま、まずい……まずくはないけど、まずいですって、桜花さん。
「ち、ちょっと待ってください、こんな朝っぱらから……」
く、我ながら弱いなおい。これじゃあまるで朝じゃなければ構わないみたいじゃないか。
「撫子とは朝からしたのだろう? それとも私なんかとは嫌?」
その言い方ずるいです桜花さん。それにその上目遣い、反則じゃないですか……
シャワーを浴びたばかりの桜花さんはほのかに石鹸の香りがする。乾ききっていない濡れた黒髪が尋常じゃないほど艶っぽくてくらくらしてくる。
「嫌……じゃないです」
「ふふ、そういう正直なところ好きだよ命くん」
「おお……これはすごいよ。私自身もうこれ以上の上積みは無いと思っていたんだけどね……」
どうやら桜花さんも神力とやらが爆増したらしい。うう……複雑だけど、本人が嬉しそうだから良いのか? 撫子さんもわからないまま喜んでいるし。
「ご、御主人さま、次は、次は私もお願いします!!」
瞳をキラキラさせて迫る葵。パタパタと振る尻尾とピコピコ動く犬耳が幻視できるようだ。
くっ……学校とは違う可愛らしいミニスカメイド服を着用した葵の破壊力は半端じゃない。
正直なところ断る理由も見当たらないし……葵が強化されればお互いの安全性も増すし、悪いことはひとつもない。
問題があるとすれば……
ガブッ
「痛だだだだだだあああ!!!」
うん……絶対にこうなるってわかっていたよ。
「も、申し訳ございません~!!」
涙目の葵が目をグルグル回して土下座する。
でも……あれ!? 痛くない?
「みこちん、安心しろ、パワーアップした私が治してやる」
撫子さんがほんのり赤い顔でそんな嬉しいことを言ってくれる。
本当は痛くないから治療は不要なんだけど、どこかが痛いような気がしないでもないからお願いしよう。
撫子さんからの熱烈なキス(治療)今度はちゃんと覚醒している状態。ああ……女神さま、ありがとうございます。
「んん? なんだ、全然怪我していないじゃないか?」
ああ、撫子さんに気付かれてしまったか。無念。
「うん、何故か葵に噛みつかれたのに全然痛くなかったんだよな……?」
「あ、噛みついたんじゃありませんっ!! き、キスですからっ!!」
ま、まあ、そういうことにしておこう。
「ふーん……もしかして、命くんの新しい力が解放されたんじゃないかな?」
「すごいじゃないかみこちん、母上の言う通りなら、身体が丈夫になったのかもしれないぞ?」
おお……ということは、もしかして体力に続いて耐久力も上がったのか?
「……試してみましょうか?」
葵が胸元からナイフを取り出す。いやいや……いくらなんでもそれは怖い。
「よし、やれ葵、万が一のことがあれば、私が治すから問題ない」
「はっ、若奥さま」
「ち、ちょっと待……」
ブスッ!!
止める間も無く、葵のナイフが深々と突き刺さ……らない。
鋭いナイフの刃は、薄皮一枚傷付けることなく止まっている。
「おお……これはすごいな」
「……想像以上ですね」
「ははは、人間辞めてるね、命くん」
本当にビックリだよ……さすが神の力の一端……なのか?
でもさ……
「お気に入りのパジャマが破れたんだけど……」
身体は無事でも服はそうはいかない。
「お任せください。裁縫はお手のものです」
あっという間に目立たないように直してしまう敏腕メイド葵。いくらなんでも有能過ぎません?




