第四十九話 弓道部 那須野茉莉
「茉莉、練習熱心なのは良いが、あまり遅くなる前に引き揚げろよ」
「ご心配なく、護身術は一通り修めておりますので」
「いや、そういう問題じゃあないんだが……まあいい、大会も近いし、オーバーワークで怪我でもされたら困るからな。お前はうちのエースなんだ。もう少し自覚を持ってくれ」
肩をすくめて部長が射場を後にする。
たしかに大会も近いし、今はコンディションを整える段階だということもわかっているんだけど、どうにも落ち着かない。
一心不乱に矢をつがえて射る。射る、射る。
駄目だ……無心どころか、まるで集中できない。
こんなことは生まれて初めてだ。
こうなってしまった原因ははっきりしている。
撫子に婚約者がいると聞いてからおかしくなった。多分、自分の境遇と重なってしまったのだろう。
那須与一の末裔と名高い我が一族には、弓術に長けたものが多い。
私はその一族の中でも那須与一の再来と言われるほどの天才と言われ、実際に幼少期から多くの賞を総なめにしてきた。
一度的を前にしたら、世界に存在するのは自分と的のみ。
風も音も色も消えてゆく。無の境地がそこにはある……はずなのに。
「……駄目ね……これ以上やっても型が崩れるだけ」
気付けば射場には誰もおらず、すっかり日も暮れてしまった。
そのへんの男に後れを取ることなど無いが、油断は禁物。こういうときはゆったり風呂に浸かって寝るに限る。
「オイ姉ちゃん、ちょっと俺たちに付きあってくれよ」
工場が立ち並ぶエリアで男5人に囲まれた。
この辺りは夜間人通りが少なくなる。早く帰ろうと近道したのが裏目に出たか。
はぁ……見るからにガラの悪そうな連中だ。鍛えるために徒歩通学をしていたのも不味かった。
さすがに大人5人相手に立ちまわるつもりはない。ここは無視でいこう。
「…………」
「おいおい、無視すんなよ……俺たちターゲットが来るまで暇なんだよね」
「おお……なんだこの子、めちゃくちゃ美人だぜ……こりゃあラッキー」
何がラッキーよ。私は気分最悪なんだけど。
逃げ道を塞がれている以上、すんなりと通してはもらえそうもない……か。
「先に言っておくけど、私、強いわよ? 怪我したくないなら黙って通しなさい。指一本、髪一本でも触れたら……骨ごと折るからね!!」
見たところ獲物は持っていないようだし、倒す必要もないわね。小指一本でも戦力は半減以下になるのだから。
「ぎゃはははは、聞いたか? こええ、こりゃあこええな。どうなるのか気になるから、ぜひとも教えて欲しいぜ……その身体でな」
ああ……馬鹿か。こいつら力量差もわからないのか?
仕方ない……わね。
「い、痛ええ……」
「う、ううう……」
「な、何だよ……このJK強過ぎだろ……」
数分後、三人目を無力化したところで、逃げ出す男たち。
やれやれどうやら連中、戦意を喪失したみたいね。
「綺麗に折ってあるからすぐ病院に行けば後遺症はないわ」
まったく……本当なら、こんな奴らに触れたくもなかったんだけど。
とんだ邪魔が入ったけど、もやもやしていた気分が多少なりとも晴れたからいいか。
さあ早く帰って手を消毒しないと。
「待ちな、姉ちゃん」
先に逃げ出した男たちを連れて戻ってきた二人組の派手なスーツを着た男たち。
……新手か。しかもこいつら……素人じゃない?
「困るんだよね~、これから仕事だってのに、仲間をこんなにされちゃうとさ」
「……そちらから手を出してきたのよ。部下の教育がなっていないんじゃないの?」
まずいわね……。一対一ならともかく、体力が持つかどうか。ここに来てオーバーワークが響いてくる。
「いやいや、いくらなんでもやりすぎだろ? 本当なら売り飛ばしてやるところだが、あんたみたいな強気な女は嫌いじゃない。ちょっと付き合ってくれたらチャラにしてやるよ」
ありがとう助かったわ……なんて言うわけないでしょ。一か八か逃げてみるか。街中まで戻れば助けを呼べるし。
「……あの~、お取り込み中申し訳ないんですけど、彼女知り合いなんで勘弁してもらえませんかね?」
「あ゛? なんだてめえは?」
「通りすがりのただの高校生ですが」
あ、天津命? な、何やってんのよバカ! 私一人なら逃げられたかもしれないのに。
たしか、こいつは美術部だったはず。馬鹿なの? 死にたいの?
「はいそうですかって、勘弁すると思ってんのか? あ゛あ゛?」
「凄んでいるところ悪いんですけど、さっき通報したんですぐに警察来ると思います。さっさと退散した方が良いと思いますよ?」
良くやった天津命!! ただの馬鹿じゃなかったわ。さすが文化系。
「はっ……だったら今すぐ女さらってずらかるだけだ、やれ!!」
げっ……とんだぬか喜びじゃない。まあ、たしかに強そうには見えないけど。
「……那須野さん、危ないから下がってて。っていうか、今の内に逃げて」
その背中から緊張は伝わってくるけれど、なんだろう妙な安心感がある。
天津命……へえ……こんな感じなんだ。まったく……文化系が無理しちゃって。
だけどね、はいそうですかって大人しく下がるほど私は弱くもないし薄情でもないんだから。
「あんたこそ下がってなさいよ。時間稼ぐだけなら私にもできるから」
天津が稼いでくれた時間で上がっていた息も整ってるし。
「……あのな、嘘なんだよ、警察呼んだって。出来れば呼んできて欲しいなあ……って」
「は? はあああ? やっぱりあんた馬鹿じゃないの!?」
「……馬鹿は酷いな、実際、呼んでる余裕があるようには見えなくてさ」
「じゃあアホね。わかった……すぐに呼んでくるから死ぬんじゃないわよ」
「……善処する」
スマホを片手に走り出す。
「あ、待ちやがれ!!」
「させないよ」
私に追いすがる男が転ぶ。天津が体当たりしたみたい。
無茶しないでよ。二、三分で戻るから!!




