第四十八話 十年前の約束
「あ、あそこが私の家です」
散々遠回りしてもらいましたけれど、とうとう着いてしまいました。
残念ですが、これで私の時間は終わってしまうのですね……。
「よし、玄関まで送るよ。家の人に引き渡すまでは心配だからな」
「こ、ここまでで良いですからっ!?」
許嫁がいる身で他の殿方に背負われて帰ったりなんてしたら、一体何を言われてしまうかわかりません。
「駄目だ。恥ずかしいのはわかるけど、初めましてじゃないんだし、怪我人なんだからおとなしくしてな」
な、なんでこういう時だけ男らしいのですか~!? 違うのです、恥ずかしいのはそうなのですけれど、そうじゃなくてですね……って、いやあああもう家に入ってます……ああ……終わりました。
「た、ただいま帰りました……」
「遅かったわね、あら……菖蒲さん……これは一体……?」
命さんに背負われている私を見て母が固まる。
「お久しぶりです、天津命です」
「あらまあ……命くん!? こんなに大きくなられて……ちょっと待ってくださいね、あなた、あなたあああああ!!」
「何事だ? 大声なんぞ出してはしたない……」
最悪です……母はともかく、厳格な父にどう言い訳すればいいのでしょう。
「夜分遅くに申し訳ありません。菖蒲さんが足を怪我しまして、大事があってはいけないと思いここまで運ばせていただきました」
「あなた、命くんよ、お礼を言わないと」
「ほお……命くんか、久しいな。わざわざありがとう。ところで……菖蒲とはどういう関係なのかな?」
背負われたままの私と命さんをギロリと睨みつける父。
嫌あああああ!? やっぱり……お願いやめてくださいお父さま。
「た、ただの高校のお友だちですわお父さま!!」
「菖蒲は黙っていなさい。命くん、菖蒲は大切な娘だ。たとえ怪我をしていたとしても、未婚の女性と長時間密着したからには相応の覚悟があるのだろうね?」
お、お父さま? 一体何をおっしゃっているのです? た、たしかに密着していることをいいことに、私は匂いを嗅いだり感触を楽しんだりしましたけれど、命さんは何もやましいことなどしていません。
「あ、あの……?」
ほら、命さんが困っているじゃありませんか!!
「よもや忘れたとは言わせませんぞ? 十年前の約束」
「……約束? もしかして、『菖蒲、命くんのお嫁さんになるの~!! 良いよ』ってあれですか?」
嫌ああああ!!! 命さん、なんでそんなこと覚えているのですかっ!? すっかり忘れていましたわ……。
「うむ、いかにも。約束は果たしていただきませんとな、命くん?」
いやいやいや、お父さま、それはいくらなんでも無理筋なのでは?
「うーん、たしかに約束は守らなければなりませんね。ですが、俺は良くても、菖蒲さんが嫌でしょうから、そこは菖蒲さんの意思を尊重してあげてください。それでは失礼します」
え……? 良いの? でも撫子がいるのに……。
◇◇◇
「申し訳ございませんでした。命さんは何も悪くないのです。お許しください」
「ははは、何を謝ることがある? よくやった菖蒲」
「本当に……いつの間に……よくやったわ菖蒲」
「……あの? それは一体どういう……」
てっきり叱られると思っていたのに、なぜか褒められている意味がわかりません。
「まさか菖蒲が次期当主の嫁になるとは……玉の輿どころの話じゃないな」
「しかも噂では数百年に一度の稀人だとか。これも運命なのかしら……」
上機嫌の父と、うっとりとする母。
え……? 命さんが次期当主!? あ……そういえば天津って宗主家の家名でしたね……。
「あの……それでは許嫁の方はどうなるのでしょうか?」
「そんなもの解消するに決まっているだろう?」
あ……そんな簡単に。さようなら顔も名前も知らないどなたか。
「さあて、忙しくなるな。菖蒲、さっそく引っ越しの準備をしなさい」
「引っ越し? 何のためにですか?」
「善は急げ、一日も早く命くんのところに行くのよ。先方の気が変わったら大変ですから」
「ええっ!? あの……まだ告白どころか、お付き合いすらしていないんですが……」
「なあに、そんなもの一緒に住んでからすれば良い」
無茶苦茶ですよ……お父さま。
「そうよ、ライバル多いんですから頑張ってね、菖蒲」
何を頑張れというのでしょうかお母さま。
……駄目です。どうやら引っ越しは確定のようです。
ごめんなさい命さん、お世話になります。




