第四十七話 茶道部 千家菖蒲の憂鬱
「菖蒲、どうしたの? ここ数日元気ないんじゃない?」
この茶道部で私を菖蒲と呼ぶ人間は一人しかいない。
部長で従姉の薫先輩が心配そうに顔をのぞきこんでくる。
「そんなことはないです、いつも通り変わりありませんわ」
嘘ではないのです。元気が無いわけではないのですが。
ただ……先日の誕生日、突然両親から告げられたのですよね。
「菖蒲、お前も今日で16歳だな」
「はい、お父さま」
「菖蒲、貴女に大切な話があります」
「はい、お母さま」
「良くお聞き、実はね……」
なんということでしょう……私にはすでに決まった許嫁がいるらしいのです。
もちろん母も祖母もそうだったから、たぶんそうではないかと思ってはいたけれど……
そういうことならもっと早く聞きたかったです……
別に特別に気になっている人がいるわけではないけれど、許嫁ってもう少し小さいころから会ったり、思い出とか作るものじゃないのですか?
私が夢見がち過ぎるのでしょうか?
少なからずショックを受けていたのに、昨日は親友の撫子に許嫁がいると発覚。しかも幸せそうな様子だったのが余計に複雑な気持ちになってしまいました。
「菖蒲、もしかして……許嫁のことを聞いたとか?」
「なっ、ななななぜそれを……?」
「……やっぱりね。なぜって、私もいるからよ、許嫁。高校卒業したら結婚する予定」
なんですって……まったく知らなかったんですが?
「なるほどね~、まあ不安だとは思うけど、一度会ってみてどうしても合わなければその時考えれば良いんだから。大丈夫、私は菖蒲の味方だし、いざとなれば伯父さまと叔母さまに言ってあげるから」
薫先輩、いいえ、薫姉さまに話を聞いてもらったら正直かなり気持ちが楽になりました。
確かに会う前から心配し過ぎるのもおかしいですね。合わなければお断りすることも出来るのですし。
「私としたことが忘れ物をするなんて……」
すっかり暗くなってしまいましたが、万が一にも失くすわけにはいかないのです。
でも……茶道部の部室は旧校舎にあるのですよね……。
江戸時代、まだ藩校だったころの施設をそのまま移設した県の文化財にもなっている本格的な茶室なのですが、古びた木造建築の校舎は、暗くなるとそれは雰囲気があって……。
「あ……まだ明かりが付いていますね」
完全に暗くなっていたらと心配しましたが、まだ明りが付いている部屋もあるみたいでよかったです。
「あっ!!…………あった。良かった……」
中々見つからなくて焦りましたが、ようやく探し物を見つけました。
小さなアメジスト色に光る石。
「うう……真っ暗じゃないですか……どうしよう」
夢中で探していた間に、気付けば辺りは真っ暗で、廊下の非常灯だけが不気味に旧校舎を照らしている。
昔から暗いところが苦手でした。
真っ暗な森で迷子になったことを思い出してしまいます。
あの時、助けてくれた男の子。
お守りにってくれたアメジスト色の石は今でも私の宝物。
その男の子とは高校で再会したのですが、向こうは私のことまるで憶えていないみたいなのです。
私は……気になっているのかしら……?
許嫁の話を聞いた時、最初に彼の顔が浮かんだのはなぜなのでしょう。
心がざわつきます。
「なんで……なんで撫子の許嫁なのでしょうか……?」
思わず漏れた自分の言葉にハッとする。
ああ……やっとわかりました。このモヤモヤした気持ちの正体が。
心のどこかで思っていたのですね。あの人が、天津命が私の許嫁なんじゃないかって……運命の人なんじゃないかって。
でも、それは違っていました。あの人は私の運命の人ではなかった。
心が冷えてゆく。このまま暗闇に飲み込まれてしまいそうで足がすくんで動けない。
助けて……
ぎゅっと石を両手で握りしめる。
突然……肩に何かが触れた。
「いやあああああああああああああ!!!」
わき目もふらずに階段へ向かう。
つるっ……
誰かが廊下にこぼした水で足を滑らせる。
ガシャーン……
倒れまいと手を伸ばした先には水場の花瓶があって、落として割ってしまった。
バタバタバタ……
後ろから追いかけてくる足音らしき怪音。
逃げなきゃ……
無我夢中で、転びそうになりながら廊下の角を曲がる……
ぼすんっ!!
「きゃああああああ!?」
「うわっ!? いきなりどうした?」
勢いよく頭から突っ込んでしまったが、なぜかふわりと優しく抱きとめられてしまった。
「ご、ごめんなさい……って、え……貴方」
「ん? なんだ、千家さんじゃないか。こんな遅くまで何してんの?」
「それは……こっちのセリフです。なんで……? なんでいつも……」
「ん? いつも? よくわからないけど、帰るなら一緒に出ようか? 実はさ、結構暗くて心細かったんだよね」
天津命……命さんが少年のようなはにかんだ笑顔を見せる。
その様子がなんだか可笑しくて可愛らしくて、思わず笑ってしまいます。
「ま、まあ、そういうことなら付き合ってあげないこともないですが……」
はっ……!? そういえば命さんに抱きかかえられたままでした。恥ずかしくて顔から火が出そうです。
「じゃあ、行こうか」
あ……待って、手を離さないで……
「い、痛っ」
「だ、大丈夫、千家さん?」
「……足を捻ったみたいです」
ごめんなさい嘘です。
「歩けそう?」
「……無理のようです」
捻ったのは嘘ですが、安心したのと恥ずかしいのとで足腰が立たないのは本当です。
「そうか……あのさ、どっちが良い?」
「……どっちとは?」
「お姫さま抱っことおんぶ」
……究極の二択ですね。両方と言いたいところですが。
「……では、おんぶでお願いします」
お姫様抱っこは顔が近くてさすがに恥ずかしすぎます。決して密着度が高いからおんぶにしたわけではないのですよ?
「じゃあ、失礼して」
思っていたよりもずっと広くて温かい背中。
胸の鼓動が伝わってしまいそうで心配になります。
「あの……走ったからですからね」
「ああ……すごい勢いで走ってたもんな」
私は忘れられるのだろうか? かけがえのない思い出と、温かい背中を。
「あの……私のこと、憶えていますか?」
「ん? 千家さんとは昔一度会ったきりじゃなかったっけ? うちの庭で」
ん……? 庭じゃなくて森のはずですが、憶えていたんですね。
「もらったお守り……まだ大切に持っているのですよ」
「ええっ!? あの紫の石? 本当に? そっか……あの石、お気に入りだったから嬉しいよ」
顔は見えないけれど、喜んでいるのが伝わってきます。そうですか……お気に入りの石を私に。
なんだか私も嬉しくて、ぎゅっと背中にくっ付いてみました。
……気付かれてないですよね? ふふっ。
でも……あと少しで校舎を出てしまいます。このまま終わらせたくありません。
「あの……大変申し上げにくいのですが……」
「ああ、気にすんな。ちゃんと家まで送って行くから」
ああ……貴方はいつもお優しいのですね。
撫子が幸せそうにしていたのも当然です。
ですが……
せめて今だけはこのままで。
撫子にも、まだ見ぬ未来の夫となる方にだって邪魔はさせません。
「……ごめんなさい重いですよね?」
「ん……軽いから大丈夫だ。ちなみにあとどれくらいで着きそう?」
「そうですね……あと1キロほどかと」
「……意外と遠いな」
ごめんなさい……本当は百メートルなのにすごく遠回りさせて……ごめんなさい。
「まったく……リア充ども爆発しろ」
二人が校舎を出た後、ブツブツ言いながら千家菖蒲が割った花瓶の後片付けをする用務員さんであった。




