第百十九話 お姉さんがリードしてあげるわ
「おはよう雅、それから……昨日ぶりだネ、命」
天津家の門をくぐると雅と命が出迎えてくれた。他の者たちは姫奈も含めてぐっすり夢の中だろう。まだ真っ暗な時間だし。
「おはようキアラ。どうぞ上がって~」
雅が意味深な笑みを浮かべて手招きしている。
ん……? すぐに出発するのだとばかり思っていたんだけど? こういう時の雅は大抵何か思惑があるのよネ。長年の勘が警鐘を鳴らす。
「おはようございます、キアラ監督。さあ、どうぞどうぞ」
まあ……主である命がそう言うのなら断るのも悪いわよネ。それになんたって許嫁同士なんだから。それにしてもなんて爽やかな笑顔、そして……なんという神気……眩しくてまともに直視出来ないほどだヨ。
「命、わ、私たちはもう許嫁なんだから、出来れば監督はやめてくれないかナ?」
我ながら何を乙女チックなことを言っているんだ……言った後で恥ずかしくなってきたヨ。
「ふえっ!? あ、そ、そそうでしたね、じゃあ……キアラさん?」
くはあっ!? なんだこの可愛い生き物は……驚いて顔を赤くする命に胸がときめく。
くっ……今すぐ抱きしめてキスの雨を降らせたい。でもいきなりそんなことをしたらドン引きされてしまうわよネ……?
「お、お邪魔します……」
なるべく命の顔を見ないように、雅に視線を固定しながら案内を受ける。
「……んふふ~キアラったらかわいい~」
「……うるさい」
駄目だ……雅には全部お見通しみたい。仕方ないので家の中を観察することにしよう。
……めちゃくちゃ広いリビング。掃除の行き届いた清潔で聖浄な空間に癒されるわネ。近い将来、この場所で暮らすことになるのだと考えると何とも言えない満たされた気分になってくる。
「いらっしゃいませ、お茶をどうぞ」
「あ、ありがとう」
お茶を運んできたのは銀髪の美少女メイド。あ……この子見覚えがある、たしか……昨日、命のそばにいた娘だよネ。命に夢中でほとんどノーマークだったけれど、才能に手足が生えたみたいな子ネ……。サッカーやらないかしら?
「ありがとう葵、あとは大丈夫だから」
「そうですか。では私はこれで」
ふんふん、葵ちゃんっていうのネ……うわっ……ナニコレめっちゃ美味しい……
「ふふ、星川さんのお茶美味しいでしょう? 料理もすごいんだから~」
雅は昔から食に結構うるさい。そんな雅がそこまで褒めるなら楽しみネ。私、料理は食べる専門だから早く味わってみたいわ~。すぐに食べられないのが残念すぎる。
それよりも……
「雅……さっきから気になっていたんだけど、なんでこの部屋、結界が張ってあるの?」
私たち海津家は、東宮司家との血のつながりも深く、それゆえ伝統的に結界術を得意とするものも多い。私も幼少のころから馴れ親しんではいるけれど……それでもこれはかなりの手練れでないと気付かないほどに巧妙に展開されている。雅のクセを良く知っている私でなければ気付かないほどに……
「あら~、さすがねキアラ。気付かれないと思ったんだけどな~? そうよ~みんなを起こさないように、ね?」
なるほど……たしかに防音系の結界術式。それはわかるのだけれども……本当に気になっているのは別のこと。
「それじゃあ、あの布団が敷いてあるのは?」
めっちゃ気になるんですけど……。洋室のど真ん中にどーんと不自然に存在しているそれが!!
「え? それは天津くんとキアラに使ってもらうヤツ~」
ブーッ!!!
……お茶を噴いちゃったじゃない。ああモッタイナイ。
「ち、ちょちょっと待って、聞いてないわヨいきなりそんな……」
べ、別に嫌だとかそんなことはないのよ、だって許嫁だし? だけど、それならそうと言ってもらえれば色々と準備もしてきたのに……
「キアラったら顔が真っ赤よ~? 大丈夫、ちょっと添い寝するだけだから~。だって、キアラだけ力の覚醒していないと可哀そうでしょう?」
そ、添い寝? そ、そうよネ……私としたことが我を失って……たしかに噂に聞く稀人の力、私も興味が無いと言えば嘘にはなるけれど……
「でも雅、すぐに出発しないと時間が……」
私がこの時間に来たのも、椿姫さまがいらっしゃるところまではかなり距離があるから。それは雅も知っているはず。そもそも、私はめちゃくちゃ忙しいのよ? 今日のためにスケジュール調整どんだけ大変だったか……。戻った後のことを考えると頭が痛くなってくる。
「あはは、大丈夫よ~。天津くん転移出来るから~。結界の手前までなら移動時間ゼロなの~」
はっ!? て、転移!? なにそれ聞いてないんだけど? え? じゃあ夢の自宅からの出勤も転移で可能ってこと?
遠征や移動が多い私にとっては夢のような話。はあ……命の許嫁になって良かった……。
ってことは……?
「はいキアラのイチャイチャ強化タイム~!!」
これ見よがしに布団をぴらぴらめくっている雅。
くっ……雅のヤツ完全に私で遊んでいるわネ。ほら、かわいそうに命も困っているじゃない。
仕方がないわネ……恥ずかしいけど、ここはお姉さんらしく私が命をリードしてあげないと……
あれ……ちょっと待って。
そういえば……私、リードどころかそういう経験ゼロだったわネ……いきなり大ピンチ!?




