第百十五話 バージョンアップ
『あらあら、また来ちゃったのね、命くん』
……女神さまの声で目が覚める。
ああ……いつ聞いても何度聞いても安心する声だ。変な話なんだけど、最近ここへ来るたび、我が家へ帰って来たような気がするんだよな。
また来ちゃったって? ええ、お恥ずかしい話ですが……でもね仕方がなかったんですよ。
まさかあの姫奈先輩があんなに激しくチャージしてくるなんて……俺だから良かったものの、普通なら一発レッドカードで退場ですよ、俺が。
それにね、零先輩に身体を洗わせられるところまでは想定内だったんですけど、想定していたからって耐えられるわけないですよね? おまけになんですかあのゴージャスボディ。たしかにサイズだけなら雅先生や霧野先輩の方が上ですけど、いくらなんでも限度ってものがあると思いませんか? お嬢様だからって、あんなワガママボディが許されて良いんでしょうか?
『かわいそうに……ソフィアちゃんまで持たなかったのね?』
女神さまの銀河のような瞳に恒星のような涙が浮かぶ。
くっ……俺なんかのためにやめてください。申し訳なさで心が痛くなります。
そうなんですよ……レギュラーどころが、新戦力に負けてしまったんです。
ラスボスどころか、まさか中ボスにすら歯が立たなかったなんて……。
今頃俺の身体は好き放題されているんだろうな……おそらくまあすに。
せめて身体と記憶を共有出来たら……いや、やっぱり怖いからいいや。
『あははは、気持ちはわかるけど落ち込んでも仕方ないわよ。命くんのせいじゃないんだし』
こらえきれずに盛大に噴き出す女神さま。もしかしなくても、あの涙は笑いをこらえていたんですね……
「でも女神さま、そうは言ってもせめて風呂ぐらい入りたかったですよ」
湯船に入らないとどうしても精神的に疲れが取れないからね。
『あら? じゃあ一緒に入りましょうか』
え……? 良いんですか? 言ってみるもんだな。なんだこれ……どっちに転がっても最高だった件。
『そうよ、だから落ち込む必要なんてないって言ったでしょ』
女神さまがパチンと指を鳴らすと、いつの間にか二人で風呂に浸かっている。もちろん無駄に広い我が家そっくりの湯船だ。
こんなに広いのに、女神さまがやたらと近い。っていうかほとんど肩が触れ合う距離なんですけど……
無意識に距離を取ろうとしたら、
逃げられないように腕をぐいっと掴まれてしまった。
『あまり時間が無いからね』
そっと耳元で囁く女神さまの声が妙に艶っぽく聞こえてしまうのは、お風呂の反響音のせいなのだろうか?
脇の下に感じる柔らかい二の腕の感触にドキドキが止まらない。女神さま……めっちゃいい香りがするんだよな……なんか頭がくらくらしてきた。
『それじゃあ、さっそく練習するわよ』
は……? 練習って? 何を?
再び女神さまの指が鳴らされると、ずらりと許嫁の皆さまが現れる。
「え……これって?」
『もちろん本物じゃないけど、寸分違わず同じだから……ね?』
……たしかに。見た目は同じなんだけど、全員無口で無表情なのはちょっと怖いかも……。
「本気ですか?」
ここでは地上と違って気絶出来ないから、俺にとってはまさに生き地獄になってしまう……いや待てよ……ある意味天国なのか?
『そうよ。命くんもうすぐ当主になるんでしょ? そうなったら今よりももっと大変なんだから今のうちに頑張って耐性つけておかないとね』
なんという良い笑顔。
女神さま……明らかに……絶対に楽しんでますよね?
『うふふ、何事も楽しまないと損よ』
なるほど……たしかに仰る通りですね。実際当主になったら待ったなしの問題でもあるのは事実だし。
くっ、これはもう覚悟を決めてやるしかないのか……
◇◇◇
『お疲れさま、命くん。今日はここまでにしておきましょうか』
「……ひ、ひゃい……」
女神さま今日は容赦が無かったな。
それにしても、なんという荒行……まだ喋らないからなんとか……それでも全然駄目だったけれど、少しずつ気絶せずに耐えられる時間が増えてきたような……気がする。
『じゃあ命くん、最後に一つだけ伝えておくわね。そろそろ結界の限界が近いわ』
「結界って……あの東宮司と西宮司が守っているっていう場所ですか?」
『ええそうよ。結界によって蓋をしているけれど、結界は年々劣化してゆくものですからね。そろそろバージョンアップしないといけないわ』
……バージョンアップ?
「ちなみに……結界が駄目になったらどうなるんですか?」
『そうね……一晩で日本の9割が死滅するでしょうね』
マジで!? アカン……これは絶対に結界守らないと……ちょっと洒落にならないレベルだった。
「あの……ところで俺は何をすれば良いのでしょうか?」
正直、結界のことなんて何一つ知らない。
『あら? 命くんは稀人なんだから、やることは一つでしょう? 許嫁にして彼女たちを強化するのよ。そうすれば、結界はバージョンアップされて当分の間平和は保たれるわ。一応両宮司家には私から神託を出してはおくけれど、最後は命くん次第なんだから頑張ってね』
え……やることは一つって……せめて次の代になってからじゃ駄目なんでしょうか?
『あはは、それじゃあ間に合わないわ。ちなみに今の西宮司の当主は118歳よ』
……聞きたくなかった。まさかの両家揃って三桁越えとは。くっ……人生最大の試練が来たのかもしれない。いくら年齢は数字とか言っても、さすがに限度がある。
『うふふ、命くんならきっと大丈夫よ。じゃあまたね……』
謎の信頼感が辛いけど、やらなければ日本は終わるからな……。
女神さまの声と姿がだんだんと遠くなってゆく……ああ、もう時間切れなのか……。
戻りたいような戻りたくないような……めっちゃ複雑な気分……




