第百七話 猫は液体
零先輩と姫奈先輩を両手でお姫様抱っこしながらゆっくりと家路を歩く。
転移してしまえば一瞬なんだけど、二人とも楽しそうにしていて、そんなこと望んでいないだろうし、それに……このまま家に帰ったら、間違いなく私も!! ってお姫様抱っこの無限ループが始まってしまうに違いない……。
「な、なあ……天津さん。今夜一緒にお風呂に入って、一緒に寝るというのはやはり本当なのか? そ、それから……おはようの……き、キスも……」
……あらためて姫奈先輩の口から聞かされると家の常識は非常識。俺にとっては日常になりつつあっても、たしかに普通ではない。ちょっと感覚が麻痺してきているのは間違いないだろうな。
「なっ!? き、聞いてないですわ!? いきなり……そ、そんなことするのですか!? は、破廉恥ですわ……」
零先輩がわかりやすく動揺している。
ですよね……。っていうか別にルールでも義務でも何でもないんですけどね……。単なる成り行きというかなんというか。とにかく誤解は早めに解いておかないと……
「いやいや、許嫁になったからって別に焦る事なんてないんですから、そういうことはお二人のペースでゆっくりと……」
「そうはいかんのだ。私はすぐにでも力が必要だからな」
ああそうか……今週末県大会決勝戦があるんでしたね。姫奈先輩なら今のままでも勝てそうな気もしますけど、対戦相手があの黒津の一族の経営する学校だと聞くとたしかに油断は出来ないか。何をしてきてもおかしくないし、実際大怪我させられたわけだしな。
「なんですの、その力というのは?」
零先輩の小首をかしげる仕草がいちいち可愛い。
そうか、零先輩にはそのあたりの説明はしていなかったっけ。
「なるほど……命が稀人だという噂は本当でしたのね。私にもまだ眠っている力があるというのなら、ぜひ確かめてみたいですわ」
フンスと鼻息荒く意気込む零先輩。あの、めっちゃ顔近いんですけど……
まいったな……二人ともめっちゃやる気満々になってるよ。これは……後はもう俺の覚悟だけといういつもの展開ってことだよな……。
よし、俺もいつまでも受け身、成り行き任せじゃ格好付かないし、二人をちゃんと安心させてやらないと。
「大丈夫、まとめて考えると大変そうですけど、目の前のことを一つ一つクリアしていけば良いんです。最初の風呂さえ乗り越えてしまえば意外と何とかなると思いますよ?」
これは経験からくる真実だ。不思議なもので、一緒に風呂に入ると距離がぐっと縮まるんだよな。
「なるほど、それを聞いて安心した。集団での風呂なら慣れているからな。問題ないぞ」
「私も子どもの頃からメイドに身体を洗ってもらっていたのですわ。他人に裸を見られるくらい今更何とも思いません」
なるほど、二人とも風呂は問題なしと。
そうなると、どちらかと言えば、俺の方がヤバいんじゃないか? また暴走して女神さま送りにならないようにしなければ……でもどうやって? うーん、答えは出ない……結局慣れるしかないのか。
「となると……やはり残る問題はキスか」
「そうですわね……一番の問題はキスですわ」
キスか……たしかに心理的、物理的なハードルは高いよな。ほとんど初対面同士だし。っていうか何度でも言いますけど、別にしなくても良いんですからね?
「あの……たぶんキス無しでもそれなりに力は覚醒すると思いますよ?」
桜花さんの場合は、おそらく俺が許嫁と認識していなかったのが原因だし。二人のことは最初から許嫁と認識しているんだから問題ないはずだ……多分。
「許嫁先輩を舐めるなよ。そ、そのくらい……か、軽々と乗り越えてみせる」
あの……許嫁先輩ってなんですか?
「そ、そそそそうですわ!! ほ、ほら、許可しますから、今ここで練習ですわ!!」
テンパったのか、とんでもないことを言い出す零先輩。
「れ、練習って……今ここでですか!?」
「も、もちろんですわ!!」
うーん本人がしたいというなら仕方ないか。たしかにいきなり成り行きで……よりは抵抗感が薄れるかもしれないし。順番がおかしい気がするけど今更だしな。
「わかりました。姫奈先輩はどうします?」
「ふえっ!? ここで? 今すぐに? くっ……だが、零がするのに私だけ逃げるわけには……」
めちゃくちゃ苦悩している姫奈先輩。
「あの……嫌なら無理しないで良いんですよ?」
「か、勘違いするな!! い、嫌ではない……その、ちょっと恥ずかしいだけで……そ、そうだ、あれをやってくれ。サムライアリとかなんとか?」
「……サンクチュアリですね。もう聞いたんですか? わかりました……」
恥ずかしいし言葉に出す必要ないんだけど、相手に伝える意味で言葉に出さざるを得ない。
「サンクチュアリ!!」
周りの時間が止まる。車や風の音、話し声すら聞こえなくなる。
「な……なんですの、これ? 車も人も全部止まって……」
「時間を止める俺の能力ですよ。今この辺りで動いているのは、俺たち三人だけです」
「じ、時間を……!? さすがは天津家の稀人ですわね……スケールが違いますわ」
「そ、そうか……止まっているなら恥ずかしくはないな。れ、零、お先にどうぞ」
「ふえっ!? 許嫁になったのは姫奈の方が先なんだから、そちらが先にするのが筋ですわ!!」
「何言っているんだ? 練習すると言い出したのはお前だろう、零?」
いかん……これは長くなりそうだ。仕方がない。
「先に失礼します、姫奈先輩」
そのまま抱き寄せて軽く唇を重ねる。
「にゃ、にゃにをする……」
ぷしゅーっと顔から蒸気が出て、ふにゃふにゃになってしまった姫奈先輩。だ、大丈夫かな?
気にはなるけど、ここまで来て止めるわけにはいかない。
「さあ、次は零先輩の番です」
「ひ、ひいい……お、お願いですわ、こ、心の準備を後五時間ほど……」
そんなに待てないので、問答無用に抱き寄せてキスをする。
「にゃあああ……」
零先輩も液体化して伸びてしまった。ええっ!? 何だこれ。
どうやら二人とも猫だったらしい。猫は液体だしな。
『うにゃんっ!? 今、呼ばれたような気がするにゃあ……?』
呼ばれたような気がして目を覚ましたひだにゃんだったが、誰もいないのでまた眠り始めるのであった。
『むにゃあむにゃあ……』




