失われた心
「に……しても、呆気なさ過ぎない? ここまで用意周到に戦いを挑んできて、自分の武器を失ったら直ぐに退却するなんて……」
「ロキ殿は、自分の目的は達したと見たのだろう。ベルヘイム軍への攻撃は、その目的を達成する手段の1つだった……」
フェルグスの言葉を聞いて、ゼークは自分の顔が蒼く……血の気が失せていくのを感じた。
「じゃあ……やっぱり、ロキの目的は……」
「彼……だろうな。ロキ殿を止められる、唯一の存在だと聞いた事はある。両人を知る自分としては、手を取り合って欲しいモノだが……もはや難しいな」
先程までの激しい戦闘を見ていると、2人だけは次元が違う……他の者を無視してでも、倒しておきたい相手というのは頷ける。
しかしフェルグスは、2人共に私利私欲の為に動く者ではない事を知っている為、心が痛んだ。
「それで……お前は、これからどうするんだ?」
「ん? もちろん、ロキ殿の元へ戻る事になるだろうな。父の圧政に苦しんだ民を保護してもらっているんだ。今回はゲッシュを守る為にロキ殿と敵対したが、それは契約の範囲内だ」
アルパスターの問いに坦々と話すフェルグスを見ていると、ゼークは悲しくなる。
「そんな事より、彼の容態を見に行かなくて良いのか? 身体は大丈夫だとは思うが……」
「フェルグス……私は、また肩を並べて戦いたい! 今までは、ただヨトゥンが攻めて来たから戦っていたけど……ヨトゥンが大切な人達の命を奪っていったから戦っていたけど……でも、この世界で何が起きているのか分かれば、私達が争わなくても良いのかもしれないから……」
ゼークはそう言うと、フェルグスを見ないで一真の元へ走り出した。
戦えた時間は短かったが、冷静な判断力と剣技は幼い頃に憧れたまま……いや、更に磨かれている。
そして隣で戦う安心感は、ゼークにとって掛け替えの無いモノだった。
一度は敵として争う事を覚悟したが、やはりフェルグスとは共に戦う仲間でいたい。
ただ、それでもベルヘイム軍を離れる訳にもいかない……フェルグスの顔を見てしまうと、その感情が強くなってしまう事が分かっていたゼークは、全速力で走り出したのだ。
「ロキの部隊に戻って……今まで通り、我々と戦うのか? 今回の戦いで人とヨトゥンが争って勝敗が決しても、それで終わらない事は実感出来た。それでも、ロキの元に戻るのか?」
「だからこそ……だ。以前、彼と刃を合わせた時、ロキ殿の行動に疑問を感じたのは事実だ。だが、ロキ殿が人に優しい統治をしているのも、また真実……もっとロキ殿の事を近くで見て判断したいんだ……この戦いの黒幕は誰なのか……それを確認する為にも、もう少しヨトゥン軍に身を寄せるさ……」
アルパスターに笑顔を向け、ゼークの後ろ姿を見送ったフェルグスは、踵を返す。
「そうか……ならば、お互い信じる騎士道を進もう……次に出会う時も、同じ相手に剣が振るえる事を願っているぞ……」
アルパスターは呟くと、ゼークの後を追って歩き出した。
「一真! 大丈夫か?」
いち早く大地に崩れ落ちた一真の元へ辿り着いた航太は、その身体を支えるように肩を貸す。
「お疲れ様、カズちゃん! 私達の力も、役に立ったでしょ?」
深刻な表情で一真を顔を覗き込む航太とは対象的に、絵美は明るい声を出した。
身体に大きな怪我は無いように見えるし、 明るく振る舞わないと自分の中の不安が表に出て来そうで……
絵美は、明るい声を出すしかなかった。
「航兄、最後に送ってくれた風……凄かったよ。柔らかくて、どこか懐かしい風……その力が、凰の目の恐怖を取り除いてくれた。ありがとう」
「なんだよ……全然、大丈夫そうじゃねぇか! 心配して、損したぜ!」
今まで空で異次元の激戦を繰り広げていたとは思えない、小さくて頼りない身体を支え、航太は安堵で表情が崩れた。
「うん……今は、魔眼の力で心を維持してもらってる。けど、もう数分も持たない……」
右手に持つグラムを杖のように身体を支える一真は、赤く光るペンダントを首から外す。
「おい……何を言ってんだよ。もう、鳳凰覚醒も使わなくていいんだ。使ってない時は、症状の進行は無いんだろ? って、うぉっ!」
一真を支えながらも、ついつい語気が荒くなってしまう航太を押し退ける女性が2人……
1人は航太に代わってその身体を支え、1人は腕を伸ばして一真の手を握る。
「一真……もう、無理をして……」
「ごめん、ティア。約束……守れそうにない。でも、心を失わずに戦い抜けた。お姉さんの形見のおかげだよ……ありがとう」
一真はグラムを手放すと、ペンダントをティアの首にかけた。
「カズ兄ちゃん……大丈夫なんでしょ? 大丈夫って言ってよ!」
一真の手を握ったルナは、その手の平から感じる汗の量に異常を感じる。
いや、汗は額から……身体の全体から……
尋常じゃない汗の量に、一真の身に何かが起きている事は容易に想像できた。
「一真、早く治療を受けて……大丈夫……一真なら大丈夫だから!」
「ありがとう……ティア、ルナ。でも、もう残されている時間が少ないんだ。俺の心が正常のうちに……」
グングニールを弾き飛ばした後、鳳凰天身を使っていた代償が一真の身体を……心を蝕んでいた。
鳳凰覚醒を解いても、深淵の闇の中へと引きずり落とされる感覚が消えない。
魔眼の力や風の力……そして、ティアから預かっていたファブニールの涙……それらの力を駆使して維持してきた心も、限界を迎えようとしていた。
少しでも気を抜いたら、一瞬で全てが飲み込まれる……
「航兄……オレとロキの会話……聞こえてた?」
「少しだけな……だが途方もない話過ぎて、まだ整理がつかない。宇宙から何かが攻めて来て、俺達の世界が危険って話だと思ったが……」
航太の言葉に頷いた一真は、グラムを指差す。
「エアの剣とグラムは、元々1つの剣なんだ……だから、航兄が持ってて。ロキを止める力になるはず……」
そこまで話すと、一真は一度考え込む。
「いや……これからの事は、航兄が判断して決めて……決まっているのは何十年か先の未来、必ず地球は宇宙人に襲撃される。高度な文明に神器の力を携えて……今のままでは、抗えない。ロキの言う通り、身の保身だけを考えていてはいけないのかもしれない。でも……オレは非情になりきれない!」
悔しさなのか、不甲斐なさなのか……腹の底から搾り出すような声に、航太は何も言えなかった。
普段の一真からは想像出来ない大きな声に、一真を心配して集まっていた全ての人の動きが止まる。
その一瞬……一真はグラムを拾うと、集まっていた人と自分の間に巨大な炎の壁を作った。
その背中には、鳳凰の翼が見える。
「カズちゃん! 何してるの? もう身体は限界でしょ? こんな時に鳳凰天身なんて……」
「うるせぇ! 何しようが……ぐっ! くそ……もう、維持出来なくなってきてる……」
智美の声で我に返った一真は翼を消滅させるが、そのまま膝から崩れ落ちた。
「一真!」
「航兄! 来ちゃダメだっ!」
どれだけの力を使ったのか……万里の長城の如く、長く伸びる炎の壁の先から、一真の声が響く。
そして、炎の壁から飛び出して来たグラムが、航太の足元に突き刺さった。
「ちょ……カズちゃん、冗談だよね? このままグラムを航ちゃんに託して、何処かに行っちゃうなんて事……ないよね?」
「一真! あなたの身体は、ベルヘイムで保護するわっ! 不自由をかけると思うけど、魔力の篭った鎖で自由に動けなくして保護するから! あなたが、誰も傷つけないようにするからっ! みんなの元から離れちゃダメだよ!」
感の鋭い絵美が先の展開を読んで慌てる横で、全力で走って来たゼークも一真の説得を試みる。
説得……と言うには、あまりにも一真にとって嬉しくない内容だが、息を切らすゼークは考えが纏まっていない事に気付いていない。
しかし、一真が人を傷付ける事を嫌うなら、それすらさせないというゼークの気持ちの表れではあった。
「ありがとう、みーちゃん……ゼークも。でも、鳳凰天身の力に耐えられる鎖は無いかもね。主神とも互角に戦える程の力なんだから……」
そして、微笑む。
「みんな……もう伝える時間は、少ししか残って無いけど……お願い、神の為とか、漠然としたモノの為に命を捨てないで……命を懸けて戦う時は、本当に守りたい人や、物や、信念の為に戦って。そうすれば、必ず良い方向に扉は開くから……」
炎の壁の先で、ヨロヨロと立ち上がる一真の姿が見える。
「バルドル様、流石に素手でヨトゥン領に留まる事は危険です! せめて、この剣を持って行って下さい!」
フレイヤは、持っていたヘルギを一真の足元に投げた。
「けど、心を失ったオレが剣を持ってたら……」
「その剣には、ガイエンの魂も残っています! バルドル様……私は、何百年もバロールに囚われていました。でも、こうして再び皆と共に歩み出せています。バルドル様も諦めずに……必ず、我々がお迎えに参ります!」
諦めるな……そう、一真も諦めるつもりはない。
しかし心を失って表出されるのは、意思には従わない、性格も気性も荒くなる自分である。
諦めないとか、そんな概念が通じるかどうか……
「ガイエンの魂か……」
それでも、藁にも縋る思いで一真はヘルギに手を伸ばした。
「おい、一真……まぢかよ! 何でこんな……」
「航兄……航兄は、オレと違って頭が良いだろ? 難しい宿題を置いて行くけど、みんなで力を合わせて……航兄なら、オレでは出せなかった答を……」
一真はそう言うと、炎の壁から離れて行く。
炎の壁の先からは、一真を呼ぶ声がなり止まない。
それでも、一真は振り向く事もせず森の深くまで入っていく。
心が闇に飲み込まれる感覚が加速する……完全に飲み込まれる前に、皆から離れなければならない。
自分がロキ以上の脅威となって、殺戮を行うなんて想像もしたくなかった。
一真を呼ぶ声も聞こえなくなった森の中腹で、額にあった魔眼が胸部まで下りてきて、怪しい光を放ち始める。
さて……この身体、乗っ取ってやったのぅ……最強の身体じゃ、どう使ってやろうかのぅ……
魔眼の笑い声が、森の中を木霊する。
そして、一真の人格は完全に失われていた……




