エピローグ4 ナーレンダ
「これ、一体なんですか?」
なんの前振りもなく手渡された赤い瓶をまじまじと見つめ、サヴィトリは尋ねる。
准術士長であるル・フェイに呼び出され、以前にも通された激甘な匂いのする部屋にサヴィトリは来ていた。
ジャムポットほどの大きさの赤い瓶は、ル・フェイが笑顔で押しつけてきたものだった。中に生物でも入っているのか、不規則に揺れている。
ル・フェイは意味深に眼鏡のブリッジを押しあげ、にやりと笑った。柔和な雰囲気の癒し系美女だが、笑い方は悪人じみている。
「お近づきの印のプレゼントですわ。前回のおもてなしも不十分でしたし、そのお詫びもかねて」
「はぁ……」
サヴィトリは様々な角度から赤い瓶を眺めてみる。
どこからどう見てもただの瓶だった。あかりにかざしてみても中は見えない。
「さ、遠慮せずに開けてくださいな。面白いものが入っていますよ」
(やっぱり開けなきゃいけないのかコレ……)
持ち帰って、こっそり燃えないゴミとして出そうと思っていたサヴィトリは微かに顔を引きつらせる。
サヴィトリは腹を据えるように息を吐き、コルクのふたを開けた。
「――ル・フェイ! どういうつもりだ!!」
けたたましい怒鳴り声と共に、瓶の中から何かが飛び出してきた。
「ほほほほほ。可愛らしいじゃないですか、イェル術士長」
ル・フェイは口元を押さえ、瓶から飛び出してきたものをつまみあげた。
「ふざけるな! 元に戻せ!」
瓶から出てきたのは、金色の喋るカエルだった。お腹のあたりに青い模様があり、つかみやすくするためなのか、首にはスカーフのような物が巻かれている。
「呪われた王子様といえばカエル姿が妥当でしょう。もし呪いが解けなくても、本気出して頑張れば『世界一抱かれたい両生類』という名誉ある称号をもらえるかもしれませんよ」
「誰がいるかそんなわけのわからない称号なんか! 戻せル・フェイ! 上司の命令だぞ!」
「人に尻拭いばかりさせる上に職権乱用ですか? そんなんじゃ人としても両生類としても最低ですよ、術士長。可愛いサヴィトリさんの前で醜態をさらすおつもりで?」
ル・フェイはつまんだ金色のカエルをサヴィトリの眼前に突き出した。
「サヴィトリ、だって? っ、馬鹿! 僕を近づけるな、また棘が――」
金色のカエルは、器用に両手(前足?)で顔を覆い隠す。
「馬鹿は術士長のほうですわ。なんのためにあんたをカエルにしたと思ってるんです?」
ル・フェイはサヴィトリの手を取り、その上に金色のカエルを乗せた。
「……もしかして、これが、ナーレ?」
今までのル・フェイとカエルとのやりとりから、サヴィトリはそう結論付けるしかなかった。
「中身はくそ生意気な小坊主のまんまですけれどね。サヴィトリさんにかけられた呪法を解析したところ、イェル術士長の術力に共鳴し、指輪から棘が発生するようです。その指輪を破壊するのが最も手っ取り早いのですが、それを作った人間の根性がひん曲がっているせいなのか、破壊すれば周囲数キロが荒野と化すほど膨大な術力があふれ出すこと間違いなし。それに、呪いのアイテムとして実にありがちな特性としてはずれなくなっているので、まずサヴィトリさんの指ごと切断しなくてはならないというリスクもあります。
御託を散々並べましたが、ようするにイェル術士長の術力を封印するために色々やったらカエルになっちゃった、ってことですわ」
サヴィトリはル・フェイの長話を聞き流し、金色のカエルを指でつついてみた。カエルの腹にある模様は、ナーレンダの右頬にあったのと同じだった気がする。
「やめないかサヴィトリ! うっとうしい!」
カエルは吸盤のついた手で、サヴィトリの指を払うようにぺちぺち叩く。どこからどのように発せられているか謎だが、声もナーレンダのものに似ていた。
「本当にナーレ?」
意味のない問いだと思いながら、サヴィトリはカエルに尋ねた。
「なんで来たのさ、サヴィトリ」
カエル姿のナーレンダからは、何の感情も読み取れない。ただ、声音だけがひどく沈んでいた。
「……迷惑だろうと思ったけど、会いにきたんだよ。ナーレに」
「ああ、迷惑だね」
ナーレンダの切り返しは予想以上に鋭かった。サヴィトリの身体が思わず萎縮する。
「君が無計画に出てきたせいで、どれだけの人に迷惑がかかったことか。森暮らしで一般常識皆無な君が一人でここに来れるわけがない。それに君が来なければ僕だってこんな姿に――」
「黙れツンデレガエル!」
怒号と同時に、ル・フェイの右手が一閃した。手の甲で激しく打ち据えられたナーレンダは軽々と吹き飛び、本棚に激突する。
「彼女が契りの指輪をしているのをにやにや思い出し笑いしたり、彼女のまわりにイケメンがたくさんいることに動揺して調合間違えて研究室一部屋爆破したのはどこの術士長ですか!? こういう時は素直に『来てくれてありがとう』って言うんです! ツンの出しどころが違うんですよツンの出しどころが!!」
怒涛のごとくまくし立て、ル・フェイは瀕死のナーレンダをサヴィトリにむかって放り投げた。
「それじゃ、第三者は退散しますわ。サヴィトリさん、どうぞごゆるりと」
何事もなかったかのように優しく微笑むと、ル・フェイは静かに去っていった。
サヴィトリは、自分の手のひらで腹ばいになっているナーレンダを見る。
「…………来てくれてありがとう」
もごもごと不明瞭な声が聞こえた。
「別に、ル・フェイに強要されたから言うわけじゃない。僕に会いに来てくれたのは、まぁ、嬉しい、と思う。あと、さっきは言いすぎたかもしれない」
言葉を紡ぎながら、ナーレンダは落ち着きなく手の吸盤をこすり合せる。
「もう一つ、十年近く離れてたから当たり前と言えば当たり前なんだけど、塔で君を見た時、一瞬、誰だかわからなかったよ。ずいぶん、その、垢抜けて、あー……綺麗になったじゃないか」
ぽろっとナーレンダの身体が垂直落下する。
顔の発熱を抑えるために、サヴィトリが自分の頬に手を当てたせいで。
「馬鹿! 急に落とすんじゃない!!」
「……どうしよう。カエルに綺麗になったって言われてすごく嬉しかった。ということは、私は両生類に発情する特殊な性癖な持ち主だったのか? ああどうしようどうしよう」
「君ねえ、照れてるなら素直に照れなさい! わかりづらいから!」
「別にナーレに言われたから嬉しかったわけじゃない。カエルに言われたから嬉しかったんだ。カエルにそんなこと言われるなんて、もう二度とないかもしれない」
「ああそうですか。本当に、昔から可愛げがなくて嫌だね君は」
カエル姿ながら、ナーレンダはふんと鼻で笑う。
「ナーレも変わらないね。今も昔も意地悪だ」
サヴィトリは目を細め、ナーレンダを軽く爪弾いた。カエルの身体は簡単に倒れる。
「意地悪? まさか。君みたいな性格破綻した子の犠牲者になってやろうなんていう聖人君子、他にはいないと思うけど」
ナーレンダは腰(?)に手を当て、ふんぞり返る。
サヴィトリは返事の代わりに微笑み、もう一度ナーレンダを爪で弾いた。




