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Tycoon0-災厄王女が初恋の人に会いに行ったら残念イケメンに囲まれた上に天災魔女にも目をつけられました-  作者: 甘酒ぬぬ
第七章 次代のタイクーン

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7-3 棘の呪詛

 リュミドラの放った閃光が消えると、塔の内部は元の姿――サヴィトリには元がどうであったのかはわからないが――を取り戻した。

 甘ったるい匂いを放つお菓子は消え去り、代わりに青味を帯びた壁や床を覆うガラスのように磨きあげられたタイル、正体不明な形容しがたいオブジェが現れる。


「……これが、元の姿でいいのかな」


 サヴィトリは不安げに隣にいるジェイに尋ねた。


「うーん、いいんだと思うよ。ほら、術法院の中もこんな感じだったじゃない?」


 ジェイは頬をぽりぽりとかきながら苦笑する。


「……あー、えっと、指輪、取り戻せたんだ。よかった」


 沈黙を嫌うように、ジェイはかわいた笑い声をあげた。


「そもそも、こんな目に遭ったのはジェイのせいだろう。人の指輪を盗むわ、無力なお姫様のように連れ去られるわ、挙句の果てに再登場のタイミングは空気読めないわで救いようがない」


 サヴィトリは不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、言葉と指の両方を鋭くジェイに突きつけた。

 ジェイは困ったように笑い、まぁまぁと手で押さえてなだめるような仕草をする。


「そう、諸悪の根源は貴様です。ジェイ殿」


 聞き覚えのあるものより、いくらか冷徹さを孕んだ声が聞こえた。

 サヴィトリが声のした方をむくと、白い大蛇のようなものがむかって来るのが見えた。あっ、と思った瞬間にその白い大蛇はジェイの身体にしゅるしゅると巻きついていた。ジェイの身体が勢いで横倒しにされる。

 よくよく見てみると、ジェイに巻きついているのは白い大蛇ではなく、女性が羽織るような衣だった。この持ち主を、サヴィトリは知っている。


「王子二人の殺害とサヴィトリ様への殺害未遂。その身であがなっていただきますよ」


 衣の持ち主は扇のように幾本もの黒い針を携え、ゆったりとした足取りでサヴィトリとジェイとに近付いた。


「あー、やっぱり。それも俺だと思われてるんだ」


 ジェイは衣でぐるぐる巻きにされた身体をしゃくとり虫のように動かす。


「確かにそういうお仕事受けてたのは事実だし、タナボタタナボタ~とか思って黙って報酬もらったのも俺だけど、殺してないんだよね。やる前に誰かにやられちゃってたっていうか。まぁ、何を言っても無駄無駄無駄って雰囲気だけど」

「はっきり言って、個人的にそちらはどうでもいいのです。故人を悪く言うつもりはありませんが、あの兄弟の悪行の揉み消しには苦労させられましたからね。サヴィトリ様に怪我を負わせたというだけで万死はおろか、地獄の底まで突き落とし、永遠に死に続けていただきたいほどです」


 カイラシュはうっとうしそうにジェイの身体を踏みつけた。腹部のあたりを踵でぐりぐりとにじる。


「ぎゃあああっ、痛い痛いっ! ……でもさ、その言い方だと割と最初っから俺のこと怪しいって思ってたんですよね? それならなんであの一服盛ったタルトタタン食べちゃったんですか?」


 ジェイは痛みに悶えながらも尋ねた。


「愚問ですね。わずかな生クリームさえもサヴィトリ様の手料理とあらば残せるはずがありません! あの味はしっかりとわたくしの心のサヴィトリ様専用メモリーに刻ませていただきました!」


 カイラシュは頬を赤く染め、全力で断言する。


(阿呆だこいつ)


 サヴィトリとジェイの心の声が一致した。


「さて、サヴィトリ様」


 いきなりカイラシュが自分の方をむいたので、サヴィトリは心の中の悪口が漏れたのかとどきりとする。罵倒に喜ばれて更にスイッチが入ると困る。

 だがサヴィトリの想像は杞憂に終わった。

 カイラシュは目蓋を伏せ、頭を垂れた。


「サヴィトリ様の目に不浄を触れさせるわけにはまいりません。どうぞご退出ください。階下で、ヴィクラム殿がナーレンダ殿を捕獲しております。会いたがっていた方なのでしょう?」

「捕獲って……ナーレは珍獣か何かなのか」


 カイラシュの言い方に引っかかりを感じ、サヴィトリは聞き返す。


「現在の状況を説明したところ全力で逃げようとしたので、現在のジェイ殿と同じように捕縛してあります。とはいえ、あの人のことですから逆ギレして一面を焼け野原にするのも時間の問題でしょう」


(なんだろう。私の中のナーレ像がひどい打ち壊しにあってる……)


 サヴィトリは軽い頭痛を覚え、そっと眉間を押さえた。


「よかったじゃん、サヴィトリ。これでようやく目的達成だね。いってらっしゃ~い」


 ジェイは場違いな明るい声で言うと、手を振るかわりに全身をもぞもぞとくねらせた。しかしすぐにカイラシュに「無礼な上に気色悪い」と蹴りを入れられる。

 サヴィトリはその場から動かず、ジェイの顔を見下ろした。

 いつもと同じようへらへらと笑っている。ジェイを思い浮かべて真っ先に浮かぶのがこの表情だ。これがジェイの基本の顔なのかもしれない。


「同情なんかしちゃダメだよ。自業自得なんだから」

「いや、別に同情する気はない」


 サヴィトリはあっさり首を横に振る。


「うそーん」

「……ただ、もったいないと思って」


 言い終わった後、サヴィトリは含みのある笑みを浮かべた。


「カイラシュ」


 ジェイの顔を見下ろしたまま、サヴィトリはカイラシュの名を呼び捨てた。

 反射的にカイラシュの身体がびくりと萎縮する。その反応に、カイラシュ本人が一番驚いたようだった。


「地獄の底に投げ捨てるのなら、私が拾って使おう。こんなどうしようもないヘタレより、地獄に入れるべき悪人は他にもいるはずだ」


 サヴィトリは見あげるようにしてカイラシュと視線を合わせた。


「毒にしかならぬものを拾ってどうなさるおつもりですか。いくらサヴィトリ様の命といえどお聞きするわけにはまいりません」


 だがその後すぐに、ただし、という前置きをし、


「――それが次期タイクーンの命とあらば、喜んでお聞きいたしましょう」


 立てた人差し指を唇に押し当てながら言った。


「いいよ」


 即答だった。

 答えた本人以外、わけがわからず目をしばたたかせた。あまりのことに声も出ない。


「ちなみに、タイクーンになったらいくらまで金を使える?」


 サヴィトリは周囲の驚きなどまったく気にせず、急に脈絡のないことを尋ねた。


「えっと、正確にはわかりかねますが、国家予算の範囲内で、ある程度は自由に」

「次期タイクーンだったら?」

「はあ。タイクーンよりは劣りますが、一般人が一生働いても稼げないくらいの額ならぽーんと」


 カイラシュは戸惑い気味に答える。

 サヴィトリは満足そうに微笑んだ。

 次に、ジェイの胸倉をつかみあげ、耳元に唇を寄せる。


「お兄さんの分も全部まとめて払うから、アコギなバイトからは足を洗え。ただし、これから地獄以上の日々を覚悟すること」


 一方的に言い放つと、投げ捨てるように胸倉から手を離す。

 両腕ごとぐるぐる巻きにされているジェイは受け身が取れず、床にしたたかに頭を打ちつけた。


「サヴィトリ……」


 感動のせいか痛みのせいか、ジェイは瞳を潤ませる。


「――もしかして、俺に惚れた?」


 ジェイの戯言は、サヴィトリとカイラシュとによって寸分の狂いなく同時に放たれた拳によって封殺された。


「おろせ馬鹿ラム! 僕をなんだと思ってるんだ!」


 カイラシュがしぶしぶとジェイを拘束していた衣をはずしていると、部屋の外から怒声が響いてきた。年若い少年のような声だった。


「人間」


 もう一つは低いわりによく通る声。


「ふん、お前の頭の中はだいぶアルコールでやられてるみたいだな! もろとも燃やして気化させてやる!」


 ごおぉっと何かが燃えあがるような音も聞こえてくる。


 サヴィトリ、ジェイ、カイラシュの三人は顔を見合わせ、外を窺うように扉の所から仲良く並んで顔を出した。

 部屋の外には、


「……もう三十だろう。いい加減、落ち着きを持ったらどうだ」


 困ったように首をさするヴィクラムと、


「年齢のことは口にするなって前から言ってるだろ! それにまだ僕は二十八だ!」


 額に青筋を浮かべ、両手に青い炎を灯した少年がいた。

 空色の髪。猫の目のような金色の瞳。右の頬にある不思議な青い模様――サヴィトリの記憶の中と何一つ変わらないナーレの姿がそこにあった。

 どうしてあの時と何も変わっていないんだろう、とサヴィトリは疑問に思ったが、足が駆けだすほうが早かった。


 ナーレ!

 サヴィトリは名前を叫んで駆け寄った――つもりだった。

 サヴィトリの姿に気付いたナーレンダに驚愕の色をした瞳で見返される。

 なんでだろう?

 疑問に答えるように、サヴィトリの視界いっぱいに緑の棘が広がった。左ななめ下、ちょうど左手のあたりから生えてきている。

 棘は顔や咽喉、腕や胴、とにかく全身に絡みついてきた。棘に生えたとげがあらゆる場所に突き刺さる。

 悲鳴は声にならなかった。

 喉を締めつけている棘を掻きむしろうとしたが、棘は指の一本一本にも絡みつき身動きすら取れない。できるのは、せいぜい痛みに身じろぎするくらいだった。


『せいぜい、再会の感動に打ち震えるといいわ』


 サヴィトリは、改めてリュミドラに言われたような気がした。

 あっさりと指輪を返された時、疑うべきだった。しかし、後悔してももう遅い。


「サヴィトリ!」


 意識が薄れかけた時、泣きそうな声で呼びかけてくれたのはナーレンダだったと信じたい。

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