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Tycoon0-災厄王女が初恋の人に会いに行ったら残念イケメンに囲まれた上に天災魔女にも目をつけられました-  作者: 甘酒ぬぬ
第七章 次代のタイクーン

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7-1 タイクーンの娘

 大きく翼を広げた猛禽の姿が彫りこまれた木製の扉を、数日前と同じようにカイラシュは軽く握った手で叩いた。

 すぐに中から応えがある。


「補佐官カイラシュ・アースラ、まかり越しましてございます。サヴィトリ殿下をお連れいたしました」


 この口上も前と同じだった。

 サヴィトリは金翅鳥の扉を撫で、用意した台詞を頭の中で何度も何度も反芻する。できるだけ簡潔に。できるだけ傲慢に。

 カイラシュによって扉が開けられ、サヴィトリは中へと入る。


 今日は体調がいいらしく、タイクーンは椅子に座って分厚い本のページをめくっていた。自分にむけられたサヴィトリの視線に気付くと、タイクーンは読んでいたページに栞紐をはさんでテーブルの上に置いた。親指と人差し指とでつまんで眉間を揉みほぐす。

 サヴィトリはカイラシュを伴い、テーブルの脇に立った。


「単刀直入に申しあげます、タイクーン」


 と慇懃な口調で言ったのはサヴィトリだった。

 タイクーンは驚きに目を見張る。訳を尋ねるようにタイクーンはカイラシュを見るが、カイラシュは素知らぬ顔をしていた。平素の表情ではなく、何か知っているがあえて知らないふりをしている顔だ。


 サヴィトリの次の行為は、よりいっそうタイクーンを驚かせるものだった。


「私があなたの娘であることを公のものとし、次代のタイクーンとしてご指名ください」


 床に膝をつき、頭を深々と垂れる。

 行為も発言も、まるで現実味がなかった。

 タイクーンはもう一度眉間を揉み、状況とサヴィトリの発言とを確認する。


「どういった、心境の変化だ」

「権力に目がくらんだ。それだけのことです」


 間髪入れずサヴィトリは答えた。まるで表情を見せないように頭を垂れたままで。


「カイラシュは、どう思う?」


 タイクーンはため息混じりに尋ねた。


「失礼ながら、その問いは愚問と言わざるを得ません、タイクーン。以前からお伝えしているではありませんか。サヴィトリ様にタイクーンの座に就いていただくことがわたくしの最上の望みでございます、と」


 カイラシュは服の袖で口元を押さえ、艶やかに微笑む。

 タイクーンは顔をしかめ、後頭部のあたりをかいた。


「ふむ、言外に詮索するなと言われているようであるな。俺も、俺自身の思惑と周囲の思惑によってタイクーンとなった身だ。この国のためだとか民のためだとか腰の据わらぬ理想論を展開されるより、よほど共感できる理由だ。それに、上に立てば否が応にでも責任を背負わざるを得ない。自然と周囲にタイクーンとして躾けられていく。即位前の動機や資質など俺は問わない。好きにするといい」


 タイクーンの言葉が終わるのを見計らい、カイラシュはテーブルの上に書類とペンを置いた。

 本当にお前の手回しのよさには涙が出るよ、とタイクーンは目元を押さえる。書類にはざっと目を通しただけですぐに署名をした。


「ありがとうございます。それともう一つ、ご報告しなければならないことがあります」


 ここでようやくサヴィトリは面をあげる。顔には含みのある笑みが浮かんでいた。

 サヴィトリは自分の服の左袖を肘のあたりまで一気にまくりあげた。むき出しの腕を見せつけるように自分の顔の前に持っていく。

 白く華奢な腕には、脈打つ緑の棘がしっかりと絡みついていた。中指にしている銀の指輪のあたりから生え、――服で隠れているためはっきりとはわからないが――肘より先にも続いているように見える。


「棘の魔女リュミドラより、呪詛を受けました。棘の魔女を打倒しこの呪詛を解くまで、先の件はこの三者間でのみのこととしていただけますでしょうか」


 サヴィトリはいたって平然と要求を突きつけた。

 次から次へと起こる現実味のない出来事に、タイクーンは頭を抱えずにいられない。


「……色々言いたいことはあるが、大丈夫なのか、それは? 俺は呪術はおろか術にもあまり詳しくない」

「大丈夫でなければ、わたくしがいの一番に発狂しております」


 やや不機嫌そうにカイラシュが言った。


「この棘自体は幻です。痛みは本物ですが。ある一定の条件下でのみ痛みが生じるようになっているようです」


 サヴィトリは説明をしながら棘ごと自分の腕をつかんでみせた。棘から手が透けて見える。

 タイクーンは失礼、と断ってから棘に手を伸ばした。触っている感覚はまるでなく、すっと通り抜けてしまう。


「先にその報告をすべきではなかったのか」

「申し訳ありません。まず何よりも先に確約をいただきたかったのです」


 サヴィトリはおざなりに頭をさげ、袖をおろす。


「カイラシュの入れ知恵か。確約も何も、俺が死にさえすれば何がなんでも周りは唯一の血族であるお前を推す。俺の意思など必要ないだろう」

「おや、何事にも形式が必要だということぐらい、タイクーンならおわかりでしょう?」


 カイラシュはまた例の嫣然とした微笑を浮かべる。

 たとえ意に添わないことであっても、この微笑に後押しされるとうっかり首を縦に振ってしまいそうになる。見慣れているはずのタイクーンや、カイラシュの本性がとんでもない変態だと知っているサヴィトリですら例外ではない。


「すべて好きにするといい。どうせ俺には事後承諾の権利しかないのだろう」


 タイクーンは署名をした書類をカイラシュに突き出した。


「おやおや、いい歳した爺がすねてもまったく可愛くもなんともありませんよ」

「まったく、タイクーンに対して敬意のない補佐官だ」

「次代のタイクーンには最大限の敬意を払っていますよ」


 と言うとカイラシュはサヴィトリにむかって秋波を送った。

 サヴィトリはあからさまに嫌な顔をして立ちあがる。

 この程度で腹を立てていてはカイラシュの思う壺だ。よほど殴られたいのか、カイラシュはしばしば意図的にサヴィトリが怒るようなことをしてみせる。


「これといった助力はできないが、早く呪詛が解けるよう祈っている」


 タイクーンはサヴィトリの方を見て言った。サヴィトリの名を呼ぶのにはまだ抵抗があるのか、言葉の前に微妙な間があった。


「タイクーンこそ、どうぞお身体を大事に」


 サヴィトリは小さく頭をさげる。

 やはり、目の前の人物が父だという実感は湧かない。もっとも、一、二度顔を合わせた程度で通じ合えるほうがおかしいと思うが。

 サヴィトリに気遣う言葉をかけられたのが嬉しかったのか、タイクーンは「またな」と目を細める。

 つられたようにサヴィトリも微笑み、もう一度、今度は深く頭をさげた。

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