6-10 豊満ティータイム
世界はショッキングピンクだった。
けばけばしい光がちくちくちくちくサヴィトリの瞳を刺す。
状況がまったくわからず、とりあえずサヴィトリは起きあがろうとした。だが、手をついた所がずぶずぶと沈みこんだ。やや生ぬるい気がする。ちょうどカイラシュのベッドで寝た時と同じような状況だ。柔らかいベッドは嫌いではないが、あまりに柔らかすぎるのは悪意を感じる。
「大胆なのね、サヴィトリちゃん」
ショッキングピンクが喋った。
サヴィトリはよりいっそう混乱し、赤くなるくらい両目をこする。
視覚から得た情報は、サヴィトリを絶叫させずにはいられなかった。
ショッキングピンクは、豊満すぎるリュミドラの肢体を包むシーツだった。サヴィトリが置いた手は、完全にリュミドラの腹部の脂肪に呑まれている。
サヴィトリは慌てて手を引き抜き、リュミドラの身体の上から飛びのいた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃなぁい。ちょっとショック受けちゃうわぁ」
のそりとリュミドラが身体を起こす。それだけで塔全体が揺れたような気がした。少なくとも、特注と思われるリュミドラが横になっていた巨大なベッドは悲鳴をあげている。
ベッドから数歩のところにあるソファにどかっと座った。また揺れと悲鳴があがる。
ソファの近くにあるテーブルにあらかじめ用意してあったらしいティーポットでリュミドラはお茶を注いだ。ポットとおそろいのデザインのカップに赤い液体が満ちていく。
ごく一般的なサイズのティーセットだが、リュミドラが持つと子供のおもちゃのように見えた。その他にお菓子やパンなども完備されている。
「うふふ、特製のローズヒップティーでもいかが? ハイビスカスもブレンドしてあるから綺麗な赤でしょう。美容と健康にいい成分がたっぷりよん」
とサヴィトリに勧めてから、リュミドラはカップに口をつける。
「……こんな不健康な塔で健康を訴えられてもな」
サヴィトリはやっとのことで声を絞り出した。手にはまだリュミドラの体温がまとわりついている。
「あら、絶対喜んでくれると思ったのにぃ。サヴィトリちゃんが小さい頃にクリシュナにお願いしたお菓子の家よん」
「こんな悪趣味なものを喜ぶわけ――」
否定しようとしたサヴィトリの脳裏に、突然幼い頃の情景がよみがえる。
あれは、ナーレがクベラに出立する数日前のことだった。
『おねがいクーおとうさん! 大きなおかしの家を作って! ナーレが好きなケーキとプリンとクッキーと……とにかくナーレが好きなものぜーんぶで作ったおかしの家! そうしたらナーレは行かないでくれるでしょ!?』
サヴィトリは泣きながらクリシュナに頼みこんだ。好きな物を用意すれば行かないでくれると、子供だった当時は本気で思いこんでいた。
サヴィトリは全身がぶわぁっと粟立つのを感じる。サヴィトリが願ったお菓子の家は、自分とクリシュナ以外は知り得ないことだ。
「小さい頃から知ってるわよん。あのクリシュナが、森に引きこもってまで大事に大事に育ててた秘蔵っ子だもの。気にならないわけないじゃなぁい」
リュミドラは頬肉をぷるぷる揺らして微笑むと、市松模様のクッキーを何枚かまとめて口に放りこんだ。
「師匠と知り合いなのか?」
サヴィトリは確認するように尋ねる。
「腐れ縁、かしらね。いい加減ぶった切ってしまいたい仲よ」
一瞬だけ、リュミドラの瞳に強い光のようなものが宿った。だが、それは幻であったかのようにすぐに消えてしまう。
(師匠って何者なんだろう?)
今までサヴィトリはクリシュナについて考えたことがなかった。
タイクーンの側室――サヴィトリの母親の知人。小屋に人間を辿り着けなくするために、森の広範囲にまやかしの術を施せるほどの遣い手。でも女にだらしがなくて、お金も甲斐性もない、風俗だけには欠かさず通う引きこもり。
改めて自分の知っている情報を並べてみると、胡散臭くてろくでもない人物だということしか再確認できない。
(……とりあえずどうでもいいや)
クリシュナとリュミドラが知り合いだろうとそうでなかろうと、サヴィトリがここにやって来た目的とは直接の関係はない。さっさと本題を終わらせてこんな場所から速やかにさよならしたいところだ。
「リュミドラ、お前の望みどおり私は来た。ナーレと、私の指輪を持ったジェイはどこにいる?」
「あらあらかわいそう。ジェイっていう男の子は指輪さえ戻ればどうでもいいの?」
どうでもいい、という言い方をされるとサヴィトリも困ってしまう。恨みはあるが、見殺しにしてもいいと思うほどではない。
「うーん……地面に額こすりつけて謝らせたいから一応ジェイも生きたままで」
首をひねって考えてから、サヴィトリは要求を一つ付けたした。
「可愛い女の子のお願いは是が非でも叶えてあげたいところだけどぉ、タダじゃあダメね。なんでもかんでも周りがやってあげたらろくな大人にならないもの」
リュミドラは目を細めると、おもむろに持っていたティーカップにかじりついた。
ばりっ、がりっ、ぱきんっ。神経に障る音を立て、陶器のかけらを飛ばしながら、リュミドラはさも美味しそうにティーカップを頬張る。飲み残したハーブティーかそれとも自分の血液か、口の端から赤いものが一筋垂れた。
「遊びましょう、サヴィトリちゃん。美味しいお茶の後は運動をしなくちゃね」
リュミドラの身体にまとわりついてた棘がしゅるしゅると生き物のように伸びた。サヴィトリを威嚇するかのように宙で蠢く。
「お茶も何も飲んでいない私が運動するのか。お前が運動しなければ意味がないと思うが」
心底呆れたように言いながら、サヴィトリは自分の左手に口づけた。すぐにいつもと感覚が違うことに気付く。
また無意識のうちにやってしまった。今自分の左手に指輪はないとわかっているのに。左手に口づけるのが戦闘態勢に入る時の癖になってしまっていた。
サヴィトリは気恥ずかしさをまぎらわせるように眉間に皺を寄せた。
それを見たリュミドラは肉に埋もれた口角を吊りあげる。
「うふふふふふ、お口はちょっと悪いけど本当に可愛らしいわねぇ。サービスで指輪だけ返してあげちゃう」
漂っている棘のうちの一本が動いた。何かをサヴィトリにむかって投げつける。
サヴィトリは投げられたものを両手ではさむようにして受け取った。おそるおそる手を開いてみる。
ナーレの髪と同じ空色の石がはまった銀の指輪。
取り落としそうなほど急いで定位置――左手の中指にはめる。失われていた身体の一部が戻ってきたような感覚がした。
サヴィトリは改めて指輪に口づけた。
空色の石が呼応するように発光し、色を失う。すぐさまサヴィトリの手の中に氷の弓が現れた。
サヴィトリは自然と微笑みがこぼれてしまうのを抑えられない。
「そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいけど、ちょっと嫉妬しちゃうかも。それじゃあ今度こそ遊びましょ、サヴィトリちゃん♪」
小手調べ、といったところか、三本の棘が獣のようなうなりをあげサヴィトリに迫った。
サヴィトリは矢を放って一本を凍らせる。後方に飛んで残りの二本を避けながら再び矢を撃った。矢によって壁に縫い止められ、二本まとめて凍りつく。
楽しそうに頬の肉を揺らすリュミドラのまわりではまだ数多の棘が蠢いていた。間断なく、三本一組でサヴィトリに襲いかかる。
「リュミドラ、お前の目的はなんだ?」
踊るように棘をかわしながら、サヴィトリは問う。パターン化した攻撃に慣れ、わずかに余裕ができていた。
「研究塔を制圧したり、私と遊びたいと言い出したり、クベラの領内に魔物をばら撒いているという話も聞いたことがある」
「いやん、リュミドラだなんてぇ。もっと親しみをこめてリュミリュミって呼んでぇ。前の二つは単純にサヴィトリちゃんに構ってほしいからよぉ。アタシ、強くて可愛い女の子が大好きなのん。最後の一つは、別にクベラに限ったことじゃあないのよぉ。列強三国、全部に均等にご挨拶してるわよん。今はクベラがいっちばん目障りな感じだからぁ、挨拶の回数も自然と多くなっちゃってるだけでぇ」
独特なもったりとまとわりつくような甘ったるい声は聴覚を冒す。その存在のどこを取っても人に害しか与えない。リュミドラは一種の生物兵器のようだった。
ふっとおちゃらけていたリュミドラの雰囲気が冷める。
「国なんて全部、滅びてしまえばいいのよ」
冷徹な囁きだった。また、どこかで聞いたことのある言葉でもあった。
一度に襲い来る棘の本数が増える。九本の棘が身をくねらせサヴィトリに殺到した。
「慣れてきたところで急にパターンを切り替える、か。初歩だな」
サヴィトリはその場で冷静に呟き、両腕を横に広げる。
柔肌を打擲しようと迫る棘の鞭は、サヴィトリに触れる直前で何か見えない壁のようなものに阻まれた。
まばたきの間に棘は凍結し、内側から弾けるように四散する。破片は白い霧と化し、広範囲に舞った。サヴィトリの姿が隠れる。
霧の中から数本の氷の矢がリュミドラ目がけて飛来した。あらゆる方向からほぼ同時に飛んできたためサヴィトリの位置は特定できない。
「まあ危ない」
ゆったりと落ち着き払った口調で言い、リュミドラは棘を盾にする。
六本あまりが凍りついた。それでもまだ棘の数は減ったように見えない。
「少しは動いたらどうだ」
リュミドラの背後から声がした。冷気がリュミドラの肌を刺す。
霧と矢とに気を取られている間にサヴィトリは静かに素早く駆け、リュミドラのうしろを取っていた。
サヴィトリの両手の間には、騎兵が扱う槍ほどの大きさの氷の錐が出現している。凍りつかせるための術ではなく、突き刺して殺すための術だった。
「うふ、嫌よ」
リュミドラは振りむきもしない。
「……さよならだ」
サヴィトリの言葉と共に、氷の錐はえぐるようにしてリュミドラの身体を貫いた。




