6-8 蒼炎の術士
「……うるさい」
はっきりとした人間の声がジェイの耳に入った。
ついに幻聴まで聞こえるようになったもうだめだ。
ジェイが涙をのんでこの世の未練を断ち切ろうとした瞬間、生クリームのクマの全身が青く燃えあがった。生クリームのクマはたまらずジェイの身体を放り投げる。悶え苦しむように両手で頭を抱え、不快な高周波を発する。
ジェイが床にへたりこんで呆然と見ていると、生クリームの身体は青い炎に舐められるようにして溶けて小さくなった。三十秒もしないうちに完全に消えてなくなってしまう。
巨大なクマの身体を完全に包むほど燃えていたにもかかわらず、床や壁になんら損傷はない。近くにいたジェイも、まったく熱さを感じなかった。
「そこのアホ面した君、どこから来たの?」
極彩色の鳥籠の方から失礼な問いかけがあった。
ジェイはいやいや鳥籠の方へと近寄ってみる。
生クリームのクマを跡形もなく焼失させたのは鳥籠の中にいる人物(?)だろう。下手なことをして焼き殺されたらかなわない。
「えーっと、下の階からです。なんかよくわかんないうちに肉々しいおねーさんに捕まっちゃって。逃げようと思ったんですけど出口がわからないので、とりあえず階段を駆けのぼってきました」
「ふん、顔同様に中身もアホっぽいね」
鳥籠の中の人物――空色の髪をした少年は傲慢に鼻で笑った。
初対面でなおかつ年下の少年に見下され、さすがのジェイもイラっとしたが、先ほどの青い炎を思い出して心を抑える。
(青い炎……?)
ジェイは引っかかりのようなものを感じた。青い炎。青い炎。青い炎――何度も口の中でキーワードを転がす。
ほどなくして、パズルのピースがはまるように単語が整列した。
青い炎。術。術士。研究塔。囚人。大事なお兄さん。ばらばら。
ジェイはプレッツェルの格子をつかみ、できるだけ顔を寄せて中の少年を見た。
「何さ?」
少年は不快そうな表情でジェイを見返す。
ジェイは構わず、少年のてっぺんからつま先まで仔細をあばくように見つめる。
年齢は十七、八ぐらいに見える。どう見積もっても二十歳は超えていない。たれ目で優しげな感じの美少年だが、吊りあがった眉とへの字に下がった口が小憎たらしい印象を与える。刺青か何かなのか、右頬に青色の模様があった。
服装は准術士長のル・フェイと同じで、袖口の広い長衣と白いケープを身に着けている。大振りのブローチでケープをとめているという点だけ違った。ジェイの記憶が確かならば、あのブローチは術士長に与えられるものだ。
最後に完全にジェイの主観だが、この少年は将来ハゲそうな額をしている。間違いない。
(サヴィトリの言ってたナーレって、こいつか?)
鳥籠の中の少年は、年齢以外はサヴィトリが探していた人物と一致している。
「あのー、俺、近衛兵団所属のジェイっていうんですけど、もしかして、術法院術士長のナーレンダ・イェルさん、ですか?」
あれこれ思考を巡らせるよりも本人に聞いてしまったほうが早い。少年の態度は気に入らないが、ジェイはできるだけ低姿勢で尋ねた。
「だったらなんなのさ?」
少年は腕組みをし、いぶかしげな視線をジェイにむける。この返事は肯定と取っていいだろう。
「だったら今すぐここから出てきてください! あなたに会いたがってる人がいるんです!」
ジェイはナーレンダを怒鳴りつけ、つかんだ格子をがたがたと揺らした。
あのサヴィトリが泣いてまで会いたがっていた人だ。できることなら会わせてあげたい――情は移していないつもりだったが、あくまでつもりだったらしい。それに、いっさい情がなければ指輪を取り戻すなどという選択肢も浮かんでいなかっただろう。
「君ねえ、僕が好き好んでこんな所にいるとでも思うの?」
ナーレンダは言いながら格子を握った。手に青い炎が灯る。
だが、一度ぼぉっと激しく燃えあがった後、格子に巻きついた薔薇に吸いこまれるようにして炎は消えていった。
「周囲を焼け野原にすることはできるけど、このプレッツェルを燃やそうとするとこうなる。わかった?」
(いちいちムカつくガキだな……でも、調べによると二十八、九だったような? じゃあ、年上? こんなのが?)
「君、今極めて失礼なことを考えただろう。僕は言ったよね、周囲を焼け野原にすることはできるって」
猫のようなナーレンダの金色の目がすっと細くなる。
ジェイは背筋に薄ら寒いものを感じ、慌てて手と首とを振った。
「考えてません考えてませんまーったくなーんにも考えてません! 頭の高いクソ生意気なガキだなんて全然ほんとに考えてません!」
「消し炭にされたいって? いいけど、別に」
ナーレンダはにっこりと笑う。
優しげな風貌と相まって微笑む姿は天使のようだが、放たれた蒼炎は地獄に属するものだった。
青い火球は追尾性能を有しているのか、逃げるジェイの背を執拗に追いかけてくる。
(サヴィトリが探してるのって、この人で間違いないや)
疲弊した身体に鞭打って逃げながらジェイは思った。
攻撃前の笑顔といい理不尽な手の早さといい、サヴィトリと相通ずるものがある。
「ところでさ、僕に会いたがってるのって、金の髪をしたサヴィトリって名前の子?」
格子の横棒に肘をかけ、ナーレンダは頬杖をついた。
ジェイは火球から逃げつつ、頭の上で両手を重ねて腕全体で大きな丸を作る。
「左手の中指に、これと同じデザインの銀の指輪してた?」
ナーレンダは自分の右手をジェイの方にむけた。その中指には、緑の石がついた金の指輪がはまっている。
駆け寄って確認してから、ジェイは再び大きな丸を作った。
意志あるもののように、ジェイが答えを出すまで空中で静止して待っていた火球は、ジェイを追いまわす作業を再開する。
「ふぅん。まったく、何年たっても馬鹿なんだから」
ナーレンダは指輪を眺め、小さくため息をつく。思わずこぼれてしまった笑みを隠すようでもあった。
「一人で勝手に納得してないで助けてください」
ジェイは嫌がらせのように鳥籠のまわりをぐるぐるまわる。もちろんその後を青い火の玉が追いかけている。
「言い方がムカつくけど、気分がいいから許してあげてもいいかな」
ナーレンダはいかにも意地悪く微笑むと、やる気なく左の人差し指を反時計回りにまわす。それに合わせて青い火球は収縮していき、ほどなくして消え失せた。
ジェイはほっと一息つき、脱力したようにその場にしゃがみこむ。
「そういえばナーレンダさんはなんでこんなとこに捕まってるんですか? リュミドラ――えーっと、ちっともありがたくない露出過多の衣装を着た、ものすごい脂肪の持ち主で、とにかく脂肪があってだるだるで――」
「知ってるよ。あれが噂の棘の魔女なんだろう。ご察しのとおりあの肉塊に捕まったのさ。理由は知らないけど。何の前触れもなしに内装がこんな風になって、面白モンスターがあふれかえってね。ここにいたほとんどが実戦はおろか戦闘訓練もしたことがない奴だったから、仕方なく僕がしんがりを務めてやったってわけ。そしたら逃げ遅れてこのザマさ」
話しているうちに怒りまでよみがえってきたのか、ナーレンダは忌々しげにプレッツェルの格子を蹴り飛ばした。
(サヴィトリをおびき寄せるために捕まえた、って考えるのが妥当かな。でもあの肉塊、なんでサヴィトリに執着するんだろ。こんな大がかりなことまでして。そもそも俺の依頼主もあの人だっていう話だし……)
あれこれ思考をこねながら、ジェイはふところをあさって小さな鍵を取り出す。
自分が牢から脱出する時に使った術具だ。ある一定レベル以下の鍵なら開けることができるという。どこまで開けられるのか実際に試したことはない。トンボ玉の房飾りと一緒に、すでに引退した祖父から譲り受けた。
(小兄ちゃんの方がいいモンもらってたよな~)
ふっとジェイの脳裏に過去の情景がよぎる。
やけっぱち気味にサヴィトリに言ったことは、半分は本当だった。
仕事中の事故で、兄は身体の右半分が機能しなくなってしまった。アコギな仕事のせいで、まっとうな医者は誰も見てくれない。
そんな時に助けてくれたのが術具だった。ある特殊な術具を身体に埋めこむことによって兄の右半身は機能を取り戻した。だが、それには莫大な維持費がかかる。兄は一生抜け出せない。
(まぁ、普通にやってたら俺も抜け出せないけど)
暗殺業などに手を染めるそもそもの原因は、先祖が作ったという恐ろしい額の借金だ。何代もの子孫に迷惑をかけるほどの額をこしらえるなんてどうかしている。
「ねえ君、大丈夫? 気分でも悪くなった?」
急に黙りこくってしまったジェイの顔を、ナーレンダは心配そうに覗きこむ。
「……え、ああ。俺ぼーっとしてましたか? すみません、大丈夫です」
ジェイはすぐにへらへら笑顔を浮かべると、錠前に取りついた。鍵穴に鍵を差しこむ。
だが、入る寸前で鍵の軸がへにゃりと曲がった。何度差しこもうとしても、嫌がるように軸は身体をくねらせる。
「あれ~?」
「それ、規格品じゃないね。特注?」
ナーレンダが興味深そうにジェイの持っている鍵を指差した。
「いや、詳しいことはわからないです。爺ちゃんからもらった物なんで」
「普通のやつだったら入れようとした瞬間に弾け飛んでたと思うな。汎用性も高そうだし……ねえ、もしかして君ってよくない筋の人?」
ナーレンダの指摘に、ジェイは思わずふき出した。
「ちょっ、なんてこと言うんですか! 近衛兵だって言ったじゃないですか近衛兵だって!」
「近衛兵なんてのは貧弱な貴族のボンか、どこぞの飼い犬の集まりだよ。まぁ、これ以上は詮索しないであげる。興味もないしね」
(ほんと色んな意味でヤな人だな)
ジェイは必死に苛立ちを抑える。下手なことを言って消し炭にされたらたまらない。
「あはは~、お気遣いありがとうございます。じゃあ俺、上の方を見てきますね。ちょっと棘の魔女さんに用があるんで。ついでに、ここを開けてもらえるように頼んでみますね」
白々しい愛想笑いをし、ジェイはそそくさとその場を立ち去ろうとした。
「君、ちょっと待って」
ナーレンダが呼び止める。
「はい?」
「君はあの子――サヴィトリの知り合いなんだろう。あの子に伝えてほしいことが――」
「ダメです」
ジェイは両腕で大きくバツを作り、ナーレンダの言葉をさえぎった。
「俺が絶対にナーレンダさんをここから出して、絶対にサヴィトリのとこまで引きずっていくので、言いたいことがあったら自分で伝えてください。サヴィトリは、まわりを気にせずぼろぼろ泣いてまであなたに会いたがってるんですよ。それにきっと、彼女は今この塔にむかってる。リュミドラが言ったんです、『来てくれなかったら、あなたの大事なお兄さんをばらばらにしちゃうかも』って。それって間違いなくナーレンダさんのことですよね? 騒動の中心人物なんだから、責任取ってちゃんとサヴィトリに会ってあげてください!」
勢いよく頭をさげると、ジェイはナーレンダの返事も聞かずに走り出した。




