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Tycoon0-災厄王女が初恋の人に会いに行ったら残念イケメンに囲まれた上に天災魔女にも目をつけられました-  作者: 甘酒ぬぬ
第六章 棘の魔女

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6-5 術士長ナーレンダ・イェル

 中に充満する匂いに、サヴィトリは思わず顔をしかめた。手で鼻と口とを覆い隠しても、指の隙間から執拗に入ってくる。

 一言で言えば甘ったるい。だが実際にはもっと複雑な匂いだった。

 砂糖や蜂蜜、バニラにチョコレート、柑橘類などなど、様々な種類の甘い匂いの嫌な部分が複雑怪奇に混じり合い、濃厚で殺人的な異臭を醸し出している。

 匂い同様に、内装も極めて甘ったるかった。

 壁や天井は、外壁と同じ薄いピンクの生クリームのようなもので覆われている。匂いや質感は生クリームそのものだが、食べて確かめてみる気には到底なれない。

 窓を模してなのか、壁には等間隔で市松模様の大きなクッキーが貼りついている。床は板チョコレート、柱はエクレアでできていた。無秩序に突き刺さったロリポップや、所構わずぶちまけられたゼリービーンズ、カラーチョコスプレーなどが全体に彩りを添える。

 椅子や机、備品といったものもすべてお菓子に変わり果てていた。ちょっと体重をかけただけで崩れるプリンの椅子や、表面がメープルシロップでべたべたのパンケーキの机など、まったく実用性がない。


「思い描いていた理想と目の前にある現実って、やっぱり違うなぁ……」


 かつて幼い少女だった頃、お菓子の家に憧れていたサヴィトリは独りごちた。当時の自分だったら喜んだかもしれないが今の自分の心には響かない。


「一人で勝手に突っ走らないでくださいサヴィトリ様!!」


 サヴィトリが匂いにひるんで入り口付近で立ち止まっていると、カイラシュとヴィクラムとが追いつく。二人とも険しい表情をしているが、匂いが原因といった雰囲気ではなかった。


「なんで二人とも平気なんだ?」


 鼻と口元を覆い隠しているサヴィトリはくぐもった声で尋ねる。

 珍しく、カイラシュとヴィクラムが顔を見合わせた。


「この甘い匂いのことですか? 確かに多少きついですがナーレンダ殿の部屋に比べたら……」

「ああ。あの部屋は四六時中これ以上の匂いだ」


 共通認識があるのか、二人はうんうんとうなずき合う。


「……ナーレンダ?」


 サヴィトリが聞き返すと、カイラシュは口元に手を当て、ヴィクラムは露骨に視線をそらした。挙動不審にもほどがある。

 問い詰めようとサヴィトリが口を開きかけた時、タイミング悪く魔物が現れた。というよりも最初から現れはしていた。机や備品だと思っていた物達が一斉に動き出す。


「ほら、モンスターが現れましたよサヴィトリ様。モンスターですモンスター。危ないですからお話は後にしましょう」


 カイラシュは強引にサヴィトリを背にかばう。

 その行動や雰囲気から、カイラシュがどうしても話をそらしたいようにサヴィトリには見えた。「そうだ、話など後にしろ」という同調するようなヴィクラムの物言いも疑惑に拍車をかける。


「ナーレンダって?」


 サヴィトリは目を据え、二人に尋ねた。それと同時に両手を前方に突き出す。

 サヴィトリの手のひらに白い霧が円を描くように渦巻く。三秒後きっかりに、無数の氷の粒を内包した冷気が放たれた。一気に周囲の気温がさがる。

 軌道上にいたカイラシュとヴィクラムは、思いがけない後方からの攻撃に転がるようにして避ける。

 しかし気付かないうちに、カイラシュの服の裾を冷気がかすっていたらしい。起きあがった際に、長衣の裾の左側が膝下あたりまでぼろぼろと崩れた。

 冷気の直撃を受けたプリンの化け物はたちどころに凍りついた。プリンと言ってもサヴィトリと同じくらい丈がある。

 その後何か衝撃が加わったのか、クリーム色の身体の中心を断ち割るように大きな亀裂が入った。ぐらりとうしろにかたむく。地面に倒れこむ前に、神経に障る硬質な音を立ててばらばらに砕け散った。


「誰のこと話してるの?」


 更に重ねて尋ねながら、サヴィトリは右手に白い冷たい光を灯らせた。近くにいたドーナツをいくつも重ねて人の形にしたような化け物を捕捉する。ドーナツの化け物には目も鼻も口も付いていなかったが、全身を震わせるその動作から恐怖が読み取れた。

 サヴィトリが地面を蹴るよりも早く、ドーナツの化け物は手足をばたつかせて逃げ出した。身体を構成しているドーナツが四方八方に飛び散る。

 サヴィトリは顔目がけて飛んできたドーナツの一つを受け止めると、瞬時に凍らせて粉砕した。

 その表情は怒っているわけでも悲しんでいるわけでも、ましてや楽しんでいるわけでもない。

 無表情。

 顔の上には何一つ感情が浮かんでいない。


「いえ、ただ知り合いの話ですよ。ねえ、ヴィクラム殿?」

「ああ。知り合いの話だ」


 魔物をなぎ倒しつつ、カイラシュとヴィクラムは白々しく話を合わせる。


「――ナーレンダ・イェル。術法院の術士長で蒼炎を操る、今ここに囚われているであろう男の話だ」


 最後の一匹であるパンケーキの化け物を袈裟切りにしたついでに、ヴィクラムは呟くように付けたした。


「なんで喋りやがるんですか貴様は!」


 カイラシュはものすごい剣幕でヴィクラムに詰め寄る。


「先に口を滑らせたのはそっちだろう」


 ヴィクラムは納刀し、疲れたように息を吐いた。


「二人とも、ナーレと知り合いだったのか」


 表情のないまま、サヴィトリは確認するように言う。

 カイラシュは迷った後、微かにうなずいた。


「わたくし達の知っているナーレンダ殿が、サヴィトリ様のお探しになっている方で間違いありません。青い炎を操るというだけでも珍しいのに、名前・年齢・出身地まで同じとあれば、もはや疑う余地すらないでしょう」

「……知っていたならどうしてもっと早く教えてくれなかったんだ!」


 サヴィトリは皮膚が色をなくすほど強く拳を握りしめた。自然と眉間に皺が寄り、歯を食いしばらずにいられない。


「本人から口止めをされた」


 カイラシュの代わりにヴィクラムが答える。

 どういうこと、とサヴィトリが尋ねるより早く、カイラシュが言を継いだ。


「まだ会えない、と言っていました。その理由はわたくしにもわかりません」

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