5-3 焦燥
カイラシュは口角を持ちあげ、ゆっくりと首を横に振った。
「駄目です」
さらっと言い、食後のデザートのタルトタタンにナイフを入れる。ざくっ、ざくっ、と小気味いい音が鳴った。
「なんで!」
サヴィトリは顔をしかめ、拳をテーブルに叩きつけた。その衝撃でがちゃがちゃと食器が大騒ぎする。
カイラシュはまったく動じることなく、一口大に切り、生クリームを乗せたタルトを口に運んだ。外見だけでなく、食べる所作にさえ優雅さがある。
「とりあえず落ち着こう、サヴィトリ。落ち着こう落ち着こうほんと真面目に落ち着こう。このアップルティーでも飲んでさ。ね、ね? タルトタタンで使ったリンゴの芯と皮を入れてるから香りが強くて美味しいよ」
ジェイは早口でまくしたて、ティーカップに紅茶をそそいだ。湯気と共に甘酸っぱいリンゴの香りが立ちのぼる。
軽く呼吸をするだけで温かい香気が身体の中に入り、内側から心身をなごませてくれる。
だが、それくらいではサヴィトリの眉間の皺は消えなかった。
「……わずかひと月の辛抱です。城中にて、イェル術士長の帰還の報告をお待ちください」
カイラシュの物言いはいつになく素っ気ない。ティーカップをゆったりとまわし、香りを楽しんでから口をつけた。
「わずか数時間の距離だ。馬を使えばもっと早く行ける。それくらいの距離をどうして行ってはいけないんだ!?」
カイラシュが自分の身を案じていることはサヴィトリにもわかっていたが、はやる気持ちを止められなかった。
何年も指輪をはずさず待ち続けたのだから、今更ひと月くらい――と思えど、納得できない幼い自分がどうしてもいる。
「賊の特定ができていない今、みだりな外出はお命に関わります。それに正直な話、特定できるとも思っておりません。証拠が少なく、また、心当たりが多すぎて特定できない、というのが現状です」
目蓋を伏せ、表情を見せずにカイラシュは言う。
サヴィトリが返す言葉を探しているうちに、更にカイラシュはこう続けた。
「失礼ながら申しあげます。認めようと認めなかろうと、サヴィトリ様がタイクーンの血筋である限り、どこにいても命は狙われ続けるものとお思いください」
「そんなのはわかっている! クベラに来る前だって、狙われたことは一度や二度の話じゃない!」
カイラシュが冷静であればあるほど、反作用的にサヴィトリは声を荒げてしまう。
「サヴィトリ様、どうかあなたがタイクーンの娘だと、次期タイクーンであるということをご公表ください。警護が強化でき、敵も今より数段手を出しにくくなります。そうすれば――」
「そうすれば? どこへ行くにもご大層な護衛を引き連れて歩けと言うのか! たとえ公表したとしても狙われていることには変わりない。それにいくら警護を増やそうと、二人の王子のように、突然死ぬことだってある」
「サヴィトリ!」
ジェイが非難の声をあげるのと、カイラシュの表情が今までに見たことがないほど険しくなったのはほとんど同時だった。
サヴィトリは顔を隠すように髪をかきあげる。
他人を思いやれない自分が嫌になったが、一度堰を切ってしまった流れは止められそうになかった。
「カイには本当に申し訳ないと思うけれど、もう一度はっきりと言っておく。私は、タイクーンを継ぐつもりはない。また、娘であることを公表するつもりもない」
サヴィトリは席を立ち、自分にあてがわれたカイラシュの私室へとむかう。
あんな啖呵を切っておきながら与えられた場所にむかうしかない自分に、少なからず苛立ちを感じた。




