4-5 ランクァ市街の変
そこはどう見ても郷土料理を振舞うような店ではなかった。いや、そもそも建物の中ですらない。
カイラシュの先導で建物と建物との間の細い道を進んでいくと、やや開けた路地裏に出た。行き止まりで、ゴミなどが散乱している。
表の通りの喧騒はまったく聞こえてこない。太陽が真上にあるにもかかわらず薄暗かった。
「ちょうど六ですね。きりがいい」
おもむろにカイラシュが言った。
なんのこと? とサヴィトリが尋ねるよりも先に、ヴィクラムがうなずいた。
「四、二でも構わない」
「下手に格好つけると怪我しますよ。まぁ、わたくしにとっては願ったり叶ったりですが」
「二人とも何言ってるんだ。お昼ご飯にするんじゃなかったのか?」
サヴィトリは眉間に皺を寄せ、二人の服の裾を引っ張った。
カイラシュは微笑み、サヴィトリの唇に立てた人差し指を押し当てる。
ヴィクラムはサヴィトリを壁際に追いやると、背にかばうようにして前に立った。
「躾の行き届いていないお客様方、街中で刃傷沙汰は御免なので、どうぞ遠慮せずにその薄汚いお姿を現しやがってください」
カイラシュの声が朗々と響く。
ほどなくして、小径から六人の男が現れた。それぞれ武器を帯び、皆同じ赤みを帯びた褐色の布で顔を隠している。
ただ一人、先頭に立つ男だけが顔を隠していない。はんぺんのように白くのっぺりとした印象の薄い顔で、抜身の剣を白昼堂々ぶらさげていた。
(こんなあからさまに怪しい奴らがつけてきてたのに全然気付かなかった……)
「初めましてサヴィトリさん。すでに予想はついていると思いますが、お命をいただきに参りました」
のっぺりとした地味顔の男は深々と頭をさげる。
「地味顔の三下ごときがサヴィトリ様に気安く呼びかけるな!」
すぐさまカイラシュが噛みつく。
「あのー、よくわからないお怒りのところ申し訳ないんですが、地味顔とか三下じゃなくて、一応こちらにもちゃんとした名前があるんですが」
「そんなものは聞く必要も記憶にとどめておく必要もありません」
カイラシュは目を細め、唇の端を大きく吊りあげる。
それが予備動作だった。
カイラシュが右手を真一文字に振るったのと、顔を隠した男達が短い悲鳴をあげたのとに、さして間はなかった。
更にカイラシュは左手をすくいあげるようにななめ上に振りあげ、地味男にむかって駆ける。
二回目の動作で、サヴィトリはようやく、カイラシュが髪の毛のように細い針を投げたのだとわかった。おそらく、朝、ヴィクラムにむかって放とうとしていた毒針だ。
「どっちの相手も嫌ですねえ」
毒針を剣の腹で弾いた地味男は、むかってくるカイラシュを牽制するように剣を前に突き出す。
カイラシュはそれを軽々と避けるが、徒手であるせいか、なかなか攻勢に転じない。
「あちらのほうが、優しいかもしれませんよ」
カイラシュは妖しげに微笑む。誰もが見惚れてしまうような媚笑。
一瞬、地味男の剣先が鈍った。
その隙を逃すカイラシュではない。
爪の先まで手入れの行き届いたしなやかな手で剣身をつかんだ。長い指が蜘蛛の脚のように絡みつく。普段耳にすることのない、おかしな音がした。指が接している部分を起点として細い線が生じる。
そこからは早かった。またたく間に線は放射線状に広がり、まるでガラスように鋼鉄の剣が砕け散る。
「悪くない物でしたが、気合がたりません」
カイラシュは見せつけるように手を払った。血が流れるどころか傷一つ負っていない。
「……気合とか精神論の問題ですか?」
地味男は苦笑し、半分の長さになった剣とカイラシュの顔とを交互に見る。
「ええ。たとえばそこにいるヴィクラム殿の刀はどうやっても折れません。それ以前に、触れようものならたちどころに斬られてしまいますが」
カイラシュは服の袖で口元を押さえ、楽しそうに笑った。だが、よく見ると目の奥は薄暗く、まったく笑ってはいない。
「残りは一人か」
背後から低い声がし、地味男はぎょっとした。のっぺりとした顔に汗が一筋流れる。
サヴィトリのいる場所からは見えないが、刀の切っ先が突きつけられているであろうことは容易に想像できた。
地味男以外の五人全員、無残に地面に這いつくばっている。息があるかどうかはわからない。
状況を理解した地味男は使い物にならなくなった剣を地面に投げ捨て、両手を顔の高さまであげる。
「末恐ろしい毒だな。刀を抜くまでもなかった」
ヴィクラムは地味男をはさんでカイラシュに話しかける。
「一子相伝は伊達ではありませんからね。神経毒に出血毒――ああ、ヴィクラム殿もいかがですか? 新しい世界の扉が開けるかもしれませんよ」
カイラシュは袖から手を出す。扇子の骨のように幾本もの黒い針が握られていた。
「その男はどうするんだ?」
ぼーっと見ている間に事が収束してしまい、サヴィトリは少しだけつまらなさそうに尋ねた。
カイラシュが駆けたのほぼ同時にヴィクラムも動き、一合もせずに次々と敵を打ち倒していった。毒針のおかげで相手の動きが鈍っていたとはいえ、容易にできることではない。
あまりに手際が鮮やかで、サヴィトリは演武でも見ているかのような錯覚に陥った。
自分も戦いには多少の心得があると思っていたが、二人と比べると赤子ですらないと身に染みる。
だが、それはそれこれはこれというやつで、ただ守られるのはサヴィトリの性格的に我慢ができない。
「すぐさま八つ裂きにして差しあげたいところではありますが、まずは首謀者を教えていただきましょうか。どこぞの雇われであることは間違いないと思いますがサヴィトリ様が何者であるのかご存じのようですし。地味顔とはいえ完全なる末端ではないのでしょう。さて、わたくしの質問に答えていただけますか? それとも八つ裂きにされたいですか?」
カイラシュは地味男の鼻先に黒針をちらつかせる。
「たとえ私からそれを聞き出して潰したところで、大樹の葉の一枚にすぎないと思いますけどねえ。国外勢力だけでなく、側近や身内にすら、存在するばすのないタイクーンの娘をうとましく思う輩がいるんですから」
「下郎が知ったような口をきくな!」
カイラシュの手が何かをこらえるようにぎゅっと強く握られ、色をなくす。
サヴィトリは自分のことにもかかわらず、ああやっぱりそうなんだ、ぐらいにしか思わなかった。
「じゃあもう喋りませんよ。……私の仕事はここまででいいんですよねえ、ニルニラさん」
「時間稼ぎ、ありがとうなのでございます」
声が聞こえてきたのは、ちょうどサヴィトリの背後。
サヴィトリが振り返った時には、雨が降っていた。
自分とニルニラを除く、まわりの風景すべてがモノクロームに塗りかわる。
何が起こったのか、起こっているのか、サヴィトリにはわからない。
「傘を差さないと、濡れてしまうのでございます」
ニルニラは傘をくるくるとまわした。
サヴィトリは取り合わず、努めて冷静に周囲の様子を窺う。
この場所にいるのは、自分とニルニラの二人だけだった。カイラシュもヴィクラムも、襲撃してきた者達の姿もない。
建物の隙間から見える灰色の空から、雨が降っている。
「素直に答えてくれるとは思わないが、一応尋ねておく。これは一体なんだ?」
「さぁ……なんなのかは、あたしにもわからないのでございます。おそらく術の一種だとは思うのですが、気付いたら使えるようになっていた、それだけでございます」
「私をからかっているのか?」
「いいえ。あんたさんとは長いお付き合いをしたくなくなったので、手っ取り早くケリをつけに来たのでございます」
「……一対一なら勝てる、そういうことか?」
「いいえ。もう負けでございます、サヴィトリ様」
少しだけ寂しそうにニルニラは笑った。




