4-4 契りの指輪
「――ねえ、そこのお嬢さん! お嬢さーん! アタシ好みの可愛らしい金髪のお嬢さーん! 赤い髪で長身のこわもてイケメンを引き連れたお嬢さーん!!」
個人を特定するような呼び声が聞こえ、サヴィトリはいやいやうしろを振り返った。
先ほどから何回か「お嬢さん」と呼びかける同じ声は聞こえていたが、それが自分だとはサヴィトリは思わなかった。
「あぁん、やぁっと気付いてくれた~」
振りむいた先にいたのは、二十代半ばぐらいの女だった。腰まである緩く波打つ銀髪とやや釣り目がちの瞳が印象的な美人だ。
だがそれ以上に、サヴィトリには彼女の服装が気になった。
(寒そう……ってこの人どこかで見たような?)
上着を着るほどではないが、長袖の手放せない気候であるにもかかわらず、彼女は胸のあたりを覆う布と、とギャザーのたっぷり入った丈の長いスカートしか身に着けていない。腹も腕も胸元もむき出した。動くとじゃらじゃら音がなりそうなほど大量の貴金属を蔓のように身に着けているが、それらが身体を冷やすことはあっても防寒にはなり得ない。
踊り子などの職業でなければ、ファッションセンスがかなり独特な人と言える。
「何かご用ですか?」
他人を見た目で判断してはいけないと思いつつ、サヴィトリはうろんな者でも見るような目をむけてしまう。それに、美人には一度、こっぴどく騙されている。
「やん、そんなに警戒しないで~。アタシはご覧のとおり、アクセサリーとかを専門に扱うただの行商ちゃん」
女は喋りに合わせて身体をくねくねと動かす。ねばっこい口調と相まってうっとうしい。
(どことなくカイと相通じるものがあるけど……女の人だよね)
重ね着をしていて体型のわからないカイラシュと違い、行商だという女は、胸の谷間を惜しげもなくさらしている。サヴィトリの倍はあるかもしれない。
サヴィトリはなんとなく、胸の前で両手を重ねた。
こっちこっち、と女に手招きについていくと、布を敷いただけの簡素な露店についた。
布の上には髪飾りからイヤリング、指輪、アンクレットまで様々な装飾品が無造作に置いてある。薔薇をモチーフとしたものが多かった。
「あんまり人気はないんだけどぉ、アタシ薔薇が好きなのよね~」
呟き、女は商品の一つを手に取る。その時、かかっていた髪が流れて肩が露出した。
赤い薔薇の刺青。女の白い肌によく映えている。
サヴィトリはなんとなく見てはいけないものを見てしまった気がしてどきりとした。さりげなく視線を商品の方に移す。
「っと、そうそう、何も押し売りしたくてお嬢さんのことを引き止めたわけじゃないのよ」
女は急にぽんと両手を打った。不思議そうに見返すサヴィトリの左手を取る。
「この指輪を、見せてほしいの」
女の長い爪が、サヴィトリの左手にはまった指輪を指し示した。
サヴィトリは反射的に腕を引っこめる。自分でも思いがけないほどその力は強かった。
「あっ! ……ごめんなさい」
「ううん、アタシのほうこそごめんなさいね。大切なものなんでしょう?」
女は気を悪くした風もなく、かえってサヴィトリを気遣うように言った。
サヴィトリは右手で指輪を隠すように押さえ、うなずく。大切でないわけがない。
年長者の余裕か、女は微笑ましそうにサヴィトリを見た。
「ねぇ、お嬢さんは西の方のご出身?」
「いえ、違いますけど……」
「お嬢さんのしてるその指輪ってね、西方で伝わる契りの指輪によく似ているのよ。だから、ちょっと気になってね」
「ちぎり?」
「平たく言うと婚約指輪、かしら。金と銀の指輪を子供同士が交換するのよ。『十年たっても二人の思いが変わらなければ、共に同じ道を歩きましょう』ってね。それで、結婚式の時に、お互いの指輪を交換するの。といっても、昔のイェル族の風習だけど。今も一応残ってはいるけれど、子供の約束だし、十年って長いから、たいていみんな心変わりしてしまうらしいわ」
(子供同士、じゃなかったから違うかな)
女の語りを聞きながら、サヴィトリは改めて銀の指輪を見つめる。
ナーレンダは西方のイェルステップという所の出身だった。クリシュナに師事するために故郷から出てきたと聞いたことがある。
でも本気で契りの指輪として渡したのであれば間違いなくロリコンだ。はっきりとした年齢は忘れてしまったが、少なくとも十歳は離れている。
「うふふ、男には気を付けなきゃダメよ」
意味深に微笑み、女はサヴィトリの肩を軽く叩いた。
サヴィトリは首をかしげ、とりあえず今一番身近にいる男――ヴィクラムの方を見る。
装飾品にまったく興味がないらしく、ヴィクラムは腕組みをしてただサヴィトリの近くに立っていた。時折、通りかかった女性が熱い視線をヴィクラムに送るが、気が付かないのかまったく表情を動かさない。口を引き結び、近寄りがたい仏頂面でどこか一点を見つめている。
「サヴィトリ様あああああああああああああああああああああああああああああっ!」
突然、どこからか地鳴りのような叫びが聞こえてきた。
サヴィトリは全力で逃げ出したかったが、この世界のどこにも、かの者の追跡から逃れられる場所などありそうもなかった。とりあえず、ヴィクラムを盾にして隠れておく。
「おい」
「色々無理」
ヴィクラムは不機嫌そうににらみつけてきたが、サヴィトリは無視してヴィクラムの広い背中をぐいぐい押した。
「貴様っ! わたくしが鉄拳制裁を受けて恍惚としている間にサヴィトリ様を拉致するなど言語道断即極刑!」
砂埃が舞いあがるほどのスピードで駆けてきたカイラシュは、そのままの勢いでヴィクラムにつかみかかった。
尋常ならざる様子に、往来からはさっと人が消え、露店を開いていた商人も大急ぎで店をたたみ始める。踊り子のような格好のアクセサリー売りの女も、騒ぎに巻きこまれまいと逃げ出していた。
(……逃げるタイミング逃した)
サヴィトリは舌打ちを禁じ得ない。逃げる人々にまぎれてしまうべきだった。
「俺はこいつに引っ張られただけだ」
ヴィクラムは首をさすり、自分の背中に隠れる主犯を親指でさす。
「『こいつ』じゃなくて『このお方』です! 無礼者が! 恥を知りやがれでございます!」
丁寧なのか乱暴なのかよくわからないカイラシュの口調に、流石のヴィクラムも嘆息せずにいられないようだ。
「……殿下、補佐官殿を叩きのめしてあげてください」
「断る」
サヴィトリはヴィクラムの切羽詰まった囁きを即座に却下した。
とはいえ、このままでは埒があかないのでサヴィトリは説得を試みる。
「カイ、そろそろお昼じゃないか? せっかくだから何かクベラの郷土料理が食べたいんだけど」
「ちょうど近くになじみの店があるので、この下郎を簀巻きにして川に流したら二人で行きましょう、サヴィトリ様」
「いや、食事はみんなで食べたほうが美味しいと思うよ」
「この野郎の顔を拝みながら食べたらどんな料理も無味無臭です。二度と浮かびあがらぬようにおもりも付けて沈めましょう」
「だからそういうのは……」
「アースラ家当主の威信にかけて、迅速かつ証拠が残らないよう抜かりなく遂行いたしますので、どうぞサヴィトリ様は少し離れたところで――」
「ぐだぐだ言わずにさっさと案内しろカイラシュ!」
途中で面倒くさくなったサヴィトリは、たまらず声高に命じた。慌てて手で口元を押さえるが、言葉はすでに放たれてしまっている。
「はい、サヴィトリ様」
カイラシュは少女のように頬を赤く染め、謙虚にうなずいた。
サヴィトリは頭を抱える。色々ともう駄目だ。
腹いせに、忍び笑いをしているヴィクラムの鳩尾に拳を叩きこんでおいた。




