4-2 麗人の正体
執務室の扉が四度叩かれた。
カイラシュがどうぞ、と扉にむかって声をかける。
失礼いたします、という返事があってから扉が開かれた。
執務室に置いてあるソファに座り、カイラシュの仕事が終わるのを眺めていたサヴィトリは、暇潰しになるかと扉の方に目をむけた。
入ってきたのは、赤い髪をした長身の男――ヴィクラムだった。サヴィトリは思わず顔を引きつらせる。
ヴィクラムはサヴィトリの様子など気にもとめず、深々と一礼をした。
「羅刹三番隊が筆頭ヴィクラム・キリーク、本日よりサヴィトリ殿下護衛の任を拝命いたしました」
ヴィクラムの言葉を聞き、更にサヴィトリの顔は引きつった。
カイラシュの様子を窺ってみると、彼女も初耳だったらしく、驚きを隠せないでいる。
「一歩出遅れた左の方の差し金ですか。まったくいやらしいことを」
カイラシュはあさっての方をむき、わざと聞こえるように呟いた。
「俺だとて好き好んで来たわけではない」
感情なくヴィクラムは言う。
サヴィトリが立ちあがって挨拶でもするべきかどうか迷っているうちに、ヴィクラムのほうがそばにやってきた。床に膝をつき、恭しく頭を垂れる。
「城の内外を問わず、外出なさる時は私をお連れください」
ヴィクラムの言葉はマニュアルでも読みあげたように事務的だった。
はぁ、とサヴィトリはあいまいにうなずく。
正直に言えば御免こうむりたかった。カイラシュに付け加えて、ヴィクラムまで引き連れて歩けば目立たないわけがない。サヴィトリがアースラ家の傍流の令嬢という設定だとしても、本家の当主と名門の嫡男とが護衛ではあまりに豪華すぎる。
「まさか本当に殿下だとはな」
膝をついた体勢のまま、ヴィクラムは呆れたように息をついた。
「お前のせいで、まだここが痛む」
ヴィクラムは口の端をわずかに持ちあげると、自分の額を指差した。
最初サヴィトリにはなんのことを言っているのかわからなかった。だが数秒経過してから、出会った時、言葉の代わりに頭突きを食らわしたことを思い出す。
(意外と根に持つタイプだな)
同じ場所に更に拳を叩きこんで再起不能にしてやろうか、という物騒な考えがサヴィトリの頭の中によぎったがもちろん実行はしなかった。
というより、実行の可否を決定する前に、サヴィトリとヴィクラムとの間にカイラシュが割って入ってきた。
「控えなさい。サヴィトリ様に対し無礼ではありませんか」
敵意をむき出しにしてカイラシュは叱責する。
よほどヴィクラムのことが嫌いなのかな、とサヴィトリは思う。城門で会った時も、ヴィクラムに対して特別厳しかったような覚えがある。
「申し訳ありません。改めます」
ヴィクラムはすぐさま頭をさげた。
「いや、今のままで構わない。他人に敬語を使われるのはどうしても慣れないし」
かばうつもりはなかったが、サヴィトリは思わず口を出してしまった。
護衛としてついて来られるだけでもご遠慮願いたいのに、更に敬うように話されては居心地が悪すぎる。
「……と、殿下は仰っているが。補佐官殿?」
ヴィクラムは目だけを動かし、カイラシュの判断をうながす。
ぴくり、とカイラシュの頬が引きつるのを、サヴィトリははっきりと見た。
「黙れ下郎」
腹の奥底の暗い部分から湧きあがってきたかのように低い声だった。
サヴィトリは発信源を二度見する。「黙れ下郎」は間違いなくカイラシュがヴィクラムにむけて投げつけた言葉だった。
「そもそも貴様のようなろくでもない色街狂いがサヴィトリ様のようなやんごとないお方のそばにいること自体許せないというのに……! のっけから許可もなくサヴィトリ様に近寄るわ不躾に話しやがるわ、不届きにもほどがあるというもの! 腰にぶらさげている刀が偽物でないなら、今すぐもののふらしく腹を切れ貴様!」
サヴィトリはまだ夢を見続けているのだと思った。夢でなければ、自分に優しく接してくれたあのカイラシュが、ヴィクラムにむかってまわし蹴りを放つはずがない。
(いや、ニルニラの時も、『死にますか? それとも死にますか?』って怖いこと言ってたっけ……)
「補佐官殿の言い分はともかく、殿下の御前でこれはどうかと思うが」
容赦なく頭部を狙う鋭い蹴りを、ヴィクラムは表情を動かさずに肘から上の部分で受け止める。逆にカイラシュの蹴り足をつかんで投げようとするが、手を離して後方に飛んだ。一瞬遅れて、蹴りが空を切る。カイラシュは近くにあったテーブルを支えとして、逆の足で二段目の蹴りを放っていた。
ヴィクラムは体勢を低くし、腰の刀に手をかけた。表情は先ほどから毛筋一本ほども変わっていないが、周囲には相手を底冷えさせるような殺気が漂っている。
「やめないか二人とも!」
このままでは刃傷沙汰にまで及ぶので、サヴィトリは急いで二人の間に割りこんだ。
ヴィクラムは刀から手を離したが、カイラシュは臨戦態勢をといていない。
「こいつ、昔からいけ好かなくて嫌いなんです」
「……だそうだ」
一連の流れと今の発言とを含めて察するに、カイラシュが一方的にヴィクラムのことを毛嫌いしているらしい。
カイラシュの意見に同意できる部分も多少はあるがいくらなんでもやりすぎた。喧嘩の域を超えている。出会いがしらに頭突きをした自分も他人のことを言える立場ではないが。
「理由はともかく、丸腰の女相手に刀を持ち出すことはないだろう!」
「飛針ならいいのか」
間髪入れずにヴィクラムが反論した。カイラシュを指でさし示す。
よくよく見てみると、カイラシュの指と指との間に髪の毛ほどの細さの黒い何かがはさまれていた。
「これは飛針ではありません。毒針です」
カイラシュは微笑んで訂正する。
(やっぱりこの人怖い)
サヴィトリは早くも城に滞在すると決めたことを後悔した。
「それに、女ではない」
「いやなんていうかもう男女どうこうより、大した原因があったわけでもないのに刀とか飛針とか毒針持ち出すとかちょっと頭おかしい……?」
ヴィクラムの短く明瞭な発言に、サヴィトリは意味を理解するよりも先に首をひねった。
――女ではない?
「そんなのはわかっている。お前はどう見ても男だ」
サヴィトリがむっとして言うと、ヴィクラムは無言で先ほどと同じ人物を指を差した。指が差し示す先には、嫣然と微笑むカイラシュがいる。
サヴィトリは回答を求めるようにヴィクラムを見たが、ヴィクラムは無言でカイラシュを指差し続ける。
サヴィトリはほとんど直角に近いぐらい首をかたむけた。
多少身長が高かったり多少力が強かったりするが、まっすぐ見ても首をかたむけて見ても、カイラシュは女にしか見えない。しかも同性目線であっても、かけ値なしの美女に。
「……カイって、女? 男?」
サヴィトリはおそるおそる尋ねる。
カイラシュは安心させるように優しく微笑んだ。
「生まれ落ちた時からずっと男です、サヴィトリ様」
ぷつり、とサヴィトリの思考が途切れる。比喩でなく、目の前が真っ白になった。
仮にカイラシュが男であるなら、昨日から今日の朝にかけてまでの色々な出来事の意味合いが百八十度変わってくる。
「なんだったら証拠をご覧になりますか?」
カイラシュはこの上なく楽しそうに笑い、大胆に長衣の裾をめくりあげようとする。
「なんで下を脱ごうとするんだ、下を!」
まだショックから立ち直りきれていないが、サヴィトリは怒鳴りつけてカイラシュを止めた。
「このほうが手っ取り早いじゃありませんか。それに、サヴィトリ様になら見られても構いませんよ」
発言の内容は別として、口元に手を当てて意地悪く微笑む姿はどうみても女にしか見えなかった。かといって証拠を見せてもらう気にもなれない。
「もうすでに気付いているかもしれないが、こいつは変態だ。気を付けろ」
ヴィクラムがさりげなく忠告する。
カイラシュはそれを耳ざとく聞きつけた。
「風俗狂いのド腐れに言われる筋合いはありませんね。この風体は相手を油断させるためという補佐官の伝統的なものであり、私個人の趣味ではございません。サヴィトリ様に近づく野郎は全員くたばれ、と思っているくらいですからいたってノーマルです」
(変態以前にあきらかに危険思想の持ち主なんだけど)
サヴィトリはさりげなくカイラシュから距離をとった。
「さあサヴィトリ様、こんな口数が少なくて面白味のないでくのぼうは放っておいて城下に出かけましょう、ね」
今までのことなどすべてなかったように、カイラシュは晴れ晴れしい笑顔を浮かべて提案した。だんだんと素が出てきたのか、さりげなく徹底的にヴィクラムをこき下ろすのも忘れない。
「……その前に、ちょっとだけいいかな?」
サヴィトリは努めてにこやかに言った。意を決するように右の拳を握りしめる。
出かける前に、どうしても解決しておかなければいけない問題があった。
「ちょっとと言わず、いくらでも構いませんよサヴィトリ様」
「なら――」
サヴィトリは胸の前で、拳を手のひらに打ちつけた。
――色々気がすむまで殴らせて。




