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31 エピローグ

 二人の結婚式が行われたのは、それから約半年後のことだった。

 王族や公爵家が参列するということもあり、当初予定していたものよりもずいぶんと大がかりな挙式になってしまったが、ブリアナはそれも仕方ないかと苦笑した。

 これが侯爵家に嫁ぐということだ。


「マ――おかあさま、とってもきれいだったね!」


 長い一日をなんとか乗り越え、侯爵家でなく伯爵家(アシェル)(やしき)に戻ってきたシャーロットは、手を広げてその凄さを表現した。

 興奮しているのか、馬車の中からずっとこの調子である。


「ありがとう、ロッテ」

「ロッテも可愛かったよ」


 頬を緩ませたまま、アシェルが足に纏わりつくシャーロットの頭を撫でる。

 会場でも――誓いの言葉を口にする時でさえ、なんだかふにゃふにゃしていたので、ブリアナのほうが気を引き締めねばならなかった。


(……今にも溶けてしまいそうだわ)


 ある意味、似た者同士の父子(おやこ)

 ドレス姿のブリアナを見た瞬間から、この二人はずっと「綺麗だ」「可愛い」と繰り返している。


「これが僕の奥さん……? 本当に?」

「これがわたしのおかあさま!? ほんとうに!?」

「……そこは疑うところじゃないでしょう」


 褒められて悪い気はしない。しないが、少しだけどうしていいかわからなくなる。


「ねえ、おかあさま。今日もおひめさまのおはなし……」


 ()()()()()を口走りかけたシャーロットを、どこからともなく現れた乳母が連れ去っていく。「ほほほ!」と愛想笑いを浮かべて。

 気を使ってくれたつもりだろうが、逆に気まずくなってしまった。

 実は、帰国して一度も床を共にしていないのだ。籍を入れて名実ともに夫婦にはなっているが、それだけだった。


「あー……」


 アシェルが苦笑した。


「とりあえず……横になろうか」


 両手を軽く持ち上げて、自らの潔白を証明するように。


「え、ええ」


 ブリアナもぎこちなく頷く。

 帰宅してすぐ、待ち構えていた侍女たちに全身磨かれているので、準備は万端なのだが――今まで一度もそんな雰囲気になったことはなかった。

 加えて、ブリアナもアシェルも極端に異性経験が少ない。というより、お互いだけである。


「……あの」


 ベッドの縁に腰かけるアシェルの前に立ち、ブリアナは翡翠色の瞳を見下ろした。

 アシェルの口元が緊張したように痙攣する。


「……しないの?」


 そう言うのが、最大限勇気を振り絞った結果だった。

 アシェルが驚いたように息を呑み、しかしすぐ、ゆるゆると首を振る。


「――しないよ」


 言いながら、ブリアナの手を掬い上げる。「どうして?」と目でものを言うブリアナに、アシェルは苦笑した。


「状況的に仕方なく……ほとんど情けのようなもので結婚してもらったとわかってる。僕はそれでとてもうれしかったけど、君にとっては違うだろう。シャーロットのためにというのが大きかったはずだ。僕は家族でいてくれるだけで十分満足なんだよ。だから、無理にそんなことをする必要は――」

「愛しているわ」


 アシェルの言葉に被せるようにして、ブリアナが言い放った。

 薄暗い中でもよく映える深緑の瞳が大きく見開かれる。


「え、あ……」


 絞り出された声が不安定に揺れていた。


「確かに最初はそんな気持ちが大きかったかもしれない。ロッテのためにとずっと考えてきたから。でも、今はそれだけじゃない」


 重ねられた手を握り返す。


「愛しているの、あなたを」


 宝石のような瞳から、透明な雫が零れ落ちた。それが頬に筋を作り、顎を伝って手の甲に落ちる。

 アシェルは一度口元を戦慄(わなな)かせ、しかし何を言葉にすることもできず、震えた息を吐き出した。


「……わたしをあなたの妻にしてくれる?」


 わずかに緊張を孕んだ声が闇に溶けていく。静謐な夜に、二人の浅い息遣いだけが響いていた。


「……僕で、いいの?」

「あなたがいいの」


 見つめ合ったまま、二人はしばらく動けずにいた。


 ――あの時。

 もう二度と、二人の人生が重なり合うことはないのだと思っていた。

 大事だと思うほどうまくできなくて、相手を傷付けた。


 捜そう。いや、もう生きてすらいないんじゃないか? ううん、そんなわけはない。彼女は賢い人だから、どうにか生き延びているに違いない。たとえそうでも、もう会うことはできないのでは? 会ったところで、どう償えというんだ。


 そうやって過ごした六年だった。


 それなのに今、目の前にいる。自分を愛していると言ってくれた。

 こんな幸運があっていいのだろうか。


「あなただけがいい」


 ふと、視界が翳る。

 気がつけば、伏せられた長い睫毛が目前に迫っていた。


 キスをされているのだ――。


 そう理解した瞬間、艶のある髪の毛に手を通し、後頭部を引き寄せていた。

 それはほんの数秒のことだったが、ブリアナの温度が伝わってくる。

 唇を離し、アシェルが苦笑した。


「はは、最後まで格好つかないな」


 柔らかく手を引いて、妻をベッドの上に誘導する。

 華奢な体をゆっくり押し倒していくと、手入れが行き届いた黒髪がさらさらとシーツの上に落ちた。


「僕も……君だけがいい。ずっと、そうだった」


 二人の長い夜は、今始まったばかりだ。

作者の桜木です。

本作を手に取っていただき、ありがとうございました。

中編予定でしたが、文字数的に長編になってしまい……長く、未熟な点も多々あったかとは思いますが、最後までお付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございました。


やや説明的な文章が多かったかと思うので、そこは反省するところでした。

次作に活かしたいと思います。


ストックを作って、できるだけ早い段階で次作を公開+既存の作品の更新再開ができればと思っていますので、ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。

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