97 ミナ・ハイマン
ココット村方面から折り返し、王都の方へ避難して、三日目。
深夜の書斎にこもりつつ、書類の整理を終えたところ。
パパとママへの親孝行代わりに、商会の仕事を片付けていたら、突然目の前に何かを差し出された。
「お嬢様。お茶をお持ちいたしました」
どうやら、部屋の扉が開く音を聞き逃してしまったらしい。
簡易的なティーセットがテーブルに置かれて、私は現実に引き戻される。
「ありがとうミモレ。でも、お嬢様はやめて頂戴」
「私にとってミナお嬢様は、いつまでもお嬢様ですよ」
ありがたいようなそうでもないような、そんな言葉で微妙な感情を抱いたら、ミモレに微笑み返されてしまった。
私は随分離れていたのに、あなたはいつまでも変わらないわね。
「それと……お客様をお連れしています」
「お客様? こんな時間に?」
商会のみんなにはあらかた挨拶を終えたはずだけど、一体どなただろう。
第一、もうずいぶん夜も更けているのに……
なんて思っていたら、部屋の縁から若草色が覗いて、合点がいった。
「リーラント」
「こんな遅くにすまないの」
最近はよく顔を合わせていたはずなのに、随分と久しぶりに思えてしまうのは、やっぱりあんなことがあった後だからだろうか。
それとも今の彼女が「本体」であるからだろうか。
若草色のドレスはいつもよりも豪華で、彼女の体は私と同じくらいの背丈をもっていた。
「歓迎するわ。さあ、座って」
「よい、大丈夫じゃ。すぐに済む用じゃからな」
私の書斎にはまともな椅子が一つしかないから、自分のを差し出そうとしたところで止められる。
すぐに済む用事というと……なにかしら。
彼女が直接何かを伝えに来るなんて、よっぽどのことに思えるけど……
「ダイアーから、ノエルの件について話があるそうじゃ」
「……! わかったわ」
確かにそれは一大事ね。
というか本来なら……そう。
商会の仕事に手を付けるよりも早く、触れておくべき話題だった。
「ミモレ、悪いけど……」
「こんなこともあろうかと、既に馬車を用意しております」
まあ、なんてこと。
「あなたは昔からそうだけど、本当に仕事が早いわね」
「勿体無いお言葉です」
◇◆◇◆◇
ココット村に戻った私は、ダイアーにそれを手渡された。
それは、私とダイアーに宛てられた……遺書と言って差し支えない文書。
彼女の心の内が綴られた、一枚の手紙だった。
「……目は通せたかい?」
ダイアーの声は聞こえているはずなのに、返事を返せない。
ショックだった。
彼女が遺書を残してしまうほど、思いつめていたということが。
彼女が内にそんな思いを秘めて、日々を過ごしていたということが。
自分がしてきた振る舞いの罪深さに、今この瞬間まで気づけなかったことが。
「……ごめんなさい。私……どうしたらいいのか」
「大丈夫。僕はただ、知ってほしかっただけなんだ」
「そうじゃな。知らずに日々を過ごすより、こちらの方が良いじゃろうて」
二人の言うことはもっともだし、何か否定するつもりもない。
間違っているのは私の方で、本来なら強くふるまわないといけないとわかっている。
それでも彼女の強い思いに触れて、動揺せずにはいられなかった。
「彼女は今……船に居るのよね」
「ノエルのことなら、そうじゃな」
「…………」
わからない。私はどうすればいいのだろう。
一体どうやって彼女に……何をしてあげればいいのだろう。
私は彼女の存在を……どう受け止めればいいのだろう。
「彼女は……」
「ミナ」
私がまた何かぼやこうとしたところで、ダイアーに声をかけられた。
見てみれば、彼は酷く真っ直ぐな目で、私のことを見据えている。
「どうか、彼女ではなく、ノエルと呼んであげてくれないか」
言われて気付いた。
私はいつからか、ノエルのことをノエルと呼ばなくなっていた。
彼女は紛れもなく、私たちの娘であるはずなのに。
「ノエル……」
いつだったか、自分の口から出た言葉が、今になって帰ってくる。
『たかが前世の記憶があるだけで、自分は私たちの娘でないと思う、その浅はかな勘違いをさっさと捨てなさい』
長女にはそんな言葉を吐いておいて、次女を忌避の目で見ていたということに今更になって気づいた。
「私は、どうすれば……」
どうすれば償える。どうすれば許される。
そんな言葉はどちらも違うように思えてしまって、言葉に詰まる。
ノエルの母親として、やらなきゃいけないのはそんなことじゃないはずだ。
「まずはノエルに謝らないと」
私はまだ、ノエルと一言も話せていない。
彼女を忌避の目で見ていた私は、まだ母親にすらなれていない。
だったらまず、彼女と話さなければいけない。
「手紙を……今すぐ書かないと」
私の言葉を、彼女に伝えなければいけない。
それで彼女に返事をもらわなきゃ、今の私には何かを始める資格すらない。
例え一方通行だとしても、まず私から言わないと……
「ふむ、その必要はなさそうじゃぞ」
思考の海に浸りそうになって、リーラントに引き上げられる。
手紙を書く必要はない……それって、一体……?
「ミナ。落ち着いて聞いてほしいんだけど」
リーラントの言葉に続いて、ダイアーはそう前置きしてから、口を開いた。
「ノエルたちと、直接話せる方法があるんだ」




