「時代遅れの魔女」と工房を追い出されましたが、私が染めていたのは『王家の青』です。 〜効率重視で機械化した元工房が、色が定着せずに悲鳴を上げているようですが、もう私の知ったことではありません〜
「エルナ。今日をもってお前はクビだ」
王都の一角に店を構える、老舗の染色工房『アズール』。
その作業場で、新しい工房主となったガルドが、私に冷酷な宣告を突きつけました。
ガルドは先代の親方の一人息子ですが、染色技術はありません。あるのは商才と、新しいもの好きの性格だけ。
彼は作業台の上に置かれた私の道具――手作業ですり潰した染料や、煮沸用の鍋――を、汚いものでも見るかのように見下ろしました。
「理由はわかっているな? お前のやり方は『時代遅れ』なんだよ」
彼は鼻で笑い、背後に控えていた巨大な魔導機械を指差しました。
それは、最近導入されたばかりの『自動染色機』です。
「見ろ、この最新鋭のマシンを! 魔石をセットするだけで、お前が三日かけて染める布を、たった一時間で染め上げる! しかもムラなく、均一にな!」
「……ですがガルド様。この機械の染料は、化学合成されたものです。それでは『深み』が出ません。それに、植物への感謝がなければ、色は定着しません」
私が静かに反論すると、ガルドは苛立たしげに舌打ちをしました。
「出たよ、そのオカルトじみた精神論。『植物への感謝』? 『色の声を聞く』? 気味が悪いんだよ! だからお前は陰で『魔女』なんて呼ばれてるんだ!」
魔女。
それは、植物や素材と対話しながら染め上げる私の姿を、気味悪がった職人たちがつけた蔑称です。
私はただ、素材の命をいただいて色にすることに、誠実でありたかっただけなのですが。
「うちはこれから、大量生産・大量販売の路線に切り替える。お前のような、一枚の布に一ヶ月もかけるような採算の合わない職人は不要だ」
ガルドは私の手から、作りかけの染料を取り上げ、床にぶちまけました。
青い液体が、コンクリートの床にシミを作ります。
それは、来月の王太子殿下の成人の儀に使われる予定だった、特別な『青』の染料でした。
「あっ……!」
「出て行け。退職金代わりだ、その薄汚い道具は持って行っていいぞ」
周囲の若い職人たちも、ニヤニヤと私を見ています。彼らは機械化によって楽ができることを歓迎しているのです。
誰も、私の仕事を理解してはくれませんでした。
私は震える手で、床に散らばった道具を拾い集めました。
怒りよりも、悲しみが勝っていました。
この工房は、先代親方が「魂を込めた色を作れ」と教えてくれた大切な場所だったのに。
「……わかりました。お暇いたします」
私は静かに頭を下げ、工房を後にしました。
背後で、ガルドの高笑いと、無機質な機械の駆動音が響いていました。
◇
工房を追い出された私は、王都を離れ、森の奥にある小さな廃屋に移り住みました。
そこはかつて、私の祖母が暮らしていた場所でした。
水道も魔導ランプもない不便な暮らしですが、ここには豊かな自然があります。
私は、庭に染料となる藍や紅花を植え、近くの小川で布を晒し、ひっそりと染色の仕事を続けました。 誰に売るわけでもありません。ただ、手が、心が、染めることを求めていたのです。
「今日はいい天気ね。……藍さん、少し葉をいただくわね」
朝露に濡れた藍の葉に話しかけ、感謝を込めて摘み取ります。
丁寧に発酵させ、染液を作り、何度も布を浸しては空気に晒す。
機械なら一瞬で終わる作業を、何日もかけて繰り返します。
そうして出来上がった『青』は、空の色でもあり、海の色でもあり、夜の静寂の色でもありました。
深く、優しく、見る者の心を吸い込むような青。
「綺麗……」
私は完成した布を風になびかせ、一人満足げに微笑みました。
誰に見せるわけでもないけれど、自分が納得できる仕事ができれば、それで幸せでした。
そんなある日のことです。
森の小道を、一台の豪奢な馬車が通りかかりました。
道に迷ったのでしょうか。馬車が私の家の前で止まり、中から一人の老紳士が降りてきました。
「おや、こんな森の奥に人が住んでいるとは。……む?」
老紳士は、庭に干されていた私の布を見て、目を見開きました。
そして、震える手で布に触れます。
「こ、これは……なんという……!」
「あ、あの。触らないでいただけますか? まだ乾ききっていないので」
私が声をかけると、老紳士はハッとして振り返りました。
身なりは良いですが、その目は驚愕と感動に揺れています。
「失礼した。私は王宮で衣装係を務めている者だが……この布は、あなたが染めたのですか?」
「はい、そうですが」
「素晴らしい……! これほど深く、澄んだ『青』は見たことがない! まるで宝石を溶かしたようだ!」
老紳士は興奮気味に私の手を取りました。
「頼む! この布を譲ってくれないか!? いや、貴女に衣装の染色を依頼したい!」
「えっ? でも私は、無名の職人ですし、工房も追い出された身で……」
「関係ない! 本物は、見ればわかる!」
その老紳士の熱意に押され、私は久しぶりに「仕事」を受けることになりました。
それは、ある貴婦人のためのドレスの染色でした。
◇
一方、その頃。
私を追い出した『アズール工房』は、我が世の春を謳歌していました。
「見ろ! この生産効率を! 過去最高の利益だ!」
ガルドは帳簿を見て笑いが止まりませんでした。
機械化によってコストは下がり、生産量は十倍に。安価で均一な製品は市場に溢れ、飛ぶように売れました。
そして何より、最大の仕事が舞い込んでいました。
王太子殿下の「成人の儀」で着用される、正装の染色です。
この国では、王族の正装には伝統的に『王家の青』と呼ばれる特別な色が使われます。それは代々、アズール工房が納めてきたものでした。
「先代のような面倒な工程は必要ない。機械に最高級の化学染料をぶち込んで、一気に染め上げろ!」
ガルドの指示で、機械が唸りを上げます。
出来上がったのは、目が覚めるような鮮やかな青い布でした。
均一で、艶があり、一見すれば完璧な仕上がりです。
「完璧だ! これぞ『王家の青』! エルナの染めた古臭い色など比較にならん!」
ガルドは自信満々で王宮に納品しました。
しかし、彼らは忘れていました。
なぜ、先代たちが手間暇をかけて手作業にこだわっていたのかを。
そして、『王家の青』が、ただの色ではなく、魔力を帯びた「守護の色」であることを。
◇
成人の儀の当日。
王都は祝賀ムードに包まれていました。
大聖堂には王族や高位貴族が集まり、王太子殿下の晴れ姿を一目見ようと待ち構えていました。
私も、先日出会った老紳士――実は王宮の筆頭衣装係だったのですが――に招待され、会場の隅で様子を見守っていました。
ファンファーレが鳴り響き、王太子殿下が入場されます。
ガルドが納品した布で作られた、鮮やかな青いマントを羽織って。
「おお、美しい……」
「あのアズール工房の仕事だそうだ」
人々が感嘆の声を漏らします。
招待席にいるガルドは、鼻高々に胸を張っていました。
しかし。
儀式が進み、大聖堂のステンドグラスから強い日差しが差し込んだ、その時です。
ザワ……ザワザワ……。
会場の空気が変わりました。
王太子殿下のマントが、おかしいのです。
さっきまで鮮やかだった青色が、太陽の光を浴びた途端、みるみると退色し始めたのです。
青から紫へ、そして薄汚れた灰色へと。まるで、魔法が解けたかのように。
「な、なんだこれは!?」
「殿下のマントが、色褪せていくぞ!?」
「不吉だ! 成人の儀で色が抜けるなど!」
会場はパニックに陥りました。
王太子殿下も顔面蒼白になり、自分のマントを見つめています。
――化学染料の限界です。
私は心の中で呟きました。
機械で無理やり定着させた色は、表面に乗っているだけ。強い魔力や、聖なる光(ステンドグラスを通した光など)を浴びると、化学変化を起こして崩壊してしまうのです。
先代親方が「植物の命を借りて、繊維の芯まで染め抜く」ことにこだわっていたのは、このためでした。
「ど、どういうことだ! アズール工房の主はどこだ!」
国王陛下の怒号が響きます。
ガルドは真っ青になり、震えながら進み出ました。
「へ、陛下! ち、違います! 私のせいでは! 機械は完璧だったはずで……!」
「機械だと!? 伝統ある『王家の青』を、機械任せにしたというのか!?」
「そ、それは……効率化のために……」
その時、さらに追い打ちをかけるような出来事が起きました。
マントから、ツンとする異臭が漂い始めたのです。
安物の化学薬品が熱で気化した匂いです。
「臭い! なんだこの薬品臭は!」
「気分が悪くなってきたわ……」
貴族たちが鼻を押さえます。
神聖な儀式は、台無しでした。
ガルドは腰を抜かし、その場に崩れ落ちました。
「もうよい! この者を捕らえよ! 王家を愚弄した罪は重いぞ!」
衛兵たちがガルドを取り押さえます。
彼は「嘘だ、嘘だぁぁ!」と叫びながら引きずられていきました。
会場が騒然とする中、王妃様が立ち上がりました。
彼女は、凛とした声で言いました。
「静まりなさい。……式は続けます。私のドレスをご覧になって」
王妃様が羽織っていたショール。それは、深い、深い青色をしていました。
太陽の光を浴びて、それは退色するどころか、内側から発光するように輝きを増しました。
まるで、夜空そのものを切り取ったかのような、神秘的な青。
それは、私が森の小屋で染め上げ、あの老紳士に託した布でした。
「わぁ……綺麗……」
「あれこそ、本物の『王家の青』だわ!」
人々の視線が、王妃様に釘付けになります。
その美しさに、会場の混乱は静まり、代わりに感動の溜息が漏れました。
「この布は、ある職人が心を込めて染めてくれたものです。機械にも、効率にも頼らず、ただひたすらに誠実に、色と向き合った証です」
王妃様は、会場の隅にいた私を見つけ、優しく微笑みかけました。
「エルナ。こちらへ」
私は驚きながらも、王妃様の御前に進み出ました。
王妃様は私の手を取り、皆に向かって宣言しました。
「これより、王家御用達の職人は、アズール工房ではなく、このエルナに任せます。彼女こそが、真の『王家の青』を継ぐ者です」
割れんばかりの拍手が、大聖堂に響き渡りました。
私は涙をこらえながら、深く頭を下げました。
◇
その後、アズール工房は信用を失い、倒産しました。
ガルドは王家への不敬罪と詐欺罪で投獄され、莫大な賠償金を背負うことになったそうです。
機械化を推進した職人たちも職を失い、路頭に迷いました。
一方、私は王妃様の支援を受け、森の工房を少しだけ大きくしました。大きくといっても、機械は入れません。
相変わらず、手作業で、植物の声を聞きながら、一枚一枚丁寧に染めるだけです。
「エルナ、今日の染め上がりはどうだい?」
工房を訪ねてきたのは、あの老紳士――筆頭衣装係のハンスさんです。 彼は私の仕事の良き理解者となり、営業や納品を手伝ってくれています。
「ええ、とても良い色が出ました。今日は風が気持ちよかったので、布も喜んでいます」
「ふふ、君らしいな。……その布で作るドレスは、きっと着る人を幸せにするだろう」
効率を求めることは悪いことではありません。
けれど、効率のために「心」を切り捨ててしまえば、それはただの「製品」に成り下がります。
私は、作品を作りたい。
誰かの心に寄り添い、長く愛される色を、これからも作り続けたい。
藍の香りが漂う庭で、私は今日も布を広げます。
空の青と、私の染めた青が溶け合うその瞬間が、何よりも愛おしいのです。
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