アメリア王妃の企み
「そうか。いかにもあの女が考え付きそうなことだな」
翌朝。話を聞いたカイン・メリウェザーは苦々しげに吐き捨てた。
「アーネスト殿下との復縁を申し出られるのは予想していましたが、私に新たな縁談を、というのは予想外だったので驚きました。……王妃さまは何を考えておられるのでしょう」
「一番の目的は、王家にとっては『逃した魚』であるビアトリス・ウォルトンの価値を貶めることだろうな。君が将来相応の相手に嫁いで、社交界でもてはやされるようにでもなれば、君に振られた形の王家にとっては非常に目障りな存在になる。だから一見条件は良さそうでも、内実は何か問題がある相手、例えば家格は高くても裏で借金を抱えていたり、女癖が悪かったり、とにかくそういう男を素知らぬふりで紹介して、君に不幸な結婚をさせるつもりだったんだろう。『王家との婚約を解消したせいで、今はあんな悲惨なことになっているよ』、と物笑いの種になってくれれば都合がいい。ついでに相手の男が、あの女がコントロールできる人間なら、そいつを通じて君を支配下におけるから申し分ない」
「王妃さまがコントロールできる人間、ですか」
「ああ。あの女には昔から取り巻きが大勢いるから、その中から適当なのを見繕って君にあてがうつもりだったんじゃないかな」
アメリア王妃の実家であるミルボーン侯爵家は古くから王家に仕える忠臣で、中央貴族の間に濃密な人間関係を築いている。有力家系はそのほとんどが侯爵家と何らかのつながりがあり、アメリア自身も日ごろからお茶会のなんのと人脈作りに余念がない。
その伝手をたどれば、王妃の求める条件にあった独身男性をビアトリスにあてがうことは、そう難しいことでもないのだろう。
「付け加えると、筆頭公爵家たるウォルトンがメリウェザーとつながりを持つのを警戒しているのも大きいだろうな。つまり君が俺に……」
言いかけて、カインは何やら口ごもった。
その続きは聞かなくても、ビアトリスにもなんとなくわかるような気がした。
王妃はビアトリス・ウォルトンがカイン・メリウェザーに嫁ぐことを警戒している――つまり、そういうことだろう。
二人の間に妙な沈黙が下りる。おそらく今自分の顔は真っ赤だろう。カインの顔もなにやら赤くなっているように思われる。
「……まあ何にせよ、その場で断ったのは正解だよ」
カインは軽く咳払いして言葉を続けた。
「今まであの女の逆鱗に触れて社交界から追放されたり、実家が立ち行かなくなったりした例もあるようだが、いくらなんでもウォルトン公爵家を相手にそれができるとは考えられないしな」
「はい。父もそう言っていました。『何らかの嫌がらせめいたことはされるだろうが、それは私が対処しよう。お前はまだ学生なのだから、全て大人に任せておきなさい』と」
「そうか。良かったな、ビアトリス」
「はい」
カインの言葉にビアトリスは笑顔で頷いた。
かつてビアトリスはのっぴきならない事態に陥るまで、父に何も伝えることなく、一人で抱え込んでいた。そしていざ父に相談したときは、なかなか協力を得られずに、大変な思いをする羽目になった。
その経緯を知っているからこその、「良かったな」なのだろう。
「だから不安はありますけど、何か起こるまでは、今まで通り学生生活を楽しもうと思っています」
「ああ、俺もそれがいいと思う。……ところで今度の週末なんだが」
「ええと、すみません。今週末はマーガレットたちと一緒に植物園に行こうと約束していまして」
「そうか。そうだよな……」
「すみません」
「いや、気にしないでくれ。三人で楽しんできてほしい」
カインの温かな微笑みに、再び頬が熱くなる。
彼はいつだって優しくて、ビアトリスの気持ちを一番に優先してくれる。自分はその優しさに甘えてしまっているのだと思う。
いつまでもこのままではいられないことは、もちろん分かっているのだが――。
それからしばらくの間、ビアトリスは宣言通り学生生活を楽しんだ。
週末は以前から約束していた通り、マーガレットたちと植物園を訪れた。
ビアトリスにとって、王立植物園は幼いころ父に連れられたとき以来だが、聞けばマーガレットたちも数年ぶりに来たという。
あの巨大な葉っぱに乗れそうだとか、鮮やかな果実が美味しそうだとか、気が付けば三人で子供のようにはしゃいでしまって、「きっと周りにはお上りさんのグループだって思われたわね」と笑いあった。
帰りに食べたマーガレットお勧めのチーズケーキも絶品で、実に充実した週末となった。
学院では国史でグループ課題が出たので、マーガレットたちと組んで一緒に提出することになった。とりまとめの中心となったのはビアトリスだが、レイアウトにはマーガレットが意外な才能を発揮した。文章はシャーロットの担当で、レトリックを駆使した華麗な文体で情感たっぷりに書くものだから、「シャーロット、これはもうレポートじゃなくて小説よ!」と時々二人から突っ込みが入った。
総じてみればなかなか満足のいく出来栄えで、教師からも最優秀の評価をもらった。もっともその教師のレポート評は最優秀か優秀かの二種類しかないので、あまり有難みはなかったが。
アーネストとは教室移動のときなどに時おり遭遇することもあった。ビアトリスは距離があるときには気づかないふりでやり過ごし、間近ですれ違う際には互いに会釈を交わすに留めた。友人ではないが、ことさら険悪なわけでもない、単なる顔見知り同士の距離感とでも言おうか。
最初のうち、二人の遭遇には周囲から好奇の視線を向けられたが、両者の淡々とした様子に拍子抜けしたのか、生徒たちの関心は薄れていった。
そうしてしごく平穏な日々を送っていた間、水面下でとんでもない噂が広がりつつあることを、ビアトリスはそのとき知らなかった。





