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後日の記録-8

 結局、ナナは8時50分頃になって、例の寝台の部屋に現れた。


 服装は当然、いつも通りのパジャマ姿。

 体調は──見た感じ、眼鏡の奥の瞳は少しぼーっとしているようだけど、足取りはしっかりしているといった様子。


「体調はどう。まだ悪い?」


 僕がそう問いかけると、


「はい、まだ万全の体調とは言えないですけど……でも、頑張ります」


 彼女はそう言って、やる気を見せた。


 僕はとりあえずホッとする。

 冷たいようだけど、その程度なら頑張ってもらわないと困るのが実情だ。

 明日、明後日は休めるわけだし、それで何とかしてもらうよりほかはないと思う。


 僕とナナはお互いの寝台で、ゲーム世界にログインをする。

 噴水広場で合流、パーティを組み、街から出て草原フィールドで狩りを始める。


 ざっくざっくと草原フィールドを歩き回る僕とナナ。


 今日のノルマは56匹だ。

 これさえ達成できれば、18,000円が手に入る。


 ただまあ、金額的には気合が入るものの、内容は消化作業である。

 草原を歩く、ポヨンに出会う、倒す──同じことを工夫もなく繰り返す単純作業は、いつもだったならば退屈この上ない。


 だけど今日は、それでちょうどよかったりする。

 今日は、ナナと話さなければならないことが、たくさんあるのだ。

 狩りそのものに頭を使わなくて済むのは、正直助かる。


 戦闘の合間、フィールドで遭遇待ちの徘徊をしながら、僕はナナに話しかける。


「この間のお金の話なんですけど……あれは、所長からお金を借りたんです」


 まずは、一昨日に工面したお金の出所を話す。

 その上で、棚上げにしていた問題に取りかからなければならないのだ。


 気は重いけど、この話は、避けて通ることはできないと思う。


「それで、ナナさんに一昨日渡した1万円なんですけど……申し訳ないんですが、あげたわけじゃなくて、貸したっていうことで、いずれ返してほしいんです」


 僕は何とか、その言葉を絞り出した。


 僕は一昨日ナナに、お金は自分が何とかするから休めと言った。

 そして1万円を渡すときにも、貸すなどとは言わず、あたかも譲渡するかのように、無条件で手渡した。


 それは、重篤な体調不良でメンタル的にも弱っているであろうナナに、それ以上の心的ストレスを掛けたくなかったからそうした。

 そういったストレスが掛かるような話は、ナナがある程度元気になってから話すべきだと思ったのだ。


 でも、そうだと言っても、ナナからすれば納得がいかないだろう。

 そういうことなら先に言っておけと思うに違いない。


 だから僕は、お金を渡したあのときには、もう譲渡でいいんじゃないかと思っていた。

 自分の発言に責任を取るなら、そうするのが筋だろうと思ったからだ。


 ──だけど後になってよくよく考えてみれば、やっぱりそれは良くないと思った。


 だって、僕はナナの保護者じゃない。

 僕がナナにお金をあげるということは、両者の関係をひどく歪にする。


 僕はナナとは対等の協力者でいたかったから──だとするなら、お金の譲渡はあってはならないと思ったのだ。

 ここで喧々諤々の言い争いになっても、その一線だけは、何としても守らなければならないと考えていた。


 しかし、ナナの返答は、僕の予想とは異なったものだった。


「はい。……すぐには難しいかもですけど、お金ができたら、必ず返します」


 彼女はすんなりと、僕の要求を受け入れた。


「え……いいんですか?」


「はい? いいって、何がです?」


 僕が聞き返しても、ナナはきょとんとするばかり。


「いや、納得いかないだろうなぁって思っていたから。あのとき僕、あの1万円をあげるみたいな言い方したし……」


「あー。……でも、あのお金がポーンさんの借金から出てるんだったら、それを私がもらうのは、さすがにないと思います。いくら私だって、そこまで図々しくはできません」


 体調のせいか若干ぽややんとした感じのナナが、えへへっと笑いながら言ってくる。


 そうか、そうなるのか。

 何だろう、僕はナナのことを侮りすぎていたんだろうか。


 まあ、ともあれ1件目が問題なく話が付いた。

 僕はひとまず、ホッと息をつく。


 だけど、まだ1件目だ。

 棚上げにしてある問題は、もう1件ある。




「次、報酬の分配の話なんですけど」


 僕はそう言って話を切り出す。


「仮に僕とナナさんとで、時給が同じになるように計算してみました。今日59匹のポヨンを撃破して、ミッションを達成できたとすると──」


 以下、次の僕の台詞まで計算。


 ミッションを開始してからの収入総額。

 まずミッションを達成したときの報酬総額が、21,600円。

 さらに、このミッションを達成できたということはポヨンを最低180匹は倒しているということだから、そのドロップ金によって18,000円は収入を得ているはず。


 というわけで、ミッションを開始した火曜日から今日、金曜日のミッション達成までに得られる収入の総額は、およそ39,600円となる。

 (ちなみに企業で言えば、この39,600円が「売上」にあたるわけだ)


 ここから、僕が水・木曜日に使用した回復所の利用料を、必要経費として差し引く。

 各日1,400円だったので、これを39,600円から差し引くと、残額は36,800円。


 この36,800円を、僕とナナの2人で分配することになる。


 火曜日の労働(?)時間は、僕とナナがそれぞれ7時間程度。

 水曜日と木曜日は、僕のみ各9時間程度。

 今日は、予定通り進めば7~8時間程度で目標を達成して死亡回復まで終わらせられるだろうから、僕とナナそれぞれを8時間で計算してみる。


 すると、このミッションを達成するために使った時間は、僕が33時間、ナナが15時間となる。

 合計で48時間。


 僕とナナへの給料は、企業で言えば人件費にあたるわけけど、実際にポーン・カンパニーを運営しているわけではないので企業に収益を残す必要はなく、経費を差し引いた収入額のすべてを人件費に振り分けることができる。

 まあだから、企業っていうよりは、個人事業主って言った方が近いんだろうな。


 36,800円を48時間で割ると、1時間あたりの収入額は766.66…円となる。

 この割り出された時給を元に、それぞれの労働時間に応じて金額を配分するなら、僕が25,300円、ナナが11,500円──というのが、配分金の総額になる。


 ただし、初日の火曜日に各自4,100円の配分を受けていて、さらに僕は水曜日に2,400円、木曜日に2,600円をすでに受け取っている。

 この分を差し引くと──


「──今日の受け取り額は、僕が16,200円、ナナさんが7,400円、ということになります」


 ちなみにこれらの計算は、メニュー画面に電卓機能があったので、それを使って行なった。

 メニュー画面に電卓とか、ほかのネトゲで見たことないわ。


 さてそれはいいとして、問題は、ナナの取り分だ。


「7,400円、ですか……」


 案の定、僕の説明を受けたナナが、今度こそ渋面をしている。


 そりゃそうだろう。

 なぜなら──これでは、足りないのだ。


 今日の収入と手持ちの金額とで、僕たちは今日だけでなく、土曜日と日曜日の生活も賄わなければならない。

 カプセルホテルに宿泊することを前提にするなら、食費と合わせて最低でも1日あたり4,000円程度の額は必要になってくる。


 ナナには一昨日に1万円を渡したが、2日間の生活費で残額は2,000円ほどか、それ以下になっていると思われる。

 これに7,400円を足しても、9,000円程度にしかならない。

 これではカプセルホテルに宿泊しながら、3日間を過ごすことはできない。


 もちろん、それならそれで1日ぐらいネットカフェや路上で寝ればいいだろうという見方もある。

 だけど、今のナナの体調でそれをやると、折角持ち直した体調を再び崩してしまうおそれがある。

 来週の活動にだって差し支えるだろう。


 そうして渋面になったナナに、僕は次の提案をする。


「でもこれだと、ナナさんの生活が困窮しますよね。なので、もう1個プランを用意してみました」


「……へ?」


 完全に意表を突かれたという様子で呆けるナナ。

 僕はそれに構わず、先を続ける。


「ミッション達成による報酬を、働いた時間に関係なく、パーティメンバー内で均等分配する配分方法です。この方法なら、今日56匹のポヨンを撃破してミッションを達成した場合の受け取り額は、僕もナナさんも11,800円になります」


 その僕の説明を聞いても、ナナは呆けたままだった。

 「え?」とか「でも」とか言うばかりで、二の句を継げずにいる。


 しばらく時間を置いて、ナナの口からようやく出てきた言葉は、


「でも……ポーンさんはそれでいいんですか?」


 だった。


 まあそうだろうなぁ。

 内容的に、今のところは僕の方が一方的に譲歩している形に見えるし。


 これに関しては、きっちり説明しておかないといけないな。


「えっとですね……勘違いしないでほしいのは、これは僕とナナさんとの相互の協力関係を前提にした、ただの取り決めにすぎない、ということです」


 僕は淡々と、自分が提案していることの内容を説明してゆく。


「僕は僕にとって著しく不利だと思えば、この取り決めをいつでも破棄するかもしれませんし、ナナさんだって同じ立場です。協力しようと思えるうちは、『困ったときはお互い様』ということをやりませんか、という提案なんです」


 僕はあんに、協力できないと思ったら見捨てますよ、というニュアンスを含めて説明をする。


 僕はここ、ニート矯正収容所に来て、学んだことがひとつある。

 それは、僕のような怠け者は、どんなに善良ぶっていても──結局のところ、自分の身に危害が振りかかろうとしていることを実感しなければ、本気でストレスに立ち向かおうとはしない、ということだ。


 そして、それは多分、ナナだって同じだ。

 本気でやらなければ自分の身に危害が振りかかると思うから、多少嫌なことであっても本気で取り組む。

 もし、自分に対する危害を誰かが代わりに払ってくれると信じたら、その行動はどんどんと易きに流れることになるだろう。


 何しろ、僕らはニートなのだ。

 易きに流れることに関しては定評がある。




 ナナは僕の提案の内容を、時間をかけて咀嚼すると、


「……分かりました。ポーンさんが倒れたら、そのときは私が頑張ります」


 彼女は、かつて一度だけ見たことのある据わった目付きで、僕の提案に同意した。

 この眼鏡の奥の瞳は、彼女が重病状態であるにもかかわらずログインしてきた、一昨日の朝に見たものと同じだ。

 ナナのこの目は、信頼していいように感じた。




 さてはともあれ、これでようやく、棚上げしていた2つの問題がクリアされて、僕の肩の荷が下りたわけだ。


 はー、しんどかった。

 もうこんなことはしたくないぞー。


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